コメント
佐藤愛子による、解説1
(
塾長
)
2007-07-15 08:50:41
腰巻(こしまき)・・短い(膝下あたりまでの)晒の布に二本の紐がついていて、腰から下をぴったり包み込んでウエストのところで紐を結ぶ。その上に赤とか桃色とか華やかな色の絹を巻くが、これは足首の上あたりまであって裾よけとか蹴出しという。その上に長襦袢を着ると裾が重なって、何重にも腰と腹は守られている。そういう仕組みになっていた。
蚊帳(かや)・・蚊帳の中に入るには心得というものがあった。立ったまま無造作に入ってはならなかった。まず蚊帳の裾にしゃがんで団扇でパタパタと周りの蚊を追い払ってから、まるで穴にでも入るように小さくなってさっとす早くもぐり込まなければならない。
アッパッパ・・木綿の布地を簡単に裁ち切って、寸法も格好も考えずにずん胴の筒状にして、それに小さな袖をつけ、胸もとは丸くくっただけの、その名の通りカンタンに作られた服である。
押売り・・押し売りの資格としては第一に人にいやな感じを与える面相。第二はダミ声。第三は垢じんでくたびれた服装。第四は何ごとにも平気でいる鈍感さ、しつこさ。それに加えてペラペラしゃべりつづける、威しの才能。
五右ヱ門風呂・・黒い鉄の釜型の浴槽で、底は煮炊きするお釜と同様、丸みを帯びていて、入る時には底に底板を嵌めて入る。底板は釜(浴槽)の蓋も兼ねていて、湯面に浮いている。
居候(いそうろう)・・玄関脇の六畳にはいつ覗いてもゴロゴロしている男たちがいたが、その中でいつも暇そうにしているのが居候で、立ち働いているのが書生ですねん、と下働きのねえやであるみよやが教えてくれた。
火鉢(ひばち)・・桐の火鉢は品があり、彫などほどこしてある唐金の火鉢はどっしり重々しかった。朱塗りの手焙りはなまめかしく、大ぶりの陶器の安物は子供らがとり囲んで手をかざしたり、餅を焼いたりしていた。
あーらいやだ、オホホホホ・・女の方も口もとの締りのなさはたしなみのなさ、つつしみのなさを計るバロメーターのようになっていて、それゆえにこそ笑う時は大口を開けずにホホホと笑ったのである。
ステテコ・・ステテコには何ともいえない愛嬌がある。ざっくばらんな合理主義だ。暑いなあ、たまらん、上脱いでステテコで行こ!
乳当(ちちあて)・・生徒の間ではおチチの大きさなど、誰も問題にしていなかった。胸はペタンと「真直」というのが凛々しく颯爽としてよかったのだ。だからチチアテをしている人たちはそれを恥ずべきことのように思って、人目に触れないように気を遣っていたのかもしれない。
褌(ふんどし)・・真白な晒で下半身をキリリと締め上げた男の褌は老若を問わず力が漲って見るからに勇ましく、胴長短足という日本人特有の体型にぴったり似合っていて、ご面相は問わず凛々しく美しく見えたものだ。
釣瓶井戸(つるべいど)・・井戸の釣瓶が水に落ちる音は、冬は鋭く、春はやさしく、春夏秋冬、季節季節で違って聞こえたものだ。釣瓶で汲み上げた水をバケツや水桶に空ける音も、初冬から厳冬への移りかわりが感じられた。
佐藤愛子による、解説2
(
塾長
)
2007-07-15 10:31:31
釣瓶井戸(つるべいど)・・井戸の釣瓶が水に落ちる音は、冬は鋭く、春はやさしく、春夏秋冬、季節季節で違って聞こえたものだ。釣瓶で汲み上げた水をバケツや水桶に空ける音も、初冬から厳冬への移りかわりが感じられた。
鍛冶屋(かじや)・・そうか、孫は鍛冶屋を知らないのか。鍛冶屋というのは、焼いた鉄を打って刀とか鎌とか、鍬、鋤、鉈なんかを作る人のことだと教えた。
つけ文・・つけ文は男から女につけるもので、女が男に手紙を書くことはまずなかった。つけ文には男の青春が詰まっている。若い女が「たしなみ」という教育に押し込まれていた時代の青年は、女への憧れ、恋情、欲望をもてあまして懊悩を重ねていたのである。
後家(ごけ)・・近代になって「未亡人」という言葉が、「後家」にとって代わった。「後家」という言葉は「タバコ屋の後家さん」とか「酒屋の後家」などと、親しみ易く、気らくな感じで使われるが、少し高級で上品な階級のお方を後家呼ばわりするのは失礼だというような気持ちから、「未亡人」という言葉が生まれたのかもしれない。
おぼこ・・かつて年頃の娘の育ちのよさをいうのに「おぼこ」という言葉があった。おぼことは産子(ウブコ)が転じておぼこになったという説があるが、生まれてそのままの穢れのない初々しいお嬢さんという意味である。
蠅いらず・・蠅叩きでは追っつかないので食物を蠅から守るために「蠅いらず」が考え出された。乳児用の幌蚊帳を小さくしたもので、それを膳の上の料理にかぶせて蠅を防いだのだ。しかし、それでは膳の上の皿茶碗しか守れない。そこで「蠅取紙」が生れた。
円タク・・タクシーが一円均一、「円タク」という通称で客を呼んだ。私の遠い記憶では、その頃タクシーは、運転手の左横に「助手」が乗っていた。そこが今も「助手席」という名称になっている。
出合茶屋・・江戸の昔、料理茶屋が出合茶屋になり、出合茶屋から待合、待合から温泉マーク、温泉マークからラブホテル、ラブホテルからモーテルへ。これも万物進化の軌跡のひとつである。
縁側・・まことに「縁側」というものは、日本人の暮らしになくてはならない空間だった。おばあさんも猫も。お父さんも子供も拭き掃除のお母さんも、誰もいなくなると、縁側は傷だらけの古びた姿で静かに横たわって、誰かが来るのを待っている。
カンカン帽・・ストローハットは日本に来てカンカン帽になった。そして植木等に代表されるオッサンたちに愛用される帽子になった。1930年代の日本―殊に大阪方面ではそこいら中にステテコにカンカン帽のオッサンがいた。
モダンガール・・向こうからハイヒールを履いた洋装の美女が踊るような足どりで近づいて来た。真ん丸い顔に黒々としたおかっぱ風の断髪なのも珍しく、若草色のスカートはあまりにぴったりと太い腰まわりにくっつき過ぎているようだった。
人絹(じんけん)・・人造絹糸の略である。蚕の繭から取った生糸で織った布が本モノの絹織物。見たところは絹のようだが、手にとるとぺラペラと軽いのが人絹である。そこで軽薄才子は「人絹野郎」といってバカにされたものだ。
記憶をたどれば・・
(
竜虎の母
)
2007-07-17 00:30:18
ステテコにカンカン帽というのは、日中の結構きちんとしたお出かけの装いだったように思います。
今考えると信じられないでたちですね。
クーラーをがんがんきかせた室内で背広にネクタイよりは身体によさそうですけれど。
母さん
(
塾長
)
2007-07-17 01:38:03
解説があと3分の1残っていますが、時間が取れなくてのびのびになってしまっています。
近いうちに全部書くつもりですが、なかなか面白です、この本。
佐藤愛子ってばあさんはもっともっと長生きしてもらいたいものです。
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蚊帳(かや)・・蚊帳の中に入るには心得というものがあった。立ったまま無造作に入ってはならなかった。まず蚊帳の裾にしゃがんで団扇でパタパタと周りの蚊を追い払ってから、まるで穴にでも入るように小さくなってさっとす早くもぐり込まなければならない。
アッパッパ・・木綿の布地を簡単に裁ち切って、寸法も格好も考えずにずん胴の筒状にして、それに小さな袖をつけ、胸もとは丸くくっただけの、その名の通りカンタンに作られた服である。
押売り・・押し売りの資格としては第一に人にいやな感じを与える面相。第二はダミ声。第三は垢じんでくたびれた服装。第四は何ごとにも平気でいる鈍感さ、しつこさ。それに加えてペラペラしゃべりつづける、威しの才能。
五右ヱ門風呂・・黒い鉄の釜型の浴槽で、底は煮炊きするお釜と同様、丸みを帯びていて、入る時には底に底板を嵌めて入る。底板は釜(浴槽)の蓋も兼ねていて、湯面に浮いている。
居候(いそうろう)・・玄関脇の六畳にはいつ覗いてもゴロゴロしている男たちがいたが、その中でいつも暇そうにしているのが居候で、立ち働いているのが書生ですねん、と下働きのねえやであるみよやが教えてくれた。
火鉢(ひばち)・・桐の火鉢は品があり、彫などほどこしてある唐金の火鉢はどっしり重々しかった。朱塗りの手焙りはなまめかしく、大ぶりの陶器の安物は子供らがとり囲んで手をかざしたり、餅を焼いたりしていた。
あーらいやだ、オホホホホ・・女の方も口もとの締りのなさはたしなみのなさ、つつしみのなさを計るバロメーターのようになっていて、それゆえにこそ笑う時は大口を開けずにホホホと笑ったのである。
ステテコ・・ステテコには何ともいえない愛嬌がある。ざっくばらんな合理主義だ。暑いなあ、たまらん、上脱いでステテコで行こ!
乳当(ちちあて)・・生徒の間ではおチチの大きさなど、誰も問題にしていなかった。胸はペタンと「真直」というのが凛々しく颯爽としてよかったのだ。だからチチアテをしている人たちはそれを恥ずべきことのように思って、人目に触れないように気を遣っていたのかもしれない。
褌(ふんどし)・・真白な晒で下半身をキリリと締め上げた男の褌は老若を問わず力が漲って見るからに勇ましく、胴長短足という日本人特有の体型にぴったり似合っていて、ご面相は問わず凛々しく美しく見えたものだ。
釣瓶井戸(つるべいど)・・井戸の釣瓶が水に落ちる音は、冬は鋭く、春はやさしく、春夏秋冬、季節季節で違って聞こえたものだ。釣瓶で汲み上げた水をバケツや水桶に空ける音も、初冬から厳冬への移りかわりが感じられた。
鍛冶屋(かじや)・・そうか、孫は鍛冶屋を知らないのか。鍛冶屋というのは、焼いた鉄を打って刀とか鎌とか、鍬、鋤、鉈なんかを作る人のことだと教えた。
つけ文・・つけ文は男から女につけるもので、女が男に手紙を書くことはまずなかった。つけ文には男の青春が詰まっている。若い女が「たしなみ」という教育に押し込まれていた時代の青年は、女への憧れ、恋情、欲望をもてあまして懊悩を重ねていたのである。
後家(ごけ)・・近代になって「未亡人」という言葉が、「後家」にとって代わった。「後家」という言葉は「タバコ屋の後家さん」とか「酒屋の後家」などと、親しみ易く、気らくな感じで使われるが、少し高級で上品な階級のお方を後家呼ばわりするのは失礼だというような気持ちから、「未亡人」という言葉が生まれたのかもしれない。
おぼこ・・かつて年頃の娘の育ちのよさをいうのに「おぼこ」という言葉があった。おぼことは産子(ウブコ)が転じておぼこになったという説があるが、生まれてそのままの穢れのない初々しいお嬢さんという意味である。
蠅いらず・・蠅叩きでは追っつかないので食物を蠅から守るために「蠅いらず」が考え出された。乳児用の幌蚊帳を小さくしたもので、それを膳の上の料理にかぶせて蠅を防いだのだ。しかし、それでは膳の上の皿茶碗しか守れない。そこで「蠅取紙」が生れた。
円タク・・タクシーが一円均一、「円タク」という通称で客を呼んだ。私の遠い記憶では、その頃タクシーは、運転手の左横に「助手」が乗っていた。そこが今も「助手席」という名称になっている。
出合茶屋・・江戸の昔、料理茶屋が出合茶屋になり、出合茶屋から待合、待合から温泉マーク、温泉マークからラブホテル、ラブホテルからモーテルへ。これも万物進化の軌跡のひとつである。
縁側・・まことに「縁側」というものは、日本人の暮らしになくてはならない空間だった。おばあさんも猫も。お父さんも子供も拭き掃除のお母さんも、誰もいなくなると、縁側は傷だらけの古びた姿で静かに横たわって、誰かが来るのを待っている。
カンカン帽・・ストローハットは日本に来てカンカン帽になった。そして植木等に代表されるオッサンたちに愛用される帽子になった。1930年代の日本―殊に大阪方面ではそこいら中にステテコにカンカン帽のオッサンがいた。
モダンガール・・向こうからハイヒールを履いた洋装の美女が踊るような足どりで近づいて来た。真ん丸い顔に黒々としたおかっぱ風の断髪なのも珍しく、若草色のスカートはあまりにぴったりと太い腰まわりにくっつき過ぎているようだった。
人絹(じんけん)・・人造絹糸の略である。蚕の繭から取った生糸で織った布が本モノの絹織物。見たところは絹のようだが、手にとるとぺラペラと軽いのが人絹である。そこで軽薄才子は「人絹野郎」といってバカにされたものだ。
今考えると信じられないでたちですね。
クーラーをがんがんきかせた室内で背広にネクタイよりは身体によさそうですけれど。
近いうちに全部書くつもりですが、なかなか面白です、この本。
佐藤愛子ってばあさんはもっともっと長生きしてもらいたいものです。