♪夢見る時間が過ぎたら♪

歌人生60周年もうすぐの「沢田研二」のページをめくりながら
今と昔を紡ぎながら

沢田研二鑑賞方法あれやこれやのつづき

2011年01月19日 23時05分58秒 | JULIE

いろんな鑑賞方法で楽しんできたけれど。

こだわり鑑賞は、沢田研二に何を求めるかによってもいろいろ。

誰かさんは、いっぱい年輪重ねて身もココロも、まあるくなったと思ったら、そうじゃなくて。

 

自分のこと、ロウジンって歌っておきながら、

ココロの中は、いっつもワカモノみたいにドキドキしていたいんじゃん!

 

そこらへんにいるおじさんよりもっとオジサンにみせかけておいて

板の上にあがったら、人を好きになった少年のような、青年のような気持ちなって歌えるなんて。

 

誰かさんのことまあるいカーブって言った私だけど、多角形みたい。

たくさんの角が繋がってカタチになって。

見る角度によっていろんな輝きが感じられる。

一番輝く角度をみつけるのがちょっと難しい。

 

砂の中に光るものみつけるのも難しいけれど。

 

見つけたときの感動は、困難を乗り越えた人にだけ味わえるのかなぁって。

そこに光るものあるよって教えられて、手にしてもそんなに感動はできないもの。

 

便利な世の中になって、感動を疑似体験できる時代だけど。

登らなくても富士山の映像みてるだけでもすごいって感動できる。

でも、映像じゃない富士山の景色、自分の目で見たらもっと感動。

で、側に行ったらもっと感動。

で、登ってみたら、今まで味わったことのない感動が。

でもそこにたどりつくまでには、いろんな困難が。

 

 

山のことお勉強しなくても、連れて行ってくれるサービスもあって。

険しい山のこと知らなくても誰でも、簡単に山の頂上まで行けたりする。

 

小さい山をいくつも登って、いろんな経験を積み重ねて、そして最後に一番高い山の頂上へ。

自分の足でいろんな経験を積み重ねて登った人と、頭でお勉強して初めて登った人では感動も違うだろうとも思う。

簡単にできちゃったことと、あれやこれやしてやっとできたときの喜びが違うように。

 

誰かさんの鑑賞方法も、そうかしらなんて。

LIVEは、そのとき、その瞬間、板の上にいる人、客席にいる人だけが味わえるナマモノ。

でも今じゃどんなに遠くの場所の人でも、ちょっとの時間差で、疑似体験ができる。

 

私も、こんなページやあっちのページで、時間差でこんなことがあったよって書いているけれど。

 

好きな人のこと、たくさんの同じ思いの人と共有したらもっと楽しいはずだったのに。

最近ちょっと違うかなぁって思えて。

その場所に行けないひとのためになんて思って、せっせと書いたときもあったけれど。

最近、誰よりも早く報告しなくちゃな人もいて。

その報告が自分の感想じゃなくて、歌った曲を一番のりで。

LIVE終了して余韻も楽しまずに、報告するためにだけ。

自分のためにじゃなくて疑似体験したいひとのため?

 

歌う人は同じ空間で楽しいよって感じてもらうのが一番だと思ってるのに。。。。

 

ナマモノのほんとうの楽しみ方知らないのかなぁって。

 

ジュリー祭りで80曲書いてあって、ちょっとドキドキ半減。

やっぱり知らないで最初の1曲目を聴きたかったもの。

いろんな事情で開演前に発売するしかなかったのかもしれないけれど。

で、それの曲目書いてあるてぬぐいの写真、即載せちゃった自分も

 

 

 

 

ちょっと違うかなぁって思い始めたら、ちゃんと数字がそのこと教えてくれて。

 

そうだねって。

自分のいけないことの反省もしつつ。

 

 

LIVEの初日、どんな曲?どんな衣装?あれやこれやでドキドキしたり、

歌ってくれる曲におーとかきゃーとか、思い思いに反応して。

歌っているひとも客席も、真っ暗闇でひかりみつけたみたいに何かを感じる。

それが初日かなって思うけれど。

 

 

自分が初めての日が初日だと思うけれど。

渋谷二日目、初日の人もいたはずなのに、みんな横並びの反応。

いち早く報告した人が、そういうものって書いたら、みんなそうなのって。

ほんとうの楽しみ方はそうじゃないと思うけれど。

 

自分の感じるままにしたらいいのに。

 

 

 

誰かさんが、歌詞どおりにしなくても、ちょっと歌詞がでてこなかったりしても

それを厳しくチェックして、えっへんはしたくないなぁ。

いろんな街で特別バージョン聴いてるから、あらラッキーってね。

 

LIVEは音楽の時間じゃないんだから、採点じゃなくて音を楽しもう!

自分に完璧を求めたりしたこともあったけれど、そうじゃなくなってからのほうが楽しいって思えたりもして。

 

完璧が正しい?美しい? 楽しい?

 

ちょっとずれてる周波数が心地良かったりもしたり。

 

 

誰かさんの鑑賞方法が違ってくるとちょっとね。

 

それよりも、こだわり鑑賞方法のこと。

席をあたためたい鑑賞や六感つかって鑑賞以外のこと。

ケンちゃんとおんなじフリをして、一緒の気持ちになりたいって女子も多いけれど

女子みたいな男子もいたり、一緒にジャンプしたり、あいらぶゆぅもしたり。

立って鑑賞派でも、じっとしたままとか、フリはしないけど身体は音と一緒に動いて。

身体は音と一緒に動いているけれど、足元が弾むひともいれば弾まない人もいて。

身体で反応しなくても、手が痛くなるほど手拍子したり、手拍子しない人もいて。

どんな方法でケンちゃん楽しんでもいいけれど。

 意思をもって手拍子しない人もいて。

 

歌い終わったケンちゃんにはおしみなくいっぱい拍手するけれど

ケン歌ってるときは、手拍子イヤっていう人、

手拍子で、ケンちゃんのいい声がかき消されてイヤだって。

そうそう、いつか、せっかくケンちゃんアカペラで歌ってくれてるのに手拍子イヤって思ったけれど。

遠い町にいくと、一緒に楽しんでるよの意思表示が全部手拍子になっちゃうこともあったり、

あら、ケンちゃんの歌って全部演歌だったっけなんて思うことも。

 

でも、ケンちゃんとおんなじ気持ちになりたいひと、楽しいよって表現方法が手拍子しかできないひとのほうが多数派。

手が痛くなるほどいっぱい拍手して! ケンちゃんの声をじゃましない手拍子を!

ふたつの手、ケンちゃんに程よく使いましょう なんて。

 

 

ケンちゃん楽しみ方法いろいろあって。

自分の今までの経験で、側に楽しそうにケンちゃん鑑賞しているひとがいると楽しさ倍増。

いっつも同じ環境の場所でケンちゃん鑑賞しないから、いろんな楽しみ方味わえて。

 

ケンちゃんのほんとうの楽しみ方お勉強するって、疑似体験より現場体験積み重たほうが近道だと思うけれど。

 

自分の積み重ねた経験のいいとこそうでないことあれやこれや。

 

ネットの環境の中にいる自分だけど、ちょっと反省もふくめて。

歌っているひとが、ナマモノの反応楽しめなくなっちゃイヤだから。

 

時間経過して思い出綴ろうがいいのかなぁ。

忘却の天才も サーモスタットな夏も 耒タルベキ素敵も 時間経過しすぎだけど。

 

こだわり鑑賞するから、弾けたあとの深呼吸も誰かさんと一緒に。

まあるいカーブの腹式呼吸、真ん中じゃなくて、ちょっとななめから、カーブが動くの感じて

その呼吸を感じたいって触れてみたいなんて思ったり。

 

ロウジンにみせかけておいて、真っ白いごほんの指先がちょっとづつちょっとづつスローモーションのように動いて、どんだけ妖しい指先なの。

そのちょっとづつちょっとづつにすごいドキドキさせてもらって。

きつねさんの指先もピンとして。

だからお顔見るの忘れちゃって。

 

そんなに妖しい指先なのに GO GO が 五 五になっちゃったりしてオジサンなんだけどね。

 

あのときラップ見たいって思ったら、次のときラップ歌うワカモノみたいな誰かさんだったり、ほっそりなおみあしにぞくぞく。

妖しい動きが小学生みたいだったり、どこまでも楽しませてくれるから

・ になっちゃうのよねロウジンなのに。

 

こだわり鑑賞書いてたら、おんなじこだわり鑑賞地元友から今夜もお月様きれいよって。

 

さぶっなのに窓開けたら

ほんとキレイ。

誰かさん、今夜は同じ空の下じゃないとこから 見てるかなぁ。

 

こだわり鑑賞報告いつまで? 

 

 

 

 

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