ピーの講演会から1週間もたって
すっかり余韻も色あせたけれど とりあえず。
ロビーでお見かけしたサリー
前半は 一番後ろで ずっとピーをみつめて
後半の部で 同級生の坂田氏に促されて 壇上に。
左から坂田氏、ピー、サリーと3人並んで ファニーズになる前のころの思い出話。
ザ・タイガースの頃の自分を知っているひとの前で 緊張?しながら
原稿をときどき見ながらのお話しも終わって
休憩をはさんでほっとして。
学生時代の自分を知っている同級生に囲まれて
とってもリラックスしている様子のピーでした。
私の知っているザ・タイガースのころのピーが ちらっと。
昭和43年3月 地下の狭い空間 新宿ACBで
初めての生ピーは 笑顔の明るいピー。
それから3年後の
昭和45年12月には悲しい噂が発表され
事実確認のために 狭い空間に足を運んで
みんなで笑顔になろうと努力して でも事実は隠されたまま
ステージにいるザ・タイガースのメンバーも
そのことにふれずに 歌を歌って
客席も そのことにふれたくないおもいで歌を聴いて
クリスマスの時期だから
ケーキのロウソク Julieがふぅっと消して
クラッカー パンパンと鳴っていたのに なんだか悲しいクリスマス。
それでも みんなで ♪きよしこの夜歌って
♪あわて者のサンタ(作詞:瞳みのる/作曲:森本太郎)を一緒に歌って。
その翌年昭和46年の1月最期のお別れな武道館の解散のときよりも
クリスマスの時期に
狭い空間ですごしたときのことがココロに残って
笑顔じゃないピーの表情。
ときどき原稿を見ながら ずれたメガネをちょっとあげる仕草に
41年前の クリスマスの時期に笑顔になれないピーの表情と重なって。
武道館のつづきというより
私にとっては ジャズ喫茶のつづきのようだった。
ピーが生まれた近所の京都アスニーホールで聴いた
同級生な3人のお話
へぇ~。。。。。
ファニーズになる前の人見豊さんと岸部修三さんのこと
沢田青年と出会う前のことだから。。。。
3人の思い出話は京都アスニーホールにそのまま置いて。
天国にいる池袋ドラムで出逢ったピーフアンの想いと
43年前にザ・タイガース鑑賞方法伝授してくれた還暦過ぎのピーファンの想いを
新幹線で京都まで連れていってピーに届けることができて
それだけで。
私が最初に Julieと ピーと そしてサリー、タロー、かつみと
出逢った狭い空間 新宿ACB
Julieが美しい想い出として
今から11年前に Julieの宝物として 歌におさめてくれたくれたから
♪ACB(作詞:沢田研二/作曲:伊豆田洋之)の歌の中に
ピーの笑顔の想い出も しまっておこう。
ジャズ喫茶や 武道館のつづきのピー
武道館が終わって
その日にドラムセットをトラックに積んで京都へ戻って。
それから40年後
Julieが歌うLIVE会場の客席で
Julieが演じる劇場の客席で
そして 京都アスニーホールでは壇上で
次は 国際フォーラムのステージで
DVDで見た ピーのドラム演奏
お客さんを前にしたら 表情もかわるかしら
笑顔のピーに期待しよう。
2011年、地元パシフィコ横浜で
ピーを見るときはクリスマスの頃
昭和45年12月 悲しい思いで聴いた♪あわて者のサンタ
あのときのメンバーもいるとなお嬉しいけれど
あれから41年後のクリスマスな頃に
♪さあ みんなで 楽しいクリスマス 夜があけるまで~
って歌えること願って。
男性は1~2%程度でしたね。
当時のジャズ喫茶のような観客とピーの掛け合いがよかったです。
僕は東京から新幹線で行きましたが、あの空間は本当に最高でした。
そうですか、あわて者のサンタ、ありましたね。懐かしいです。
もうじき、武道館。
武道館には、解散後に、ピーのファンで植林した木があり、毎年、1月24日には、その木の下に、みんなで集まり、タイガース、とりわけ、瞳みのるを懐かしんでいました。
今年は、みんな、館内に集まれますね。
あわて者のサンタさんが、40年間応援したピーのファンに、生涯最高のプレゼントを贈ってくれました。
あのどしゃぶり雨のアスニーホールでご一緒だったのですね。
開場前の行列で数名の男子をお見かけしました。
>人見先生の講演会が一番嬉しく緊張感ありま した。
壇上のピー自身も、生徒の前ではなく40年前のピーを知っているひとの前で、ちょっと緊張だったかもしれないですね。
武道館に植林した木は40年経ってりっぱな樹に育っているのでしょうね。
樹の成長が、ピーの、ピーのフアンのひとの、それぞれの40年。時の重さを感じさせてくれますね。
武道館であの日の続きをして、翌日からピーとピーアンの新しい船出になりますね。
ピーの今後の活躍を祈念して、毎回ジュリーと一緒に掛け合いして目いっぱいの声援送っています。