♪夢見る時間が過ぎたら♪

歌人生60周年もうすぐの「沢田研二」のページをめくりながら
今と昔を紡ぎながら

大輪茂男さんが語るジュリー その1

2016年01月05日 17時33分56秒 | 沢田研二

1月3日 東海ラジオで放送された番組

J-POPタイムカプセル~あの日からあの日へ~

時間差でユーチューブで聴いて

あれこれ思ったこと

 

Julie愛好家の中で

Julieのプロデューサーだったことを

知ってるひと 知らないひと それぞれのようで

きょう電話で 会話したJulie愛好家

ザ・タイガースから現在まで、ずっとだけれど

すぐには思い出せずだったり

 

ラジオを聴いて 初めて名前を知ったひとと

そうじゃないひととは 感想も違うのかな?

 

番組のパーソナリティーは田家秀樹さん

<大輪さんの紹介>

音楽プロデューサーで 元渡辺プロ制作部

Julieの事務所ココロのプロデューサーだった大輪茂男さん

 

インタビュー内容の順番じゃなく

大輪さんがナベプロに入った頃の曲1969年の♪美しき愛の掟♪を選んで

ザ・タイガースの沢田研二の思い出を語って

大輪さんがナベプロ入社した頃、

トッポが脱退して

タラップから降りてくるシローを羽田まで迎えに行ったそう

このとき、中井国二さんは大プロデューサーで

日本のロックはこの人がいたからだと

 

<田園コロシアムは日本の野外の最初ではないか>

大輪さんは、あのときステージの裏側で見ていたそう

タイガースのオリジナル曲はあまりやらずに♪I Put A Spell On You♪など

あの頃はスモークなどがなくて発炎筒を焚いて

煙が凄く、間奏のときに

Julieが「歌えねー!バカヤロー!」と蹴って

その発炎筒がスタッフの胸にあたって大ヤケドしたそう

そのあと

中井さんとJulieのやりとりをそばで見ていて

ああ、プロデュースってこういう事かと思った大輪さん

 

◇このとき私は田園コロシアムの客席にいて

昭和45(1970)年8月22日の日記に そのことが綴ってあって

ステージに煙が充満してJulieが見えなくなったときは

♪エニバディー・アンサー♪

♪ハート・ブレイカー♪

この2曲のときでステージサイドで観ていて

Julieが歌いながらも、ご機嫌悪そうだったから

ステージからいなくなったときに怒って出てこないかしらと心配などして

でもつぎにでてきたときは 無理に明るくしていたように感じたり

 

 

ステージからいなくなったときには

ステージ裏では そんなやりとりがあったとは

やっぱりだったのね

 

昨年の12月、琳派ロックのステージで

オープニングでスモークいっぱい

客席の前方もスモークに包まれて

スモークも臭いがしていたけれど

 

煙の中で歌うってことは 煙も吸いこんじゃうし

46年も前にステージでも凄いことをやっていて

それを生でみつめていたのも凄いことなのかしらね

 

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