私は73歳のとき町のGB部に入りましたが、その時、83歳の男性K氏がいました。GB歴は1年先輩だったと思います。私と同年齢と思うほど顔つき、体の動きが若々しい人でした。私の入部を非常に喜んでくれました。GBは打撃のコーンという響きが気持ちがいいと言ったのをよく覚えています。
非常にまじめな人で、公園でのGB練習試合を休んだことがありません。人より早目にきて公園広場の枯れ葉掃除をやっていました。
ところが彼は両耳が聞こえませんでした。補聴器を使えば聞こえたようですが、使うと雑音まで拾い、苦しいので使いませんでした。そのため、練習試合中、主将役は、ジェスチャーで打撃指示をする必要がありました。試合はまだジェスチャーが使えたのでよかったが、休憩時の会話は大変でした。私達も彼も手話ができなかったので、会話ができませんでした。彼はそれが非常につらいようでしたが、会話はどうしょうもありませんでした。彼は甘いものが非常に好きで、お茶菓子の食べ合いは楽しむことができました。
耳が聞こえないことを気にし、区GB連合の正式のGB大会は出場を遠慮していましたが、親睦の大会にはときどき参加しました。しかしGBを楽しむまではいかず、親睦大会でも苦労したようです。数十万円もする補聴器をつけて親睦大会に出て、補聴器を落とし、足で踏んづけて壊してしまったというようなことがありました。
練習試合日が区の大会日に重なった場合は、彼は、よく自分一人で、あるいは大会に出なかった少数の部員と町の公園で練習(試合)をやっていました。
彼は熱心にGBをやりましたが、人との交わりを大切にしていたと思います。GB以外でも人との交流を重視し、友人知人を家に呼んだり、町の交流の場にでかけたりしました。町の交流の場ではコーヒーを入れる仕事を担当し、交流の場はKのコーヒー店などと呼ばれました。
そんな彼でしたが、私が腎不全と前立腺がんで自宅療養に入っていた間、昨年のことですが、敗血症にかかり、病院に長期入院してしまいました。私は昨年11月にGB部に復帰しましたが、彼は、今年になって、GB部に復帰することなく、遠いところに住む娘さんの家に引き取られました。彼は今92歳です。亡くなった訳ではありませんが、思い出の中のGB仲間になってしまいました。