♪夢見る時間が過ぎたら♪

歌人生60周年もうすぐの「沢田研二」のページをめくりながら
今と昔を紡ぎながら

50周年50曲LIVE(37/66)島根県民会館の余韻⑥

2017年11月08日 08時18分39秒 | いい言葉

フアンは見慣れているから

つぎが♪渚でシャララとわかっているけれど

7年ぶりの松江、地元のひとはアンコールの手拍子をして

スクリーンがおりてきたら

歌声に合わせての手拍子にかわって

フォーラムでも、みんな着席が多かったけれど

松江でもフアンのひとの着席が多かったけれど、いつものようにして

 

<50年をふりかえって> 

 50周年こうして無事に迎えられたこと、嬉しいし、

想像だにしていなかった
 
その時その時を一生懸命やってきたのかなと思う
 
決してブレないできたわけではない
 
ブレないという人をボクは信じない

 

ブレてブレてブレまくって悩みまくって

でも選べるものはひとつしかなくて

でもその選んだものを決して恨まず結果が良くなかったとしても

それを凌駕する一生懸命さでやればいいんだと

いつしか無意識のうちにやってきたんだと思う

 

 
50年、何を話しても自慢になってしまうと

隙間から、ちょっぴりの横顔だったけれど

始終俯き加減で話して「自慢話」って言ったとき顔を上げていたっけ

 

若い頃は理由も分からず自信の裏付けもせず

だただ面白おかしくやっていた

  
60年代後半から80年代が精一杯

80年代幕開けが♪TOKIO

 

だんだんと歌番組が少なくなって、歌う機会が少なくなり

 いす取りゲームをやっていた人間さえも
 
いす取りゲームにも参加できなくなる
 
テレビに出たとしてもせいぜい歌えるのは5~6曲

 
そんな中、何が楽しいんだとなって
 
ライブといっても

300、400人のお客さんの前で歌うのは絶対嫌だ と

今も思っている


 
タイガースというものすごい体験したから
 
それに勝る体験はいまだにない

 

最初が一番スゴくて、でもソロでも売れて、天狗になって

69歳の今からしてみれば、天狗になるのはしょうがないと思っている


一度ならず二度までも

「天狗になるのはいい加減にしろ」と思い知らされて

でもその時、優しく支えてくれた業界の方がたくさんいた

きっとボクのことに期待してくれたからだと

 
 
谷に沈み、何ではいあがれないんだろうと
 
ライブをこつこつやってきたおかげで50周年を迎えることができました
 

スキップしているの、早歩きしてる ようにしか見えないかもしれないけれど
 
ボクはじゃんぷしています。 走ってます。


 
この元気が69歳にしてあるということは

来年70歳になったらもっと元気になるんじゃないかと

 
50年の長きにわたって暖かいご声援、きょうまでありがとうございましたと

3つの方向にお辞儀
 
これからも変わりませず、どうぞよろしくお願いします
 
沢田研二はこれからも頑張ります!と頭をさげるJulie 
 
 

♪いくつかの場面

 過ぎた時間を懐かしみながらの歌声に

50年の中でJulieと重なった時間も振り返って

歌い終わって深々とお辞儀をして拍手を噛みしめたあとの

3つのありがとうが、なんだか切ない声だった!

視界不良の座席環境でJulie探しながら見え隠れの顔

すき間からのJulie

頭のてっぺんの毛先がツンと跳ねて待ちこがれた髪型になって


 谷底&どん底の視界不良の席から顔を探すのも七苦労だったから

微か見える虹色のように輝いて見えたっけ跳ねてる毛先が

 

会場に行く前に渡った7年ぶりの京橋に

あのときにはいなかった雨粒美伝(あまつぶびゅーでん)の跳ねてる頭に似て


 

 

偶然に乾杯仲間たちは声が届く座席周辺だったので

前日に夕陽にありがとう乾杯した乾杯処で

久しぶりの遠い地域のJulie愛好家たちと吞んで食べて声の交換して

環日本海で締めて

 

2次会は前日も通ったBarで

50周年ヴァージョン「ダーリング」と黒モスコミュールで松江の夜を締めて

  


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