
我が家のピエロくんは左利きだけど
Julieの右手の人差し指 いろんな意味を伝えてくれるけれど
最近は Julieの指先の意味合いも感じ取れないひとがふえて
冥途の土産に 初めて観にきたひとなら
それは 当然だけど
Julieが いちいち 言葉で説明しなくちゃわからなくって
それも 新鮮に感じられるのかしら?
40数年も歌ってるJulieだから
若いひとだって Julieの気持ちがわかるひともいたり
歳を重ねても Julieの気持ちが 理解できないひともいたり
年齢に限らず
Julie史の長さに限らず
デリケイの掛け合い そんなに難しいことじゃないけどね
Julieは好きだけど 音楽は苦手?
学生時代 音楽が苦手だったのに
Julie鑑賞の時間を重ねたら 音楽は楽しいにかわって
ずぅっと前は
客席のブロックごとに
♪静かな湖畔の森の中で・・・
なんて輪唱などしていて
輪唱がバッチリ決まった時の Julieの満足そうな表情が
今でも 思い出されるけれど
そのころ ネットなんてない時代だったっけ?
一次元のライヴ鑑賞の意味に戻って
リアルタイムで 生のステージを楽しむこと
Julieが一番大事にしている生のステージ
Julieと同じ時間を過ごす 一次元の世界
近い場所だったり
遠い場所だったり
日本地図のどかの
ライヴ会場に足を運んで
Julieが
ステージで
歌ったり
走ったり
跳んだり
くまさんJulieしたり
Julieの息づかいや
Julieの 遠い眼差しや
Julieの うるうるな歌声や
遠くに届く指差しや
いろんな距離のいろんな方向から
ステージをみつめ
ステージに映る照明も
ホールの壁に映る照明も
ホールの天井に映る照明も
ステージに結集される 全ての技を感じて
初めて
ライヴ鑑賞だと思うけれど
いつのころからか
現場の様子が
その場に 足を運ばないひとに
瞬時に 伝わるようになって
時間をかけて
やっとホールに たどり着いて
Julieと
同じ時間に
同じ空気すって
Julieがステージからみつめる
ホールの風景も
同じくにみつめて
余韻の宴もして
たくさんの時間をかけて
やっと帰宅したと思ったら
行かないひとから
ライヴレポを聴くなんてこともあったり
それが 私が感じたこととは
まるっきり違うことだったり
文字をつづるひとの
本来の目的をどこに定めているかによって
ライヴレポも
まるっきり違って
自分の日記に
拘り観察メモして
数日たって あっちのページに
ライヴの余韻をつづったりしているけれど
ライヴ鑑賞は
瞬時に ひとに伝えるために
行くんじゃなくって
自分が その時間を楽しむために
行くことだと思うけれど
本来の意味合いを
勘違いしているひとも いるのかしらね
Julieの気持ちが読み取れるなら
足を運んで楽しむ 一次元の 世界が
どれだけ 貴重な時間で
どれだけ 愛おしいものか
簡単に
ポチ
って
して
瞬時に ライヴの様子が わかっても
一次元の 生のステージが
Julieのぬくもりが
ケイタイや パソコンに 伝わるわけもなく
Julieのぬくもりが 伝わる 一次元の世界は
同じ空間で
同じ時間を共有したひとだけが
感じることができる
貴重な 時間で あってほしいと 切に願うけれど
当日券で参加したライヴ
隣で 同じく当日券で参加した 21歳の女子
「ネットは コワイです」
って
一番好きなひとは
もう一次元では楽しめない歌い手のようで
家族の影響でもなく
ユーチューブの過去映像でもなく
何かのきっかけで Julieを観たいと思った
そんな若い女子に Julieのどこが好きなの?
って聴かなくても
わかるような気がした静岡ライヴだった