四十六年(1971)二月の寒い夜、
ぼくは新しく結成されたピッグのメンバーと会い、彼らの抱負を聞いた。
ボーカルは沢田と萩原健一、
サウンドは岸部修三(ベース)、井上堯之(リードギター)、大野克夫(キーボード)、
大口広司(ドラムス)の五人、
ピッグ(豚)とは
「また新しいGSが生まれたとは思われたくない。
なにものにも制約されず、無から出発しよう。
わいらはブタや、ブタでええやないか、というわけです」。
かつてのトップGSのピックアップ・メンバーで、音楽的テクニックは抜群という連中だった。
ぼくは、ピッグの面々と語り、飲み明かしたあの夜を、今でも忘れない。
彼らは、GSという面影を、どう振り捨てようかと、
真剣に悩んでいたし、
かつてのアイドル、ジュリーは日劇の楽屋と違って、
この夜の目は輝き、口調はおそろしくなめらかだった。
ジュリーも、ショーケンも、おのれの音楽的力量をよく知っており、
だから「素直にいって、ぼくたちみたいな出来の悪いのを、
よく拾ってくれるところがあるものと、半信半疑だった」という言葉も出た。
ぼくには、その言葉の裏に
「もうイモ相手の星の王子さまはいやだ」という心理が読みとれたのだ。
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当時のジャズ喫茶
客席はそれぞれのフアンどうしの摩擦もあったけれど
足を運ぶたびに、客席の雰囲気も変化して
ステージと客席がひとつになって音を楽しむ傾向に
私にとって10代後半にいろんなことを学べた貴重な時間だった
PYGの時間があってこその50年
50周年記念ライヴで
数日前のJulieからも貴重な体験と、そんなブーはまだ解散していないと発言
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ピッグという名称は、
その後消えたようだが、沢田が井上や大野のすぐれたバックによって、
長足の進歩をとげたことは、万人の知るところである。
ピッグのスタートの日から、早くも六年が過ぎた。
「時の過ぎゆくままに」沢田の歌唱も変革した。
が、コンサートの客席では、相変わらず、
「ジュリー!」の、
かけ声とともに、うっとりと舞台に見とれる女性フアンが絶えない。
ともすれば、
沢田はやはりアイドル歌手ということになる。
このことを尽きつめれば、なにもかもテレビ時代、
(秘)とか、ドッキリとかいって人気タレントの虚飾の部分が、剥ぎとられる現在、
沢田だけは、なぜか神秘の色を残しているスターということになる。
テレビ・ドラマのお婆ちゃんが「ジュリー!」と叫んでも、
サマになる貴重なスターなのである。
これは彼の整った風貌、肉体的プロポーションほか、
もろもろのファクターから来る宿命といえよう。
ところが、このスター、ときどき宿命の重圧にたえかねて、
人間に立ちかえる。
新幹線事件が・・・・・
<一部省略>
もうひとつ、一昨年六月・・・・・
<一部省略>
沢田は誠実な人間であることを実証したわけだ。
GS時代からの日劇の舞台、
沢田にとって、ホームグランドともいうべきステージ、
「ジュリー!」の声援の内実は、
当然むかしとは、大きく変わっているだろうというのが、ぼくの推察である。