♪夢見る時間が過ぎたら♪

歌人生60周年もうすぐの「沢田研二」のページをめくりながら
今と昔を紡ぎながら

昭和52年沢田研二ショー⑪

2018年01月22日 10時01分52秒 | ☆JULIE写真館

ぼくは、こんな疑問、というより

芸能ジャーナリストとしての好奇心を抱いて、日劇の楽屋へタイガースを訪問した。

たしか昭和四十五年の夏ごろだったと思う。

 

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1970年8月夏休み

(ウエスタンカーニバルに足を運んでいたので私も楽屋口の周辺にいる群衆だった)

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当時、日劇の楽屋口は群衆でいっぱい、とても入れる状態になく、

われわれ記者は、いまのピカデリー劇場寄りの特別入口から、厳重なチェックを受けて入った。

 

そのころ、「ウエスタン・カーニバル」におけるタイガースは、

人気絶頂、いくつかGSのトリ(最後)だった。

岸部おさみ、加橋かつみ、瞳みのる、森本太郎、沢田研二の五人は

楽屋で譜面を見たり、楽器をいじったり、寝そべったり、

思い思いのかっこうをしていた。

 

インタビューの主目的は、先に書いたように、

客席や劇場の外にあふれる、いわゆるミーハー族に対するメンバーの偽らぬ声だった。

メンバーは若者らしく、車座になり、ぼくの問いによく答えてくれた。 

 

「フアンあってのぼくたちだ」

「ありがたいと思う」

 という社交辞令的発言もあったが、

「重苦しくてね」

「ともかくうるさいんだ」

「要するに、もっと静かに歌を聞いて欲しい」

そして誰かがぽつんといった。

「しょせん、あの子らはイモよ」。

 

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初めてジャズ喫茶、新宿ACBに行ったときに

声援がすごくて音楽を聞く環境じゃなくてびっくり

高校生、中学生、小学生もまざった客席に

ジュリーが歌のときや、話をしているときは静かにしてねと

注意しても

ききわけのない子は演奏中にも騒がしかった記憶

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こう書くと全員が、こもごもいったようにとられるが、

実は車座から離れて、楽屋の隅で一人ぽつんと譜面を見ながら、

一切発言しない男がいた。

ジュリーだったのだ。

ぼくは、敢えて沢田を話にひきこもうとせず、

テレビやステージから感じる青白い顔の彼の、妙に孤独な、

ある種のカゲリに似た思いを深めたのだった。

このとき、よくしゃべった瞳と加橋が脱けて、タイガースは解散した。

二人が脱落したのが、直接の原因ではなく、

GSブームの衰退、時の流れであった。


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