1968年3月16日に、初めてジャズ喫茶でザ・タイガースのJulieを見てから42年。
あのとき生でJulieを見ていなかったら、私の人生も違っていたかもしれない。
前年、1967年2月レコードデビューしたザ・タイガース。
最初にJulieをテレビで見たのは中学1年のとき。
1966年11月22日ザ・ヒットパレードで♪キックスを歌い、たった45秒の出演。
小学生の頃からザ・ピーナッツが好きで、
ザ・ヒットパレードを見ていた。
翌年にはシャボン玉ホリディーにも出演。
この頃のJulieは私にとって、まだテレビの中の人だった。
ところが、テレビ初出演の翌年には、
テレビではないJulieの生情報が毎日のように私の耳に届くようになっていた。
姉は真っ先にこのグループを見に行っていた。
ジャズ喫茶や日劇のウエスタンカーニバルでの出来事を、熱く語って
まだ十数年しか生きていない私に、未知の世界を教えてくれた。
興奮気味に語る姉の言葉に、その場所に行ってみたい!と。
で、その翌年、中学の卒業式が終った2週間後、ようやく母の許しがもらえた。
新宿ACBのステージに登場したJulieを初めて見たときに
透きとおるような白い肌に、なんて綺麗なの~
白黒のテレビで見ていたJulieとは別人のようだった。
そんなテレビじゃないJulieからの指差しも、その日に経験。
その後、やっぱりJulieは人間だったのねぇと
実感するにはそんなに時間はかからなかった。
ピーファンの姉の指導もあり、
リクエストコーナーにも指してもらえて、Julieとの会話?もでき、
Julieと握手するなんて、今では夢のような出来事を経験した。
ACBの2階席で見ていた少女の私。
あの頃は還暦過ぎたJulieは想像もできなかった。
あれから42年後の今日、あの頃と変わらぬJulieへの思い。
還暦過ぎた沢田研二が、私が出逢ったときのように、
今もジュリーしてくれている。
世間も沢田研二ではなくジュリーと呼んでくれる。
風貌は変わっても、ジュリーはジュリー、不変だ。
老いて朽ちていく生きざまを見ていてくれよ!と言わんばかりに。
ココロにいつも「俺ってジュリーだぜ!」をしのばせながら。
見かけのカッコ良さではない、カッコイイ生き方をJulieから学んだ。
人生の折り返し地点はとっくに過ぎている私だれど
後半の人生も、Julieと一緒に辿っていったら
Julieのカッコイイ生き方にちょっと近づけるかもしれない。
あのとき生でJulieを見ていなかったら、私の人生も違っていたかもしれない。
前年、1967年2月レコードデビューしたザ・タイガース。
最初にJulieをテレビで見たのは中学1年のとき。
1966年11月22日ザ・ヒットパレードで♪キックスを歌い、たった45秒の出演。
小学生の頃からザ・ピーナッツが好きで、
ザ・ヒットパレードを見ていた。
翌年にはシャボン玉ホリディーにも出演。
この頃のJulieは私にとって、まだテレビの中の人だった。
ところが、テレビ初出演の翌年には、
テレビではないJulieの生情報が毎日のように私の耳に届くようになっていた。
姉は真っ先にこのグループを見に行っていた。
ジャズ喫茶や日劇のウエスタンカーニバルでの出来事を、熱く語って
まだ十数年しか生きていない私に、未知の世界を教えてくれた。
興奮気味に語る姉の言葉に、その場所に行ってみたい!と。
で、その翌年、中学の卒業式が終った2週間後、ようやく母の許しがもらえた。
新宿ACBのステージに登場したJulieを初めて見たときに
透きとおるような白い肌に、なんて綺麗なの~
白黒のテレビで見ていたJulieとは別人のようだった。
そんなテレビじゃないJulieからの指差しも、その日に経験。
その後、やっぱりJulieは人間だったのねぇと
実感するにはそんなに時間はかからなかった。
ピーファンの姉の指導もあり、
リクエストコーナーにも指してもらえて、Julieとの会話?もでき、
Julieと握手するなんて、今では夢のような出来事を経験した。
ACBの2階席で見ていた少女の私。
あの頃は還暦過ぎたJulieは想像もできなかった。
あれから42年後の今日、あの頃と変わらぬJulieへの思い。
還暦過ぎた沢田研二が、私が出逢ったときのように、
今もジュリーしてくれている。
世間も沢田研二ではなくジュリーと呼んでくれる。
風貌は変わっても、ジュリーはジュリー、不変だ。
老いて朽ちていく生きざまを見ていてくれよ!と言わんばかりに。
ココロにいつも「俺ってジュリーだぜ!」をしのばせながら。
見かけのカッコ良さではない、カッコイイ生き方をJulieから学んだ。
人生の折り返し地点はとっくに過ぎている私だれど
後半の人生も、Julieと一緒に辿っていったら
Julieのカッコイイ生き方にちょっと近づけるかもしれない。
でも気持ちは一緒なんだわぁ~
初めて生ジュリーを見たのは高校を卒業して東京の日劇。
皆、よく40数年も同じ人を…と、いうけれど…
ジュリーの声を聞くと胸キュンと熱くなるのは変わらない…
ザ・ピーナツの解散前年に富山でコンサート。今は亡き母と行きました。素敵なハーモニーでした♪
ジュリーは、母子家庭の私の心の支えでもありました。世間にどう言われても自分の道を貫き通したジュリー。その生き方もカッコイイ!!
風貌が変わるのはいいけど…健康の事を考えると…からだあっての仕事ですものね
Julieを好きになったこと、私達の目にくるいはなかったんですよね。
みんなの人生の中に、ずっとJulieは一緒だったのですね。
>世間にどう言われても自分の道を貫き通した ジュリー。その生き方もカッコイイ!!
そのたびに私達もファンとして、人間として、成長してこれたと思います。
>ジュリーは、母子家庭の私の心の支えでもあ りました。
Julieと出逢った2週間後に父が他界しましたので、私のココロの溝を埋めてくれたのもJulieでした。
お家では密かにダイエット?なんてことはないですね、きっと。
ジュリー祭りのときのように、
やればできるJulieなのに・・・
jilanさん、神席でしたね。
しっかりセンセイのお腹周り確認?
きっと、センセイの優しい眼差しに、お腹周りなんて気にならないかもしれませんよ。
40年以上も前の日を語り合うとは・・・本当に想像もできなかったですね。
しかもこんな形で!
私の初めてのACBは、もう歌舞伎町のコマ劇場の裏手の場所で、中学2年生で学校の帰りに仲間とうちに集まって着替えをして、どういうわけか中にはぜんぜん知らない子もいたりして、笑えます。今思うと・・・・。
そうそう、始発電車で行ったこともありました。すでに友達が前の日から並んでいて交代して並んで・・・、なんてやっていました。
とにかく必死でしたね。
はじめて観た生ジュリーは本当に衝撃が大きかった。たぶんぽかんと口を開けていたと思います。リクエストコーナーは、小心者の私は、手をあげられませんでした。ペコサンは、リクエストしたのね。いいな~。
はじめから皆、どんな曲でも静かに聴いていました。
20歳のジュリーは、とても大人って感じでしたね。少し怖かったです。
まだまだ語りつくせませんね。
これからも毎日お邪魔します。
お芝居は、初日に行かれますか?
私は、20日に行きます。ではまた・・・{/eto_hitsuji/
お久しぶりです。
私、Julieが歌っている甲州街道沿いの♪A・C・Bにギリギリ間に合いました~
Julieを見るって凄い大変でしたね。
歌舞伎町を高校生が歩くなんてとっても勇気のいることでしたもの。
席の争奪戦、徹夜、みんなあの頃に初めて経験したり。
>リクエストコーナーは、小心者の私は、手を あげられませんでした。ペコサンは、リクエストしたのね。いいな~。
姉の指導のおかげでした。
でも一人で行くようになってからも、歌ってほしい曲があったから、何度か指してもらえて歌ってくれました。
リクエストした曲とそのときにJulieやメンバーが歌いたい曲が一致したときでしたが。
可愛いJulieだったり、説教されたりたり、いろんなJulieが感じられたACBでしたね。
ほんと、ACBの思い出は語りつくせないですね~
時々、思い出して、後世に?語り継ぎましょう。
新センセイの鞄、明日の初日に行きます。