♪素晴らしい旅行♪が流れる中メンバーの声
ジュリー:
内田裕也さんが渡辺プロの池田さんというプロデューサーに写真を渡してくれて
ナンバ一番というジャズ喫茶で非公式なオーディションを受けた
そのときに松下製作部長に「君たち東京に行く気はありますか」と言われた
それで東京に来た
ピー:
そのときにすぎやまこういちさんの代わりに橋本淳さんが観に来ていた
チャーリー石黒さんも観に来ていた
そのときに裕也さんとすぎやまこういちさんの中でザ・ヒットパレードの話がでていた
渡辺プロに入って、ザ・タイガースという名前になった
ザ・ヒットパレードに出る寸前にすぎやまこういちさんのひとことで決まった
ジュリー:
え~とは言ったけど
すぎやまさんのことは聞かないかんと中井さんも言ってた
サリー:
みんなへんとは思っていた
ジュリー:
ファニーズだったらどうだったろうね
タロー:
芸名もそうだね
サリー:
最初は「修三」で、あまりにももっさりしているから「おさみ」になった
ジュリー:
かつみは「高橋」じゃかたいって言われて「加橋」に
かつみ:
裕也さんがつけた
ジュリー:
トッポは誰がつけたの?
ピー:
中井さんだと思う
ジュリー:
ジャズ喫茶にでるようになってから
サリー:
トッポジージョみたいだから
タロー:
沢田のジュリーは誰がつけたの?
ジュリー:
僕だけがついてなくてジュリーアンドリュウスが好きだから
ピー:
裕也さんがへんな名前つけたね
ジュリー:
沢ノ井謙
ピー:
演歌歌手みたい
ジュリー:
沢ノ井なんて酒屋か
かつみ:
サリーってつけたのは僕たちが遊んでるころ
ロングトールサリーが流行っていたから
サリー:
ピーは小学校のころから?
ピー:
2歳ぐらいのころから
ジュリー:
キューピーみたいに可愛かったんだね
ピー:
キューピーからキューがとれた
サリー:
中学のころ、うるさいから?
ピー:
授業中うるさかった
ジュリー:
ピー、やんちゃしてたんじゃないの
タロー:
もう時効や
ジュリー:
僕らたった4年間しかやっていない
サリー:
あっという間
ジュリー:
ウエスタンカーニバルで、こんなに人気があるものかと
タロー:
1週間ぐらいやっていて最初はフアンが少しだけだったのに最後のほうは出待ちとか凄かった
ピー:
新宿アシベや池袋ドラムのジャズ喫茶のころも手応えはあった
タロー:
あのころ先輩バンドも原点はジャズ喫茶だった、そこから大きな舞台に
ジュリー:
最初に新宿ACB(アシベ)にでたときはブルーコメッツのダブルブッキングで
ピンチヒッターだった
タロー:
昭和41年12月
ジュリー:
急な話だったので裕也さんがいない
沢田は大阪でもMCやっていたから大丈夫やって言われて
標準語でしゃべらないといけないので凄い緊張した
正式にアシベでやった時はワイルドワンズも一緒で裕也さんもいた
裕也さんが全部選曲して
日劇でどんどん人気がでてきた
<日劇ウエスタンカーニバル 楽屋でのインタビュー>
1967年昭和42年9月10日放送のポリドールヒット歌謡ショー
BGMは♪僕のマリー♪
日劇は3回目
最初に出演したのは1月15日
2回目は5月5日
タイガースのメンバーの自己紹介
リードヴォーカルの沢田研二です
・・・・
19歳のとき
メンバー:恥かしいーーーー
ピー:
日劇の上のほうに練習場があって、いろんなグループがいて緊張した
タロー:
1回のステージ終わるたびに各グループの楽屋に挨拶しに行った
裕也さんにそう言われて
スパイダースのところに行ったら、田辺さんにもういいから、って言われて
ジュリー:
挨拶に行くのをやめたら裕也さんにテングになってるのかとメチャクチャ言われた
タロー:
最初にでたときは、全部先輩だった
ジュリー:
あっという間に人気者になった
♪シーサイドバウンド♪が5月にでてヒットして人気がでるまで半年かかった
ピー:
♪僕のマリー♪はあまりヒットしなかったから
サリー:
そのころジャニーズの前座やったりしていた
タロー:
途中で前座を入れ替えてって言われたのはどこだっけ
ジュリー:
それはカーナビーツ、四ツ橋の毎日ホール
そのときは僕らのほうが看板だったかも
フェスは大きいからねんきが入っているひとしか出してもらえない
ジュリー:
みんなの記憶が 曖昧になっているかも
ナンバ一番でやっているころから 絶対、東京へ行ったら日本一になる
って言ってたよね
サリー:
日本一になるって言ってたのは記憶にある
ピー:
タローは私生活をきちんとして汚れたバンドマンにはならないと言っていた
ジュリー:
成功したからいいけれど、そのころはエレキ持ってるだけで不良だった
なんで僕たちは成功したんだろね
ピー:
僕たちの力、会社の力、フアンのひとたち、いろんなものが集結して、人気が出た
ジュリー:
芸能界も興行という呼び名からコンサートにかわった
ロックっぽいことやってたけど、ポップスもロックもなく歌謡曲にくくられていた
初任給も多くて、裕也さんを抜いてたから、裕也さんは怒ってた
上条さんに金額を提示されたとき3万だったけれど、それより多かった
ピー:
当時の大卒の初任給は15000円ぐらいだった
サリー:
最初はたくさんもらっていたんだね
タロー:
タイミングもよかったのかもね
スパイダースやブルーコメッツが出てたあとだったからよかったのかも
ジュリー:
堺さんとか順さんとかと年齢はそんなにかわらないけれど
バンドとしておとなっぽかったから
ワイルドワンズもおぼっちゃん的で
サリー:
僕らみたいに全員若いグループがいなかった
タロー:
若造って感じ
サリー:
可愛いグループが
タロー:
サリーが言うのも面白い
メンバー:
ジュリー他みんなの笑い声
タロー:
なんか言えよ、かつみ
サリー:
かつみもあんまりしゃべらなかったよね
沢田は最初、ほとんどしゃべらなかった
ジュリー:
今、ぜんぜんかわりました、すいません
ピー:
サリーも中学のころほとんどしゃぺらなかった、僕とはしゃべったけれど
サリー:
同窓会で女の人に会うと一言もしゃべっていなかったと
タロー:
無口なバンドやね、タイガースは
ピーだけだ、おしゃべりは
サリー:
タローもよくしゃべる
かつみとか僕とか沢田は無口なほうだね
タローとピーがよくしゃべる
タロー:
よかったね、俺がいて
ピー:
そうだね
ジュリー:
それではこのへんで曲を、すべての始まりはこの曲でした
<サリーの選曲で♪ 僕のマリー♪>