今日は町田の電話予約で病院は午後になって
夕刊の配達される頃に帰宅して
Julieの連載のスタートと同じに私の怪我もスタートして
通院とJulieの連載を読むことがセットな日々は来週までつづく
毎日Julieの記事を見れるので 怪我でちょっとしんどい暮らしも かる~く乗り切れそう
人生の贈りもの 3回目の今日は
「タイガースで人気 でも必死だった」
■初めてのテレビ出演で 「ザ・タイガース」の名前をつけられた
■人気がたかまっていくのを実感したのは
上京した翌年に日劇のウエスタンカーニバルに出演して
♪僕のマリー♪ ♪タイガースのテーマ♪を歌わせてもらって
毎日毎日 喚声が増えていった
その後 シングル第2弾の♪シーサイド・バウンド♪が大ヒットした
別のジャズ喫茶に出演しても 満員になり
客層も 大人の女性以外に セーラー服の子も
補導の先生やお巡りさんがでてきたりした
■人気者になった心境は
メンバーで一番年下で一番最後に入れてもらったので
ステージに上がったら一生懸命にやらないけなかった
■超過密スケジュール
分刻みのスケジュール、地方に行くときは飛行機の便も少ない時代
ステーションホテルで休憩をとり、夜行列車で行くこともあった
1968年に 日本初のスタジアムライブを後楽園球場で開催
3回目の今日は 私のザ・タイガース鑑賞のおさらいしたみたい
新聞の海辺での写真
第2弾シングル ♪シーサイド・バウンド♪のレコジャケ撮影のとき
砂浜のジャンプはタイヘンそう
一番若いJulieが一番高いジャンプ?
みんなは楽器と一緒だからね
このときピーだけジャンプできなくて残念。
だから 40数年後の今年
ピーだけ ドラムセットの台からジャンプして まだまだ若~い
40年も エネルギー温存していたものね。
記事は5段組みの縦長です。
因みに、4 の写真は疲れた様子で目をつぶって上を向いて座るジュリーです。
同じ記事でも写真が違って面白いですね。
こんばんは。
写真が違う理由は何でしょうね。
1、2が違って あとはどうなのかしら。
また違っていたらお知らせくださいね。