昨日、遠いセピア色な思い出をカタチにすることができて。
好きな人を鑑賞する座席にチケットの数十倍もの対価を投じる人もいて。
それはそれとして価値観が違うひともいたりで。
でも、そういう人って、好きな人を前に、どんな鑑賞法するのかしらなんて、興味あるけど。
そんな人もいれば遠いセピア色な思い出がカタチで持っていたいなんて、好きな人何回観れるのなんて思い出に対価をそそぐ人もいて、あら価値観が違うわって思う人もいて。
どっちもどっち?
LIVEを楽しむ前に座席の価値がつく?
ABCとか予算によって違う対価のチケットもあるけれど。
生もの鑑賞、自分が楽しめたなら2階席後ろだって最高の席だったわなんて思えたり。
昨日、マイクを左手に持つ人と
マイクを右手に持つ人のパンフレット手にして。
もう過去の思い出はいらないわって人もいたりするから手にできたセピア色の思い出。
ふたつのパンフレット見ながらあれやこれや。
マイクを左手に持つ人から右手に持つ人を知ったんだけど。
でも、ずっと身体で感じてきたのは左手でマイクを持つ人。
部分的に?保存状態?がいいものよりそうじゃないものを。
それなのにココロに響く歌声は歳を重ねるほどに艶を増し。
妖しく一ミリづつ動く指先、弾けるほっそりな足はまだまだ健在で。
還暦過ぎたのにまだまだクネル妖しい腰つき。
そして人のココロを鷲摑みするほどの妖しい?優しい?眼差しも健在。
ふたりが共通するのは全身を使ってロックを表現すること。
ただ歌詞を音譜にのせて歌うのではなく
身体のいろんな部位を使って、全身で細やかに言葉を表現するってこと。
じっとして歌う人の透きとおるようなふぁふぁっとしたビロードのような声も
ずっしりココロに直球な艶のある重低音な声も 全身で感じたい。
(あぁ、しつこい)
昔みたいに揺れる乙女心みたいになっちゃって、そんなココロを繋ぎとめたくて?
昨日どっちにしようか迷ったもの、おとりおきしたりして。