いちばん最初はね、まだ甲州街道が広くなっていないころで
車が混むっていうんで電車で通ってたんだけど、合宿所から京王線の駅まで
ずーっと大名行列ですよ。
それでファンもそのまま電車に乗って行くっていういうね、そういうことも
ありました。
それは合宿所だけじゃなくて、コンサート会場から出るのにもいつもパトカーを
頼んだり、それこそ新幹線を遅らせたり特急を臨時停車させたりっていうことを
しょっちゅうやってましたよ。
彼らにくっついていたのは、ボクと、あとボーヤ(バンド・ボーイ)だけです。
今だからこそ、そこまで売れれば、マスコミ担当とかいろんなスタッフが常時
いっぱいいるわけだけど、あの頃はまだそういう仕事が細分化されてないから、
マネージャーが「何でも屋」で全部やってたわけです。
だから、コンサートの行き帰り、たいがいボクとボーヤしかついていないわけだから、
ボクらが途中で寝ちゃって、そのままメンバーも降りる駅を通りすぎちゃったり
なんていうこともありましたね。
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「みんなGSが好きだった」<GS全盛時代>より