コメント
 
 
 
松井とヤンキース (ゴジ健)
2008-09-10 01:12:08
>たとえ敗残者として打ち萎れたとしても、己の進むべき道を遮る大きな壁が厳然と目の前に聳え立っているほうがいい。打ち壊すべき壁が何なのか、が分かっていればそれをどうやって打ち壊したらいいのかを、同じ境涯の仲間と協力することもできるからだ。


・・・そして私たち!
 
 
 
ゴジ健さん (塾長)
2008-09-10 01:26:54
今シーズンのことはきれいさっぱり忘れて、来シーズンに爆発しましょう!!

来年こそは!と言い続けてきたんですから、1年くらい延びたってどうってことありません。

もっともっと大きな声で祈ります。
「来年こそは、松井がチャンピオンリングを手にできますように!!!」



 
 
 
感想文 (ボネット)
2008-09-10 02:13:40
 すばらしい感想文です。

 すごいなあ。。。


 

 
 そして、この作品。「外国語で小説を書く」ことがまだ信じられないボネットですが、楊逸さんは立派にやっているんですね。 



 まだ、読んでいないボネットです。いつのことになるやら。 
 
 
 
松井 (ボネット)
2008-09-10 02:16:50
>>たとえ敗残者として打ち萎れたとしても、己の進むべき道を遮る大きな壁が厳然と目の前に聳え立っているほうがいい。打ち壊すべき壁が何なのか、が分かっていればそれをどうやって打ち壊したらいいのかを、同じ境涯の仲間と協力することもできるからだ。



なるほど!

>「来年こそは、松井がチャンピオンリングを手にできますように!!!」


新しい球場で、松井最後のヤンキースで、
初心の夢をかなえるのです!!!


がんばります!!!!
 
 
 
転載 (ボネット)
2008-09-10 02:20:35
塾長さんのこの言葉、ボネットのブログに転載してもよろしいでしょうか。


「だが、たとえ敗残者として打ち萎れたとしても、己の進むべき道を遮る大きな壁が厳然と目の前に聳え立っているほうがいい。打ち壊すべき壁が何なのか、が分かっていればそれをどうやって打ち壊したらいいのかを、同じ境涯の仲間と協力することもできるからだ。」
 
 
 
ボネさん (塾長)
2008-09-10 13:19:50
ボネさんのご紹介がなければ、きっと読まずに終わっていたと思います。
改めて御礼申し上げます。
ありがとうございました。

ボネさんもぜひお読みになってください。


>塾長さんのこの言葉、ボネットのブログに転載してもよろしいでしょうか。

こんな駄文でも何かお役に立てるなら、どうぞお使いください。



 
 
 
Unknown (おじさん)
2008-09-10 15:39:29
柴田翔や高橋和巳の・・・・

学生運動の激流に飲み込まれた、私よりも上の世代が考えたこと・・・

そして、沈黙・・・
 
 
 
「その後」 (竜虎の母)
2008-09-10 23:58:41
って、興味がありますね。
シンデレラも、白雪姫もどんな暮らしをしたのでしょう。桃太郎は?一寸法師は?

この作品も読んでみたいです。

・・・6093
 
 
 
おじさん (塾長)
2008-09-11 00:56:08
>そして、沈黙・・・

高橋和巳についての文をずっと書きたいと思っていますが、恐れ多くて近づけません。
20歳を超えてから一番影響を受けた作家だけに簡単にはいきません。
もし書けたら、もうこのブログは要りません。

でも、書けそうもないです。



 
 
 
母さん (塾長)
2008-09-11 01:02:31
ぜひお読みください。
昔懐かしい小説です。
そして読みやすいです。

お勧めします。


 
 
 
Unknown (おじさん)
2008-09-11 08:19:23
昨夜、本棚ですっかり埃を被った
彼の著作集を久しぶりに取り出し・・

彼を読むのは”しんどい”作業・・
あの当時も・・・まして今になっては読めません・・

 
 
 
おじさん (塾長)
2008-09-12 00:39:21
おじいさん (塾長)

2008-09-12 00:38:41

しんどい読書こそ己の糧になると信じていた頃に高橋和巳に出会ったように思います。
時間がないことを言い訳にする狡さを身に着けてしまった今では、高橋和巳が自らの命を削りながら書いた著作を手にする資格すらないように思いますが、もう一度しっかり読み直したいという思いが募るこの頃です。



 
 
 
Unknown (おじさん)
2008-09-12 05:16:37
>当時の若者たちの通過儀礼ともいうべき著作により、学生運動の激流に飲み込まれた、私よりも上の世代・・・・


通過儀礼ですか・・・確かにそうかもしれないが、通過儀礼では激流に飲み込まれる前に逃げたかも・・

溺れていなくなった奴、向こう岸へたどりついてしまった奴、そのまま漂流の旅を続けた奴・・激流に抗して自力で泳ぎだした奴・・夫々がいろんなものを背負って・・そして沈黙・・
 
 
 
おじさん (塾長)
2008-09-12 15:58:23
「通過儀礼」という表現は、私たち世代にとっての通過儀礼、というつもりでした。
紛らわしい表現をしてしまい、お詫び申し上げます。

私が大学に入学した昭和52年当時は、まだ学内に赤ヘルを被った人たちが少数いましたが、大多数の学生は時代遅れの者を見るような思いでいたと思います。
時計台の前で集会を開いていたのを何度か目にしましたが、些かのシンパシーも持ちませんでした。
少し前には時計台の前が戦場のようだったと知っても、昔語りを聞くような思いでした。

もう少し早く生まれていたら・・と友人と話したことも何度かありましたが、どうだったんでしょう。
でも、自分の中に芯が一本通っていないような引け目はずっと感じてきました。
もちろん私がだらしなく生きてきたせいなのでしょうが、いろんなことに遅れてきた感覚はずっともっています。


 
 
 
疑問と感想 (michigan)
2008-09-13 03:41:46
塾長さん、私もこの作品読んで見ました。
中国人が日本語で書いた事に意味が大きいですよね。

読み終えて、一つ疑問だったのがタイトルの「時が滲む朝」です。
この朝とは、天安門事件からの時の経過によってこれ迄の自分の考え方が正しいのか自問自答し、次第に歪み始めてきている今を意味するのでしょうか。

かつて、大人たちと交わした会話の中で「中国の民主化よりも、現在の生活を守る事の方が大切である。」と言われた事を、現在の自分に重ね合わせ、「それが正しかったのではないか。」と言う事を今、身を持って感じている。
ただ、天安門事件での体験があったからこそ現在の自分が存在するのであって、民主化運動に参加した事に悔いは無く、決して間違ってはいなかったと言う感じでしょうか。

時の経過によって、かつての仲間達が去って行く現状も時の滲みとも取れなくは無いのですが、どうなんでしょう。

私が一言でまとめれば、「理想と現実の違いを思い知る」みたいな感じになるのですが、それでは作品を台無しにしてしまう恐れがあったので、感想を書きませんでした。

私の読解力では、これが限界ですね。

塾長さんの感想文には驚くばかりです。
この手の本は、あまり読み慣れていないものですから的外れかも知れませんが、取り敢えず書いて見ました。

長すぎでしたら、削除して頂いて結構です。

 
 
 
ミシガンさん (塾長)
2008-09-14 00:16:10
私も、「時が滲む朝」という題名についてもう少し考えなければいけない、と思っていたところです。
「時が滲む」という表現によって何を表そうとしたのか、私なりに考えてみました。

例えば、和紙に墨で字を書くとき、墨が滲んでいきます。
また水彩画を描こうとするときもいくつかの色が重なって滲んでいくことがあります。
そうした感触で作者が「時が滲む」と表現したと考えたならば、己が高揚した時間と、普段の落ち着いた時間との境界が「滲んで」ぼやけてしまう瞬間というものを表したと考えることもできるように思います。

そう考えると、
「中国本土で民主化運動に己のすべてを傾けた時間と、異国である日本でいやおうなしに向き合わねばならない現実の時間との境界線がいつの間にか朧になってしまい、その狭間で身動きが取れなくなっている己の姿を言い表しているのではないか」
などと勝手に思ったりしています。

もちろんこうした情緒的な表現はどう解釈してもいいと思いますし、多彩な解釈を許すことこそがその表現の持つ深さだとも思いますので、私の拙い読み取りでも許されるのではないか、と大甘なことを思っっています。


示唆に富むご指摘ありがとうございました。



 
 
 
Unknown (おじさん)
2008-09-15 08:08:22
昨夜読み終えましたが、全く整理できていません。
塾長さんより「上の世代」の者と”あの時代”を知らない方々ではこの小説から何を感じ、何を読み取るのか、埋めることのできない何かがあるように思っています。”上の世代の者として、”自分史”に重ねながらいわば回顧録のように読むことは簡単ですが、この小説は”何も語ってはいない”・・否、”何も語らない”ことで、敢えて、夫々の自分史の検証を喚起しているのかもしれません。

先に”そして沈黙”を繰り返しましたが、第三者に向けて”語ること、あるいは書けること”では
語り得ない、書き得ないものを背負って、「上の世代の人々」は今日まで生きてきたのかも・・(吉田拓郎)

一昨日BS1で昭和44年へのタイムスリップを放映しているのをたまたま観ました。フォークゲリラと”友よ”・・そして、”インターナショナルと戦艦ポチョムキン”、そして「時が滲む朝」。
昨夜の満月を眺めながら、黙想・・・


 
 
 
おじさん (塾長)
2008-09-16 01:20:38
「世代」という括りで語るのは余り好きじゃありませんが、どうしたってそうしなければならない場合もあると思います。

私には10才下の弟がいます。
高校までは私と同じ学校を卒業しましたが、考え方はかなり違います。
兄弟と言っても、10才も違うと世代間の格差を否応なしに感じてしまいます。
ともに平板な時を過ごしてきた私たちの間でさえ、かなりのギャップがあるのですから、激動の時代を身をもって乗り越えた方々と、半ば史実としてしか知りえなかった私たちとでは、やはり相当の開きがあるのでしょうね。
過ごしてきた時間の重みが違います・・。


でも、私なりに結構一生懸命生きてきたつもりはあるんですけどね。



 
 
 
塾長さん (michigan)
2008-09-18 22:31:01
色々とご回答頂いたにもかかわらず、お礼が申し遅れましてすみません。

この本と言うのは結構、奥が深いもの何ですね。
天安門事件の背景を知っている人と知らない人とでは、かなり感想が変わりそうだと私も感じました。
知らない人の方が先入観もなく、素直に読める気も致します。

丁寧なご回答ありがとうございました。
 
 
 
ミシガンさん (塾長)
2008-09-19 00:22:15
この本は長い時間を描いた物語なのに短い小説にまとめられています。
したがって細部を克明に描くという作業がなされていないぶん、読者各自に自由な読み取りを許しているのではないかと思います。
それがこの小説の奥行きなのか、描き足りなさなのかは見解の分かれるところでしょうが、いずれにしてもd読者一人一人が、己を物語の中に投影して自らの身に置き換えて味わえる懐の深さは持っているように思います。

と、偉そうなことを書いていますが、急いで読んだものですから、実は大雑把な感想しか持っていません。
時間があればもう一度読み直してみたいと思っています。



 
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