ふたつめのJulie編集のスライドショー
パープルシャツと加瀬さんのピンクシャツが並んで嬉しい限り
♪渚でシャララの映像と一緒に踊るひと、座って休憩しているひと
好きなようにすればいいんじゃない
踊っているひとは1階席より2階席の方が多かったっけ
スクリーンが上がったら
♪渚でシャララダンスのエンディングのつづきのJulie
腰をかがめたままピースサインして
編集の成果はスクリーンの向こうで毎回感じているのね
<Julie自ら語るsuccess story「沢田研二物語」>その1
[ザ・タイガースをふりかえって]
若いうちに売れちゃった
ちょうどテレビの元気が溢れるとともに
CMというものが巷に溢れている時期でもあった
4年間しか活動をしていない
昭和42年にデヴューしてザ・タイガースが凄いことになった
たくさんのグループがあって
どのグループもそれぞれに人気があった
人気だけだと言われても、日本一になったのは間違いない
その凄さというのは、私たち凡人には想像だにしない
それまで音楽をやっているのは大人の人たち
タイガースは
二十歳超えているメンバーもいたけれど
二十歳そこそこという若々しさで、ファンのひとたちの年齢層をぐっと下げた
それまではジャズ喫茶に観に来て下さるひとたちは
すでに働いて自分の小遣いで見に来てるという感じだった
それが中学生、高校生になって
それが補導されるという・・・
補導ですよ?アスファルトじゃないんですよ?
私たちが行く先々には、学校の先生が入口で見張っていたという
そういう凄い人気だった
山口だったか、押し合いになって事故になったり
極めつけは奈良あやめ池遊園地の事故
ほらみたことか、と言われ
NHKで、既に録画(貴重な映像はグランドショー)を撮っていたのに
事故を起こしたというのでお蔵入り
以来、NHKには出られないことになった
そのあと
紅白の何十周年とかいう記念のときに
ボクも呼ばれていて、タイガースもということになって
そのときに
タイガースとして初めてNHKに出演した
シローもいてトッポもいて、ピーがいないという変則なザ・タイガース
ボクに言わせれば、タイガースではない、もどき!
トッポがやめると言いだし、代わりにシローが入って
次にピーが辞めたいと言いだしたときに
サリーとタローとシローで
もう誰か他人を入れてやるんだったら解散しようよ、という話になったことを
事後承諾として聞いた
この話は、ほかのメンバーは全て忘れている