♪夢見る時間が過ぎたら♪

歌人生60周年もうすぐの「沢田研二」のページをめくりながら
今と昔を紡ぎながら

昭和52年沢田研二ショー⑫

2018年01月22日 10時22分43秒 | ☆JULIE写真館

四十六年(1971)二月の寒い夜、

ぼくは新しく結成されたピッグのメンバーと会い、彼らの抱負を聞いた。

ボーカルは沢田と萩原健一、

サウンドは岸部修三(ベース)、井上堯之(リードギター)、大野克夫(キーボード)、

大口広司(ドラムス)の五人、

ピッグ(豚)とは

「また新しいGSが生まれたとは思われたくない。

なにものにも制約されず、無から出発しよう。

わいらはブタや、ブタでええやないか、というわけです」。

 

かつてのトップGSのピックアップ・メンバーで、音楽的テクニックは抜群という連中だった。

ぼくは、ピッグの面々と語り、飲み明かしたあの夜を、今でも忘れない。

彼らは、GSという面影を、どう振り捨てようかと、

真剣に悩んでいたし、

かつてのアイドル、ジュリーは日劇の楽屋と違って、

この夜の目は輝き、口調はおそろしくなめらかだった。

 

ジュリーも、ショーケンも、おのれの音楽的力量をよく知っており、

だから「素直にいって、ぼくたちみたいな出来の悪いのを、

よく拾ってくれるところがあるものと、半信半疑だった」という言葉も出た。

ぼくには、その言葉の裏に

「もうイモ相手の星の王子さまはいやだ」という心理が読みとれたのだ。

 

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当時のジャズ喫茶

客席はそれぞれのフアンどうしの摩擦もあったけれど

足を運ぶたびに、客席の雰囲気も変化して

ステージと客席がひとつになって音を楽しむ傾向に

私にとって10代後半にいろんなことを学べた貴重な時間だった

PYGの時間があってこその50年

50周年記念ライヴで

数日前のJulieからも貴重な体験と、そんなブーはまだ解散していないと発言

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ピッグという名称は、

その後消えたようだが、沢田が井上や大野のすぐれたバックによって、

長足の進歩をとげたことは、万人の知るところである。

ピッグのスタートの日から、早くも六年が過ぎた。

「時の過ぎゆくままに」沢田の歌唱も変革した。

が、コンサートの客席では、相変わらず、

「ジュリー!」の、

かけ声とともに、うっとりと舞台に見とれる女性フアンが絶えない。

ともすれば、

沢田はやはりアイドル歌手ということになる。

 

このことを尽きつめれば、なにもかもテレビ時代、

(秘)とか、ドッキリとかいって人気タレントの虚飾の部分が、剥ぎとられる現在、

沢田だけは、なぜか神秘の色を残しているスターということになる。

テレビ・ドラマのお婆ちゃんが「ジュリー!」と叫んでも、

サマになる貴重なスターなのである。

これは彼の整った風貌、肉体的プロポーションほか、

もろもろのファクターから来る宿命といえよう。

 

ところが、このスター、ときどき宿命の重圧にたえかねて、

人間に立ちかえる。

 

新幹線事件が・・・・・

<一部省略>

もうひとつ、一昨年六月・・・・・

<一部省略>

沢田は誠実な人間であることを実証したわけだ。

 

GS時代からの日劇の舞台、

沢田にとって、ホームグランドともいうべきステージ、

「ジュリー!」の声援の内実は、

当然むかしとは、大きく変わっているだろうというのが、ぼくの推察である。


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