今回のトークショーは私にとっては今までのコンサートで聞いたお話しがほとんど。
昨日は終了が9時20分頃だったので1時間40分ぐらいおしゃべりしてくてました。
でも初めて聞いたお話しもちょこっとあったりして。
オリンピックの野球やソフトボールの話をしているときに、ちょっとつまんない顔してた私。
そんなときJulieったら客席見ているのね。
また野球の話して、なんて思ってるでしょうけど、
これは人生の話をしているんだからとお話しが違う方向へ。あぁよかった。
慇懃無礼と言われたこと。
最近、年下の知人に「Julieは慇懃無礼」と言われたらしい。
言われたのは2回目。
1回目は昔、日生劇場のリサイタルのパンフレットに書かれたとき。
書いた人の名前は忘れました。
♪I Believe In Music♪の訳詩のときのこと。
「武器を捨てて音楽を信じよう・・・」その人が訳した、
あからさまな言葉が若い頃のJulieは嫌いだったそう。
なので自分で作詞したそうです。
昔Julieと一緒に歌ったあの曲にそんな経緯があったなんて初めて知りました。
年下の男性からJulieって呼ばれるのは見下されているようで嫌だと。
尊敬してくれなくてもいいから、ちょっと年上扱いしてほしいとも。
やはり若い男性は沢田さんっていうのがいいのかな。
女性は年齢問わず堂々とJulieって呼んでいいのね。
沢田研二のことをよくお勉強してから「Julie」って呼ぼう!!!
あだ名のお話しで「Julie」の由来、や「どんぐり目のガリボソ」、
上田正樹さんのお兄さんがつけた「分吉」のお話しは何度か聞いたけれど、
文吉少年がパチンコする姿を再現してくれました。
60になって頑固ジジイでいいと。
中年の頃は物分りが良すぎたというJulieだけれど私はそう見えなかった。
昔から頑固なJulieだったと思う。
SONGS出演のお話。
「その時歴史は動いた」だった?かの松平さんにナレーションをお願いしたそうです。
久しぶりにNHKの101スタジオに行ったら中がすっかり変わっていた。
今ではテレビ局が新しくなっているので行ったことないテレビ局がたくさんある。
テレビ東京も汐留の日テレも行ったことがない。
受付?警備員さん?から何処へ行くのと尋ねられて「沢田研二」ですと名乗ると顔見てもわからない人でも沢田研二の名前は知っている人が多いと。
長い間テレビに出ていないとそんなものなのねぇ。
最近はテレビに出ていないので町を平気で歩けると。
広島や他のところでも聞いたお話。
沖縄で買ったパイナップルのついた帽子、チェックのバミューダ、
派手なアディダスのスニーカーを履いて長者町のスーパーで買い物して、
おサイフにお金をそろえて入れているときにお札を落としたときのこと。
自分よりずっと若い男性に「兄ちゃん」って言われた話。
地名を聞いたのは今回が初めて、やっぱり横浜だからね。
でも長者町に何をしに行ったのかしら。
わざわざスーパーだけに行ったとは思えないけれど。あそこの帰り?
沖縄のパイナップルの帽子はあそこで見た帽子だわ。
頭は金髪で、あんな派手な格好していたら若者と間違えられて当然ね。
顔を見てもらえたら、あらJulieに似た人だわなんて思われたかも。
Julieを知らない年代?まさかあの沢田研二がスーパーで
買い物しているなんて誰も思わないかしら。
Julieの口から「ザ・ピーナッツ」と。
自分がピーナッツに作った「東京の人」を椎名林檎さんが歌ったとき、
わりと好きな人だったので、ま、ええかと思ったけれど
自分の歌を歌わせてくれ、と言われたら断っている。
好きな人が歌うなら別だけどとも。
断りを入れなければいいみたいだけど。。。
自分が生きてるうちはトリビュートなんて絶対させないと。
初めて芝居をやったときのこと。
唐さんと蜷川さんとのお芝居「滝の白糸」で主役が李礼仙さん。
客席に下りて舞台に向って大きな声でセリフ言う場面。
「姉さん~~」って声張り上げて頭いたくなって、二度とやりたくないと思ったそう。
二度目は「貧民倶楽部」浅丘ルリ子さんが主役、
このお芝居でも遠くまで聞こえるような大きな声で、「姉さん~~」のセリフ。
本当にお芝居はもう嫌と思ったそう。
これは私が初めて見たJulieのお芝居。そんな思いで演じていたとは。。。
あ、でもJulieの声は強いって。
「追っかけ」に怒鳴りちらしていたからと。
再現してくれました。あ~昔は恐かった~、
2~3年前も何処かの駅で追っかけて行く人達に向って怒鳴っている現場を
遠くから見ていた私。
グローブ座は10年続けた。
アイドルも10年続けた。
売れなくなって観念するまでに10年かかった。
10年は自分にとって何かをあきらめさせてくれるし、また新たな発見もさせてくれる。
詩や曲を作るお話。
昼に3~4時間かかってもできないときと、夜に思いつくこともある。
今までで、一番早くできたのは♪ACB♪。
急に作らなくてはいけなくて、昔の思い出を書いたらすぐにできちゃったそう。
以前は88までやると言ってたけど、今は現実的になってきた。
60は60なりの知恵を使ってやってく。
できなくなったら、そのときに、楽天的に考えているそう。
あまり頑張らず、ほどほどに、いざと言うときに頑張るそうです。
頑張り時はドームかな。
気が変わらない限り今のところ、一人でやるそうです。
こんな感じで今のJulieの心境を聞けました。
コンサートのMCとの違いは?
まあ「Julieと同じ時間を過ごすことに大きな意味がある」トークショーだから。
Julieから口が酸っぱくなるほど聞かされた言葉。
さて、次回はどうする?きっと横浜であればまた行くんだろうなぁ。
昨日は終了が9時20分頃だったので1時間40分ぐらいおしゃべりしてくてました。
でも初めて聞いたお話しもちょこっとあったりして。
オリンピックの野球やソフトボールの話をしているときに、ちょっとつまんない顔してた私。
そんなときJulieったら客席見ているのね。
また野球の話して、なんて思ってるでしょうけど、
これは人生の話をしているんだからとお話しが違う方向へ。あぁよかった。
慇懃無礼と言われたこと。
最近、年下の知人に「Julieは慇懃無礼」と言われたらしい。
言われたのは2回目。
1回目は昔、日生劇場のリサイタルのパンフレットに書かれたとき。
書いた人の名前は忘れました。
♪I Believe In Music♪の訳詩のときのこと。
「武器を捨てて音楽を信じよう・・・」その人が訳した、
あからさまな言葉が若い頃のJulieは嫌いだったそう。
なので自分で作詞したそうです。
昔Julieと一緒に歌ったあの曲にそんな経緯があったなんて初めて知りました。
年下の男性からJulieって呼ばれるのは見下されているようで嫌だと。
尊敬してくれなくてもいいから、ちょっと年上扱いしてほしいとも。
やはり若い男性は沢田さんっていうのがいいのかな。
女性は年齢問わず堂々とJulieって呼んでいいのね。
沢田研二のことをよくお勉強してから「Julie」って呼ぼう!!!
あだ名のお話しで「Julie」の由来、や「どんぐり目のガリボソ」、
上田正樹さんのお兄さんがつけた「分吉」のお話しは何度か聞いたけれど、
文吉少年がパチンコする姿を再現してくれました。
60になって頑固ジジイでいいと。
中年の頃は物分りが良すぎたというJulieだけれど私はそう見えなかった。
昔から頑固なJulieだったと思う。
SONGS出演のお話。
「その時歴史は動いた」だった?かの松平さんにナレーションをお願いしたそうです。
久しぶりにNHKの101スタジオに行ったら中がすっかり変わっていた。
今ではテレビ局が新しくなっているので行ったことないテレビ局がたくさんある。
テレビ東京も汐留の日テレも行ったことがない。
受付?警備員さん?から何処へ行くのと尋ねられて「沢田研二」ですと名乗ると顔見てもわからない人でも沢田研二の名前は知っている人が多いと。
長い間テレビに出ていないとそんなものなのねぇ。
最近はテレビに出ていないので町を平気で歩けると。
広島や他のところでも聞いたお話。
沖縄で買ったパイナップルのついた帽子、チェックのバミューダ、
派手なアディダスのスニーカーを履いて長者町のスーパーで買い物して、
おサイフにお金をそろえて入れているときにお札を落としたときのこと。
自分よりずっと若い男性に「兄ちゃん」って言われた話。
地名を聞いたのは今回が初めて、やっぱり横浜だからね。
でも長者町に何をしに行ったのかしら。
わざわざスーパーだけに行ったとは思えないけれど。あそこの帰り?
沖縄のパイナップルの帽子はあそこで見た帽子だわ。
頭は金髪で、あんな派手な格好していたら若者と間違えられて当然ね。
顔を見てもらえたら、あらJulieに似た人だわなんて思われたかも。
Julieを知らない年代?まさかあの沢田研二がスーパーで
買い物しているなんて誰も思わないかしら。
Julieの口から「ザ・ピーナッツ」と。
自分がピーナッツに作った「東京の人」を椎名林檎さんが歌ったとき、
わりと好きな人だったので、ま、ええかと思ったけれど
自分の歌を歌わせてくれ、と言われたら断っている。
好きな人が歌うなら別だけどとも。
断りを入れなければいいみたいだけど。。。
自分が生きてるうちはトリビュートなんて絶対させないと。
初めて芝居をやったときのこと。
唐さんと蜷川さんとのお芝居「滝の白糸」で主役が李礼仙さん。
客席に下りて舞台に向って大きな声でセリフ言う場面。
「姉さん~~」って声張り上げて頭いたくなって、二度とやりたくないと思ったそう。
二度目は「貧民倶楽部」浅丘ルリ子さんが主役、
このお芝居でも遠くまで聞こえるような大きな声で、「姉さん~~」のセリフ。
本当にお芝居はもう嫌と思ったそう。
これは私が初めて見たJulieのお芝居。そんな思いで演じていたとは。。。
あ、でもJulieの声は強いって。
「追っかけ」に怒鳴りちらしていたからと。
再現してくれました。あ~昔は恐かった~、
2~3年前も何処かの駅で追っかけて行く人達に向って怒鳴っている現場を
遠くから見ていた私。
グローブ座は10年続けた。
アイドルも10年続けた。
売れなくなって観念するまでに10年かかった。
10年は自分にとって何かをあきらめさせてくれるし、また新たな発見もさせてくれる。
詩や曲を作るお話。
昼に3~4時間かかってもできないときと、夜に思いつくこともある。
今までで、一番早くできたのは♪ACB♪。
急に作らなくてはいけなくて、昔の思い出を書いたらすぐにできちゃったそう。
以前は88までやると言ってたけど、今は現実的になってきた。
60は60なりの知恵を使ってやってく。
できなくなったら、そのときに、楽天的に考えているそう。
あまり頑張らず、ほどほどに、いざと言うときに頑張るそうです。
頑張り時はドームかな。
気が変わらない限り今のところ、一人でやるそうです。
こんな感じで今のJulieの心境を聞けました。
コンサートのMCとの違いは?
まあ「Julieと同じ時間を過ごすことに大きな意味がある」トークショーだから。
Julieから口が酸っぱくなるほど聞かされた言葉。
さて、次回はどうする?きっと横浜であればまた行くんだろうなぁ。
私の場合は、初トークショーでしたが。
胸がいっぱいで、お食事もあんまり進まなかったし・・・
コンタクトレンズを度の強いJulieバージョンにするのをうっかり忘れて行っちゃって、しかもしてるコンタクトが曇ってきて、せっかくの1列目のテーブルなのにぼや~んてJulieの目線が何処見てるかもわからなくって、大層もったいないことをしてしまいました。
一人参加で不安だったのですが、周りの方が良い感じのみなさんで、嫌な思いをすることもなく楽しく過ごせて良かったです。
お隣は20代の可愛らしいお嬢さんで、「若いファン増えてますよ」って言ってらして、「あらぁJulie良かったわね」と思った次第です。
pekoさんに、お会い出来るのはいつかしら~
初参加で1列目、胸いっぱいの気持ちわかります。
私も昨年は1列目真ん中よりでJulieのシミまで見えるお席でした。。。
Julieの目線がわからなかったなんて、なんてもったいないことを。
1人参加でも皆Julieが好きな人達ですもの、楽しく過ごされてよかったですね。
いつかお会いできることを楽しみにしています。
明日は9列左側にいます。