♪夢見る時間が過ぎたら♪

歌人生60周年もうすぐの「沢田研二」のページをめくりながら
今と昔を紡ぎながら

むっつりケンの歌を読んだあとに。

2010年12月02日 23時56分48秒 | JULIE

読んだのは朝の通勤電車の中で。

通勤電車の中で読む本じゃなかったわと。

涙があふれそうで、堪えるのがタイヘンでした。

それなのに今朝も、地下鉄に乗って同じページをめくって。

 

隣の席に座っていたおじさん、いきなり奥様が作ったらしきお弁当箱ひろげて。

朝7時ごろの電車だったので、そんなに混雑はしていないけれど

美味しそうにシアワセそうに食べている隣で、あのページはもったいなくて。

 

「むっつりケン」の次の133ページ、「ひなたぼっこねこ」を読むことにしました。

パリから少し離れた美しいお城のある街で暮らしたねこのお話し。

パリ、ねこ、ときたらJulieが演じたDORAに繋がる私だけれど。

DORAみたいに元気じゃなくて、うすっぺらで消え入りそうなねこちゃん。

鍵みたいにぺったんこだからクレって名前つけられて。

今江祥智さんはねこを鍵みたいって表現して。

 

鍵といえば先日の札幌のJulieは鍵穴からのぞいたJulieみたいって。

ニトリ文化ホールで見たJulieは鍵穴からのぞいたようなちっちゃくてほっそりしていた。

自分が背が低いからしかたないけれど、前の二人の肩越しに見えるほんの数センチの細い隙間からのJulie。

空とんで小さな鍵穴をみつけに行ったような気分。鍵穴の向こうに見えるちいさなちいさなJulieにドキドキして。

開かないドアの鍵穴みつめる怪しい私だったかも。

 

あそこにクレがいたならよかったのに。

 

そして札幌の翌日、新冠の園児に繋がって。

新冠町レ・コード館でお遊戯会のリハーサルをしていた幼稚園児たち。

あのとき、3日後にステージに立つJulieに思いを馳せて、ホールの中にいる幼稚園児に自分を重ねて。

幼稚園児を経験していないからお遊戯会も未体験な私。

ものごころついた頃に、みんなと違う自分を知って。

みんなと同じな姉がいっつも幼稚園から泣いて帰ってきて。

みんなと違うから幼稚園ってトコはきっと泣いてばかりいるところなんだろうって。

自分の意思で行かないって決めたらしいことずっと後から聞いて。

生まれてまだ4~5年で人生?の決断?していた自立していた幼児だった?

いろんなこと学ぶ時期におばあちゃんと白菜漬け食べてお茶のみしていた日々。

そのときに学んだのは、お裁縫と絵を描くことと おとなの話を聞くこと。

小学校に入学したら、みんなについていけなくてタイヘン。

みんなと考えること同じじゃなくて、先生とも同じじゃなくて。

言いたいことは椰子の実の中にしまって。

教室のすみっこでむっつりな小学時代でした。

ぼーっとして窓の外みつめて。

それでも家に帰ったら口が達者な私でした。

歌うことが好きだったのに、学校ではキライでした。

先生のピアノに私の低い声が合わなくて。

 

なんだか じさまに似てる ばさま だったのかなぁ あの頃。

 

 

歌う時間があんなにキライだったのに、数十年後にはコーラスなんてして。

今じゃ、音に弾けて弾んで。

はいいろの冬みたいな小学時代が終わって鮮やかに色づいたのは。

 

むっつりな歌い手がブラウン管に登場した翌年。

 

あのときに、いしころから守ってくれた兄はスティック持って。

幼稚園で泣いてばかりいた姉はジャズ喫茶のライブレポが上手で

いっつも、その場所にいるような気分にさせてくれて。

 

こんじきいろした人差し指は、はいいろした冬から

さくらいろした春へとかえてくれて。

 

それから数十年経ったある日、誰かさんが言いました。

みんなと違うコトは個性だと思って。

神様がみんな別々につくってくれたんだから。

 

 

ジュリーをモチーフに書かれた童話。

今江祥智さんにとってあのとき、Julieの存在はどんなものだったのかな。

ステージで華やかに歌うJulieの中にひそんでいる 何かをみつけたとき。

 

本人も無口な少年だったとどこかで言っていたけど。

無口をむっつりと表現して。

むっつり=口数が少なく愛想がないさま。

 

あれからずいぶん時が経ってオシャベリになった誰かさん。

時間がたっぷりあったら、お口が止まらない誰かさんかも。

あ、トークショーなのに、ときどき時間をもてあましちゃうなんてこともあるけれど。

ステージに立っているときはオシャベリで可愛くて。

ステージおりたら、私達の前では昔のまんま。

いつしか愛想がないのが誰かさんらしくていいのなんて思うようになって。

今は愛想しちゃったらアトがタイヘンだから?

 

ほんとうのケンは無口じゃなくて、言いたいこといっぱいあったけれど

同い年の子達と考えていることが違って、

違う次元にいたケンなのかも。

 

ケンジがすべり台のてっぺんにのぼって俯瞰で見たずぅっと昔の自分。

 

あの物語と同軸でずぅっと離れた場所で ケンと同じ次元にいたのかなぁ私。

 

鍵で、また昨日に戻って寄り道して、

また日なたぼっこねこのつづき読まなくちゃ。

 

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2 コメント

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読みました。 (もじもじそわそわ)
2010-12-03 13:47:27
こんにちは。

図書館で本を借りてきました。
でも、やっぱり自分のが欲しくて、図書館の帰りに子どもの本専門店に行って注文してきました。
あるかどうかはわからないのですが。

今江祥智先生がどうしてあの作品を創られたのか、お伺いするチャンスがあるといいなあ……。

ときどき法然院で個展している私の幼なじみは、『畑ゑり子』といいます。名前で検索していただければ絵を見ていただくことができます。アトリエは法然院の近くだと思います。

あの景色の中のブランコとすべり台、ケンちゃんちからわりと近いですからきっと遊んでたんしょう。
また、見に行ってみます。そおっと、ケンちゃんに見つからないようにね。

素敵な情報ありがとうございました。


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手元においておきたい本ですね。 (juli-peko)
2010-12-03 21:38:38
>もじもじそわそわさん
こんばんは。
早速、読まれたのですね。
ブランコとすべり台を見る前に本と出合っていたら、きっとその場所に行ってみたいと思いますよね。ケンちゃんが遊んだかもしれない場所に。
そおっとね。

畑ゑり子さんの絵を見てきました。
ほっこりさせてもらいました。

「窓のむこう」って絵を書いた幼なじみのゑり子さんにお会いしたくなりました。

次回京都会館へ行くときには法然院近くのアトリエを探してみますね。
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