コメント
なんだか
(
ビーバー
)
2007-01-06 04:42:19
考えてしまいました。
殆どの人は、塾長さんと同じような考えを持つし、それが普通なんでしょうね。
だけど私は、自分の親も子供も血はつながっているけれど、それだけなんです。
子供の盾になるくらいの愛情はありますけれども。
似たいとも似て欲しいとも思えない。
影響も感じたくないし、影響を受けて欲しくもない。
仲悪くないですよ、普通の家です。
それでも、家族のつながりはあっても、まったく別の人格・人間で、それぞれにあった道を見つけて欲しい。
独自の道を歩いて欲しいです。
親よりも、本や学生生活の中で影響を受けて欲しい。
たまたま、同じ家に生まれた、親子になったって感じですね。
私ってつくづく戌組の異端だなって思うけれど、こうとしか思えないんですよね。
同年代でも1括りの中には全く入れないことを改めて感じました。
しみじみ
(
ゴジ健
)
2007-01-06 08:28:49
じんわりと心の中が暖かくなってくるような気持ちになりました。
まるで塾長の父上のお姿が目の前に浮かんできそうな描写ですね。
記憶違いなら申し訳ありません、お父上は昭和8年生まれでしたっけ?
私の母は昭和9年生まれ、不仲な父は昭和7年生まれです。こんなところでも同世代ですね。
なんだかホッとしてしまいました。
ほらね!
(
ビーバー
)
2007-01-06 08:42:03
普通ならこう↑きますよねえ。
鬼っ子として生きていこっ。
でしょっ!
(
ゴジ健
)
2007-01-06 08:58:03
明らかにくっきりとした対比を表現してみたつもりです。
でもね、同年代だからって当然一括りになんかできないし、私も一括りの中になんか入っていませんよ。
ですよね。
(
ビーバー
)
2007-01-06 09:04:52
>同年代だからって当然一括りになんかできないし
そう思うんだけど、こう括られることが多いし、ましてや、同年代の人が自ら年のせいにすることも多く見聞きするから、反発したくなるんですよねえ。
一緒にしないでくれ!って思います。
天邪鬼です。
でもね
(
ゴジ健
)
2007-01-06 09:14:41
一括りにされる安心感っていう気持ちもあるのかもしれません。連帯意識みたいなものかなぁ。
そういう居心地のよさも大事なことだとは思いますけどね。
流離の一匹狼です。
でもね
(
ビーバー
)
2007-01-06 09:20:59
>そういう居心地のよさも大事なことだとは思いますけどね。
それが居心地よいかどうかも、人それぞれでしょう?
居心地よく感じる人はそれでいい。
でも、違う人がいることもわかって、無理強いしないことも大事だと思います。
うん
(
ゴジ健
)
2007-01-06 09:31:08
>居心地よく感じる人はそれでいい。
居心地よく感じるときもあるんじゃないかっていうのはどうですか?
居心地よく感じる場所もあるんじゃないかっていうのはどうですか?
今こうしているときも、塾長のここも母さまのあそこも私には居心地がいい場所です。
同年代でも一括りできないように人は様々です。お互いに居心地のいいときや場所は違っていても、そういう時間や場所を作れるといいですね。
ですね。
(
ビーバー
)
2007-01-06 09:34:29
>居心地よく感じるときもあるんじゃないかっていうのはどうですか?
>居心地よく感じる場所もあるんじゃないかっていうのはどうですか?
いいんじゃないですか。
そういう人が増えたら。
Unknown
(
ビーバー
)
2007-01-06 09:40:55
>今こうしているときも、塾長のここも母さまのあそこも私には居心地がいい場所です。
私もそうですね。
でも、それはそう自分が感じるからです。
みんなが行くから、行くと居心地がいいのとは違うってことです。
そう思われるのはごめんってことです。
Unknown
(
キャベタマ
)
2007-01-06 22:59:46
塾長さんのお父上のエピソードは、いつもほのぼのとして読んでいて気持ちが洗われる気がします。
僕は子供がいないんですが、もしいたら父として子に教えること、伝えることがあるかと考えてみると、何にもないような気がします。もっとしゃんと生きなければならないです。
小さい頃から、父親をみていて、あんな大人にはなりたくないと思っていたのに、いまや父そっくりの自分がいます。
さまざま
(
竜虎の母
)
2007-01-07 00:13:11
同じ世代というより、ちょうど干支の当たり年に同級生が見つかっちゃったというのが、そもそも不思議なご縁でしたね。あまりそれを強調すると、この場が小さく固まってしまいそうなので、控えなくてはいけないと思いながら、ついついきやすく甘えてしまっていますね。反省です。
私は、息子さんが誕生された時に、生き直せるような気がしたと書かれていたのが胸に迫りました。
命を生み出した奥様や、ご本人の息子さんにとってこれほどの賛辞はないような気がしました。
同じ文章に接しても、思うことはさまざまですし、こうしてコメントを読ませて頂くまではそれさえも気がつきません。居心地の良い場というより、いろいろな考え方が披露されることが許される場がいいですね。相反する意見でも、理解してみようと工夫する場所は、安心して寛げるような気がします。
血の絆をHNにしてはいますが、私もビーバーさんとちょっと似ているかもしれません。家族は0地点。そんな気がするので、尊敬する人に父母をあげたりすることには、ずっと違和感がありました。けして敬っていないということではないですよ。むしろ、もっと近くの存在だと思っているからなのでしょうか。
わんわん
(
みたぽん
)
2007-01-07 00:44:22
あけましておめでとうございます。
みなさん戌年なんですね。同級生かあ。
私はあまりにも口うるさい神経質な母親が苦手で、ぜったに似たくないと思っていたのに、何故か似てる自分を発見してぞっとします。
まったく同じ現象が娘にも起こっていて、時々いろんな事が自分に似ててぎょっとします。
親子の相性もあるから、コピーになるか、ネガのように反対になるかの違いはあっても、かならず怖ろしいほど影響をあたえますね。
ビーバーさん
(
塾長
)
2007-01-07 01:25:11
私が言いたかったのは、息子に見られて恥ずかしくない父親になれるよう、もっと始めから努力しなければならなかったかな?という自戒です。
私は父親に似たいとも思わなかったし、父親も自分の仕事を私に継がせようとはしませんでした。
私は自分のやりたいようにやって今まで生きてきたつもりですし、父もそれに対して一度も口を挟んだことはありません。
そうやって育ててくれたことには感謝してします。
なので、私も息子に何も強制はしていません。
大学もどこでも自分の行きたいところ(一日でたどり着けない遠隔地はダメ)に行けばいいと言ってあります。
娘も同じです。
なので、ビーバーさんの考えが異端とは思いませんし、変わっているとも思いません。
「異端」の反対語って「主流」ですよね。
主流って何?っていつも思いながら暮らしているので、異端も何?って気がします。
まあ、だれでも自分が主流なんでしょうけど。
ゴジ健さん
(
塾長
)
2007-01-07 01:27:45
「居心地がいい場所」といっていただけると嬉しいですね。
さらに居心地がよくなるよう、例のTBがたくさんつけられるような記事工夫しなけりゃいけませんね。
なんて馬鹿なことを言ってると「ばか」って声が聞こえそうなのでこの辺にしておきます。
キャべさん
(
塾長
)
2007-01-07 01:31:56
私は、17歳のときから、結婚するまで、父親と一言も話したことがありませんでした。
ちょっとした理由があったからですが、私が勝手にへそを曲げていただけかもしれません。
その時に父に不快な思いをさせたという気持ちがずっとあって、なんだか申し訳ないような気持ちを引きずりながら生きてきたような気がします。
今はちゃんとしゃべりますし、一緒に酒も飲みます。
若い頃は、まっすぐだけど、短慮ですね、やっぱり。
Unknown
(
Unknown
)
2007-01-07 01:36:11
>尊敬する人に父母をあげたりすることには、ずっと違和感がありました。
毎日一緒に暮らしている者を尊敬することってなかなか難しいですよね。
悪い点ばかり見えてしまって・・・
そんな身近にいる存在を尊敬してるって言ってはばからないのは、相手をちゃんと見ていないか、完全に理解しているかのどちらかですよね。
でも、息子や娘が尊敬する人物に私を挙げたなら、ふざけるな!と怒鳴るでしょうね。
まあ、そんな可能性は万に一つもないから大丈夫でしょうけど。
母さん
(
塾長
)
2007-01-07 01:36:51
>尊敬する人に父母をあげたりすることには、ずっと違和感がありました。
毎日一緒に暮らしている者を尊敬することってなかなか難しいですよね。
悪い点ばかり見えてしまって・・・
そんな身近にいる存在を尊敬してるって言ってはばからないのは、相手をちゃんと見ていないか、完全に理解しているかのどちらかですよね。
でも、息子や娘が尊敬する人物に私を挙げたなら、ふざけるな!と怒鳴るでしょうね。
まあ、そんな可能性は万に一つもないから大丈夫でしょうけど。
みたぽんさん
(
塾長
)
2007-01-07 01:40:06
親子もそうですけど、夫婦も結構同じようなものですよね。
他人なのに何となく似ている。
相性といえば相性なんでしょうけど、なんだか不思議な気がします。
志賀直哉の「網走まで」だったかに、親子三人の顔を見て、父と子供はよく似てるし、母と子供もよく似ている、しかし、夫婦はまるで似ていない、不思議だ、とかいう一節があったような気がしますが、そんなものなのかもしれませんね。
おはようございます!
(
ビーバー
)
2007-01-07 02:52:30
私が寝ている間に、皆さんの話が増えていて楽しいです。
塾長さん、
この記事とは関係ないんですけど、「この年になると」「・・・年取ったからだ。」っていう文を多く見ると、それ以外の年代、特に若い人は、それを「この年代特有のもの」と理解してしまいそうでいやなんです。
現実に体の衰えの部分は「特有のもの」でもかまわないけれど、あとはその人の元々の性質によるものが多いと思うから。
逆に自分がそれを逃げ道にしてしまうこともあるかもしれませんね。
だから、一括りが好きではないです。
年齢のことに限らず、違う思いを持っているときは声を出さないと、一緒くたにされがちですよね。
私は、それで居心地がよくはないので、我慢しないところが異端かなって言ったのです。
言葉の使い方が上手くないですね。
まあ、ひねくれ者といったところでしょうか。
母さま、
確かに同級生っていうのは、特別な親しみを感じていますよ。
同じ時代のいろいろな思い出を共有していますものね。
ゴジ健さんに煽られて?塾長さんの記事と話はずれちゃっていましたね。
私も、親に無条件でするのは尊敬ではなく感謝だと思います。
尊敬される人は、親だからではなく人間としてそういう人なのでしょう。
ビーバーさん
(
塾長
)
2007-01-08 01:53:29
私は、「~世代」という括りで話すのは好きではありません。
「団塊の世代」などというのはその際たる物です。
そうした括りで言われてしまうほど、あなたたちの人生って薄っぺらなんですか?と問い正しくなってしまいます。
私たちは、いろんなものに遅れてきた世代だと思います。
ビートルズはライブで聴かなかっただろうし、学生運動の荒波にももまれていません。
「しらけ世代」という括りでかたられたこともあるような気がしますが、そんなもんじゃないだろうと言うだけの気概は持っていたつもりです。
でも、それはもう若い頃の話で、今はもうそんなものもどうでもいい気がします。
だれがなんと言ったって、自分は自分だし、それをとやかく言われたって、今更どうすることもできないと思います。
自分が間違ってるかどうかなんてこともどうでもいいです。
これしかないですからこのままやっていくしかない、そんな気持ちでいます。
でも私の心はとってもアグレッシブですよ。
塾長さん
(
ビーバー
)
2007-01-08 02:44:37
>でも私の心はとってもアグレッシブですよ。
たまに見え隠れするので、本来はそうなんだろうと感じています。
でも私は、普段はそれを仕舞っておけるほど大人にはまだまだなれません。
困ったものです。
周りも困っていることだと思います。
いろいろお話ありがとうございました。
ビーバーさん
(
塾長
)
2007-01-08 13:02:17
>でも私は、普段はそれを仕舞っておけるほど大人にはまだまだなれません。
仕舞わずにガンガン外に出していける人が今の世なのか必要だと思います。
そこで軋轢が生じれば、話し合えばいいわけですから、とても大事なことだと思います。
塾でも、中学生なんかとは結構言い合ったりしています。
負けるわけないですけどね。
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殆どの人は、塾長さんと同じような考えを持つし、それが普通なんでしょうね。
だけど私は、自分の親も子供も血はつながっているけれど、それだけなんです。
子供の盾になるくらいの愛情はありますけれども。
似たいとも似て欲しいとも思えない。
影響も感じたくないし、影響を受けて欲しくもない。
仲悪くないですよ、普通の家です。
それでも、家族のつながりはあっても、まったく別の人格・人間で、それぞれにあった道を見つけて欲しい。
独自の道を歩いて欲しいです。
親よりも、本や学生生活の中で影響を受けて欲しい。
たまたま、同じ家に生まれた、親子になったって感じですね。
私ってつくづく戌組の異端だなって思うけれど、こうとしか思えないんですよね。
同年代でも1括りの中には全く入れないことを改めて感じました。
まるで塾長の父上のお姿が目の前に浮かんできそうな描写ですね。
記憶違いなら申し訳ありません、お父上は昭和8年生まれでしたっけ?
私の母は昭和9年生まれ、不仲な父は昭和7年生まれです。こんなところでも同世代ですね。
なんだかホッとしてしまいました。
鬼っ子として生きていこっ。
でもね、同年代だからって当然一括りになんかできないし、私も一括りの中になんか入っていませんよ。
そう思うんだけど、こう括られることが多いし、ましてや、同年代の人が自ら年のせいにすることも多く見聞きするから、反発したくなるんですよねえ。
一緒にしないでくれ!って思います。
天邪鬼です。
そういう居心地のよさも大事なことだとは思いますけどね。
流離の一匹狼です。
それが居心地よいかどうかも、人それぞれでしょう?
居心地よく感じる人はそれでいい。
でも、違う人がいることもわかって、無理強いしないことも大事だと思います。
居心地よく感じるときもあるんじゃないかっていうのはどうですか?
居心地よく感じる場所もあるんじゃないかっていうのはどうですか?
今こうしているときも、塾長のここも母さまのあそこも私には居心地がいい場所です。
同年代でも一括りできないように人は様々です。お互いに居心地のいいときや場所は違っていても、そういう時間や場所を作れるといいですね。
>居心地よく感じる場所もあるんじゃないかっていうのはどうですか?
いいんじゃないですか。
そういう人が増えたら。
私もそうですね。
でも、それはそう自分が感じるからです。
みんなが行くから、行くと居心地がいいのとは違うってことです。
そう思われるのはごめんってことです。
僕は子供がいないんですが、もしいたら父として子に教えること、伝えることがあるかと考えてみると、何にもないような気がします。もっとしゃんと生きなければならないです。
小さい頃から、父親をみていて、あんな大人にはなりたくないと思っていたのに、いまや父そっくりの自分がいます。
私は、息子さんが誕生された時に、生き直せるような気がしたと書かれていたのが胸に迫りました。
命を生み出した奥様や、ご本人の息子さんにとってこれほどの賛辞はないような気がしました。
同じ文章に接しても、思うことはさまざまですし、こうしてコメントを読ませて頂くまではそれさえも気がつきません。居心地の良い場というより、いろいろな考え方が披露されることが許される場がいいですね。相反する意見でも、理解してみようと工夫する場所は、安心して寛げるような気がします。
血の絆をHNにしてはいますが、私もビーバーさんとちょっと似ているかもしれません。家族は0地点。そんな気がするので、尊敬する人に父母をあげたりすることには、ずっと違和感がありました。けして敬っていないということではないですよ。むしろ、もっと近くの存在だと思っているからなのでしょうか。
みなさん戌年なんですね。同級生かあ。
私はあまりにも口うるさい神経質な母親が苦手で、ぜったに似たくないと思っていたのに、何故か似てる自分を発見してぞっとします。
まったく同じ現象が娘にも起こっていて、時々いろんな事が自分に似ててぎょっとします。
親子の相性もあるから、コピーになるか、ネガのように反対になるかの違いはあっても、かならず怖ろしいほど影響をあたえますね。
私は父親に似たいとも思わなかったし、父親も自分の仕事を私に継がせようとはしませんでした。
私は自分のやりたいようにやって今まで生きてきたつもりですし、父もそれに対して一度も口を挟んだことはありません。
そうやって育ててくれたことには感謝してします。
なので、私も息子に何も強制はしていません。
大学もどこでも自分の行きたいところ(一日でたどり着けない遠隔地はダメ)に行けばいいと言ってあります。
娘も同じです。
なので、ビーバーさんの考えが異端とは思いませんし、変わっているとも思いません。
「異端」の反対語って「主流」ですよね。
主流って何?っていつも思いながら暮らしているので、異端も何?って気がします。
まあ、だれでも自分が主流なんでしょうけど。
さらに居心地がよくなるよう、例のTBがたくさんつけられるような記事工夫しなけりゃいけませんね。
なんて馬鹿なことを言ってると「ばか」って声が聞こえそうなのでこの辺にしておきます。
ちょっとした理由があったからですが、私が勝手にへそを曲げていただけかもしれません。
その時に父に不快な思いをさせたという気持ちがずっとあって、なんだか申し訳ないような気持ちを引きずりながら生きてきたような気がします。
今はちゃんとしゃべりますし、一緒に酒も飲みます。
若い頃は、まっすぐだけど、短慮ですね、やっぱり。
毎日一緒に暮らしている者を尊敬することってなかなか難しいですよね。
悪い点ばかり見えてしまって・・・
そんな身近にいる存在を尊敬してるって言ってはばからないのは、相手をちゃんと見ていないか、完全に理解しているかのどちらかですよね。
でも、息子や娘が尊敬する人物に私を挙げたなら、ふざけるな!と怒鳴るでしょうね。
まあ、そんな可能性は万に一つもないから大丈夫でしょうけど。
毎日一緒に暮らしている者を尊敬することってなかなか難しいですよね。
悪い点ばかり見えてしまって・・・
そんな身近にいる存在を尊敬してるって言ってはばからないのは、相手をちゃんと見ていないか、完全に理解しているかのどちらかですよね。
でも、息子や娘が尊敬する人物に私を挙げたなら、ふざけるな!と怒鳴るでしょうね。
まあ、そんな可能性は万に一つもないから大丈夫でしょうけど。
他人なのに何となく似ている。
相性といえば相性なんでしょうけど、なんだか不思議な気がします。
志賀直哉の「網走まで」だったかに、親子三人の顔を見て、父と子供はよく似てるし、母と子供もよく似ている、しかし、夫婦はまるで似ていない、不思議だ、とかいう一節があったような気がしますが、そんなものなのかもしれませんね。
塾長さん、
この記事とは関係ないんですけど、「この年になると」「・・・年取ったからだ。」っていう文を多く見ると、それ以外の年代、特に若い人は、それを「この年代特有のもの」と理解してしまいそうでいやなんです。
現実に体の衰えの部分は「特有のもの」でもかまわないけれど、あとはその人の元々の性質によるものが多いと思うから。
逆に自分がそれを逃げ道にしてしまうこともあるかもしれませんね。
だから、一括りが好きではないです。
年齢のことに限らず、違う思いを持っているときは声を出さないと、一緒くたにされがちですよね。
私は、それで居心地がよくはないので、我慢しないところが異端かなって言ったのです。
言葉の使い方が上手くないですね。
まあ、ひねくれ者といったところでしょうか。
母さま、
確かに同級生っていうのは、特別な親しみを感じていますよ。
同じ時代のいろいろな思い出を共有していますものね。
ゴジ健さんに煽られて?塾長さんの記事と話はずれちゃっていましたね。
私も、親に無条件でするのは尊敬ではなく感謝だと思います。
尊敬される人は、親だからではなく人間としてそういう人なのでしょう。
「団塊の世代」などというのはその際たる物です。
そうした括りで言われてしまうほど、あなたたちの人生って薄っぺらなんですか?と問い正しくなってしまいます。
私たちは、いろんなものに遅れてきた世代だと思います。
ビートルズはライブで聴かなかっただろうし、学生運動の荒波にももまれていません。
「しらけ世代」という括りでかたられたこともあるような気がしますが、そんなもんじゃないだろうと言うだけの気概は持っていたつもりです。
でも、それはもう若い頃の話で、今はもうそんなものもどうでもいい気がします。
だれがなんと言ったって、自分は自分だし、それをとやかく言われたって、今更どうすることもできないと思います。
自分が間違ってるかどうかなんてこともどうでもいいです。
これしかないですからこのままやっていくしかない、そんな気持ちでいます。
でも私の心はとってもアグレッシブですよ。
たまに見え隠れするので、本来はそうなんだろうと感じています。
でも私は、普段はそれを仕舞っておけるほど大人にはまだまだなれません。
困ったものです。
周りも困っていることだと思います。
いろいろお話ありがとうございました。
仕舞わずにガンガン外に出していける人が今の世なのか必要だと思います。
そこで軋轢が生じれば、話し合えばいいわけですから、とても大事なことだと思います。
塾でも、中学生なんかとは結構言い合ったりしています。
負けるわけないですけどね。