夕方のネットニュースに大きな見出しで沢田研二 涙で熱唱・・・
2001年に亡くなられた河島英五さんのCD
「セルフ・アンド・カバー」本日発売という記事で
Julieが35年前に涙声でレコーディングした「いくつかの場面」が紹介されていました。
記事はこちら
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100519-00000004-ykf-ent
コンサートでも多く歌われている曲。
昨年のツァー「Pleasure Pleasure」でも
ウルウルして歌うJulieに、
Julieの辿ってきた40数年のいろんな時代に思いを馳せて聴いていた。
この曲で思い出されるのはやっぱりあの日のこと。
ヤジと罵声の中で
悔し涙をながしていたJulieをまじかに見ていたときのこと。
村上龍さんも「限りなく透明に近いブルー」の中で
その日の出来事を書いていた。
日比谷野外音楽堂のロックコンサートにPYGが出演したときの出来事。
1971.7.4のdiary
39年前にロックを歌うJulieを受け入れてくれなかった
あの場所にいた人達、今どうしているだろう。
ロックな行き方しているのかなぁ。
あのとき悔し涙をながしたJulie、還暦過ぎてもロックしているぜ!
って、あの場所にいた人達に言いたい。
オレあのとき空き缶投げたんだぜなんてワカイコに自慢したりして
陰でこっそり応援していてくれるかしら。
もしかして、素敵なオジサマになってJulieのコンサートに来てたりして。。。
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Julieのいくつかの場面
Julieと私達のいくつかの場面
私達のいくつかの場面
pekoさんとご縁があって…
Julieの還暦誕生日コンサート、二大ドームコンサートの言いようのない気持ちを…そうそう、うんうんと読ませてもらった感激
いろんな(いくつかの場面)がありますね
日比谷野外音楽堂のPYGの記事を興味深く読まさせていただきました。
ジュリーには握手を求めて、ショーケンが歌いだすと物を投げつけたりヤジが飛んだりと書かれていたのですが、缶とか投げられたのはショーケンに対して投げられたのでしょうか?。
昔の事ですが覚えていたら教えていただけないでしょうか?てっきり二人に投げつけられたものと思っていたのでよろしくお願いします。
こんばんは。
こうしてココで語り合えるのも、Julieが繋げてくれたご縁ですね。Julieがずっとずっと歌い続けていてくれるからこそだと思います。
昔を懐かしく思い出されるからこそ、今のJulieへの楽しみが倍増するのかもしれませんね。
>RUUKUさん
はじめまして。
書き込みありがとうございます。
39年も前のことで、十代の頃に書いてた日記の記憶しか残っていないんですが。
あのとき一緒に見ていた友はもう天国へ逝ってしまって、あのときのことを語り合うことができなくて残念です。
あのとき、Julieには何も投げつけられなかったと記憶しています。
あの会場はPYGの女性ファンは少しだけで、大半は男性が多かったと思います。
○ンドとか○ンナーとか、あの時代は新宿駅付近にはそんな人達がたくさんいました。ロックコンサートっていう雰囲気ではなかったように思います。
あの時代は席が決まっていても、盛り上がってくると、みんなステージ間際まで行って楽しんでいたので、目の前で起こった出来事はしっかり見ていました。
いきなりステージにあがってしまった男性がJulieに何かしてしまうと思ってヒヤヒヤ、でもJulieが怒ることもせず男性の握手に応じて、穏やかな対応で一安心。
ショーケンが歌いだしたときに、お酒に酔ったような人達が何か大声で叫びながら、空き缶とか他のモノ(石だったか)を投げつけたように思います。
ココをご覧になっている方で、あの場所にいた人はいるかしら。
お答え頂いたお話で充分分かりました。
ジュリーにはまったく被害無しなのに
言い争いまでして、悔しそうな顔をして泣いて止める事も出来ず歌われたのですね。
今でも思い出すとジーンと胸打ちますね。
ありがとうございます。
野音に、行きましたよ。高校2年、TGビューティフルコンサートにも、一緒に行った友人4人と、行きました。
ただし、かなり後ろの席でしたので、「日記」で、拝見した内容は、あまり記憶にありません。
PYG目当ての人達も、多かったようです。
PYGの登場前、大勢のスタッフが、ステージを、囲み込み、異様な状況だったことを、記憶しています。
「71年の日記」ですが、「藤沢市民会館」始め、同じ場所に、私も、いました。「71年」だけでも、ずいぶんご一緒していますね。
とても懐かしくて、お邪魔しました。
はじめまして。
書き込みありがとうございます。
あの出来事、一部始終見ていた人とココで語り合えるなんて、嬉しいです。
>PYGの登場前、大勢のスタッフが、ステー ジを、囲み込み、異様な状況だったことを、 記憶しています。
前方席でJulieばかりをみつめていたので、大勢のスタッフのことは記憶から消えていました。
テレビでキラキラ輝いていたJulieやショーケンがあの場所にいることが凄いことだった時代でしたね。
>「71年」だけでも、ずいぶんご一緒してい ますね。
ってことは、今までの40数年も、ずっとご一緒?
これからも、どこかの会場ですれちがうかもしれませんね。
昔のことをつぶやいたときに、また反応してくださったら嬉しいです。
これからも宜しくお願いします
貴重なお話を嬉しく読ませて頂いております。
早速ですが、ジュリーの日比谷の野音でのいきさつは耳にはしておりましたが、リアルで体験している方のお話を窺えてとてもありがたかったです。
46年にヤジと罵声の中にあったジュリー達が、
3年後には「ジュリーロックンツアー’74」を、この日比谷野音でスタートさせてるんですよね。
たった3年で天と地ほど状況は変わってしまいましたが、ジュリーはあの時の事をどう思ってるんでしょう?
「いくつかの場面」のあの歌詞はとても胸に響きます。
はじめまして。
古い記事に書き込みいただきありがとうございます。
40年前、タイガース解散してPYGのJulieへ。
Julieの中でも激動の年、私のココロも激動な変化に動揺しながらも、Julieの変化をみつめていた時代でした。
ザ・タイガース解散してから、下り坂も登り坂も、そしてなだらかな道もあったからこその40年、これからもJulieと私達の「いくつかの場面」は続いていきますね。
悔し涙やうれし涙をながしたりなJulieのココロの中、言葉より、
ステージで歌っているJulieの表情みつめて、そっとココロの中を覗いて、これからもJulieを感じていきましょう。