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松本選手についての記事 (塾長)
2012-07-31 00:57:09
松本、攻撃柔道が結実=57キロ級で日本に初の金〔五輪・ハイライト〕
 鋭い目つきで、野獣のごとく襲いかかる。松本薫(フォーリーフジャパン)はいつしか「野生児」と呼ばれるようになった。
 女子48キロ級に君臨した谷亮子さん(現参院議員)の育ての親で、松本の帝京大時代の恩師、稲田明さんはひと目で察知した。「谷が相手をのみ込む目なら、松本は相手を何が何でもつぶそうというまなざし。この子は世界を奪う目を持っていると思った。その目にほれた」
 それ故、型にはまることを嫌う。練習メニューをほぼ独自に立て、さまざまな相手を求めて出稽古に励む。中学卒業後、三井住友海上と練習をともにする東京の藤村女子高に入学するため上京したが、指導法が合わず、自らの意思を貫いて1年半で故郷の金沢に戻ってしまったこともある。
 「がむしゃらで、右も左も関係なく、大きい者にも小さい者にも向かっていって、なぎ倒す迫力がいいところ。そこをいじってしまうと駄目になる」と稲田さんは言う。
 だが闘志むき出しの、頭に血が上りやすい性格が足を引っ張ることも多かった。試合中に何度も経験した骨折もその一つだ。「本能で何も考えず、体が動くままだった」と松本は振り返る。
 転機となったのは初出場した2009年世界選手権。準々決勝で勢い余って相手の胸を突いて右手甲を骨折。準決勝、3位決定戦と連敗し、悔し涙にくれた。
 その反省から「感覚柔道ではなくて、相手の入り方とか自分の入り方とか、自分の気持ちの持ち方とか考えるようになった」。日常生活でも気持ちを一定に保つことを心掛け、冷静な試合運びを覚えた。23歳の誕生日に迎えた10年世界選手権。女子57キロ級で、五輪を含めて世界大会初の金メダルを日本にもたらした。
 5人兄妹の三女に生まれ、兄と2人の姉にならって5歳で柔道を始めた。攻撃的スタイルは、小学生のころ守りに徹した試合を母恵美子さんに「虫みたいな柔道」と言われた悔しさが強烈だったからだ。
 「自分にとって柔道とは? 今も追い求めている。辞めたときか、頂点を取ったときに見えてくると思う」。ロンドンでつかんだ最高の輝き。24歳の目に何が映ったか。(時事)(2012/07/31-00:38)
 
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