フアンは見慣れているから
つぎが♪渚でシャララとわかっているけれど
7年ぶりの松江、地元のひとはアンコールの手拍子をして
スクリーンがおりてきたら
歌声に合わせての手拍子にかわって
フォーラムでも、みんな着席が多かったけれど
松江でもフアンのひとの着席が多かったけれど、いつものようにして
<50年をふりかえって>
50周年こうして無事に迎えられたこと、嬉しいし、
想像だにしていなかった
その時その時を一生懸命やってきたのかなと思う
決してブレないできたわけではない
ブレないという人をボクは信じない
ブレてブレてブレまくって悩みまくって
でも選べるものはひとつしかなくて
でもその選んだものを決して恨まず結果が良くなかったとしても
それを凌駕する一生懸命さでやればいいんだと
いつしか無意識のうちにやってきたんだと思う
50年、何を話しても自慢になってしまうと
隙間から、ちょっぴりの横顔だったけれど
始終俯き加減で話して「自慢話」って言ったとき顔を上げていたっけ
若い頃は理由も分からず自信の裏付けもせず
だただ面白おかしくやっていた
60年代後半から80年代が精一杯
80年代幕開けが♪TOKIO
だんだんと歌番組が少なくなって、歌う機会が少なくなり
いす取りゲームをやっていた人間さえも
いす取りゲームにも参加できなくなる
テレビに出たとしてもせいぜい歌えるのは5~6曲
そんな中、何が楽しいんだとなって
ライブといっても
300、400人のお客さんの前で歌うのは絶対嫌だ と
今も思っている
タイガースというものすごい体験したから
それに勝る体験はいまだにない
最初が一番スゴくて、でもソロでも売れて、天狗になって
69歳の今からしてみれば、天狗になるのはしょうがないと思っている
一度ならず二度までも
「天狗になるのはいい加減にしろ」と思い知らされて
でもその時、優しく支えてくれた業界の方がたくさんいた
きっとボクのことに期待してくれたからだと
谷に沈み、何ではいあがれないんだろうと
ライブをこつこつやってきたおかげで50周年を迎えることができました
スキップしているの、早歩きしてる ようにしか見えないかもしれないけれど
ボクはじゃんぷしています。 走ってます。
この元気が69歳にしてあるということは
来年70歳になったらもっと元気になるんじゃないかと
50年の長きにわたって暖かいご声援、きょうまでありがとうございましたと
3つの方向にお辞儀
これからも変わりませず、どうぞよろしくお願いします
沢田研二はこれからも頑張ります!と頭をさげるJulie
♪いくつかの場面
過ぎた時間を懐かしみながらの歌声に
50年の中でJulieと重なった時間も振り返って
歌い終わって深々とお辞儀をして拍手を噛みしめたあとの
3つのありがとうが、なんだか切ない声だった!
視界不良の座席環境でJulie探しながら見え隠れの顔
すき間からのJulie
頭のてっぺんの毛先がツンと跳ねて待ちこがれた髪型になって
谷底&どん底の視界不良の席から顔を探すのも七苦労だったから
微か見える虹色のように輝いて見えたっけ跳ねてる毛先が
会場に行く前に渡った7年ぶりの京橋に
あのときにはいなかった雨粒美伝(あまつぶびゅーでん)の跳ねてる頭に似て
偶然に乾杯仲間たちは声が届く座席周辺だったので
前日に夕陽にありがとう乾杯した乾杯処で
久しぶりの遠い地域のJulie愛好家たちと吞んで食べて声の交換して
環日本海で締めて
2次会は前日も通ったBarで
50周年ヴァージョン「ダーリング」と黒モスコミュールで松江の夜を締めて