神が宿るところ

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明王山 不動院 大栄寺

2021-02-13 23:28:08 | 寺院
明王山 不動院 大栄寺(みょうおうさん ふどういん たいえいじ)。通称:山川不動尊。
場所:茨城県結城市山川新宿311-1。茨城県道20号線(結城坂東線)と同23号線(筑西三和線)の交差点から、23号線を南西に約550m進み(押ボタン式信号があり、「→水野家累代の墓」という案内看板が出ているところで)右折(西へ)、約100m進むと山門がある。ただし、ここからは自動車は入れないので、道なりに更に約250m進んだところで右折(東へ)、約110m進んだところが本堂裏で、駐車場がある。
寺伝によれば、本尊の不動明王像は弘法大師の作で、平将門が京都に上った際、「東寺」(真言宗総本山「教王護国寺」)に安置されていたものを持ち帰ったものとされる。天慶3年(940年)、将門が討ち死にした後、将門の家臣・坂田蔵人時幸はこの不動明王像を持って山川の「綾戸城」に潜んでいたが、源経基の家臣・安部小太郎幸光の軍勢千五百余に攻撃され、一心に不動明王に祈っていたところ、突然の暴風雨により敵・味方とも「山川沼」に沈んでしまったとされる。その後、漁師の網に不動明王像が掛かって引き上げられ、仮の小屋に安置されていたが、慶長6年(1601年)、大恵上人によって「大栄寺」が建立され、祀られたという。なお、現在、「山川沼」は水田となっており、「山川沼排水路」が痕跡として残っているのみである。
さて、本尊の不動明王(不動尊)像は、木造の坐像で、大きさは像高50.3cm、光背96.7cm、台座40.7cm。寄木造で、玉眼が嵌められ、肉身には群青の彩色が残っている。鎌倉時代中期~室町時代の作とみられ、茨城県指定重要文化財(彫刻)となっている。現在は、本堂裏の収蔵庫に安置・保管されているとのこと。
また、当寺院は「山川のお不動さん」として近隣市町村の住民に親しまれ、毎月28日の縁日には山門から本堂まで多くの露店が立ち並び、賑わうという。
蛇足:(伝説)当寺院の不動尊は平将門の守り本尊であったので、将門が朝廷に反逆したとき、一夜、枕元に現れて、謀反を諫めた。しかし、将門は自分も桓武天皇の子孫であり、天皇の地位についても良いはずだとして、聞き入れなかった。このため、不動尊も、それならもう将門を守ることはできない、と言って消えた。その後、京都から寛朝(第19世東寺長者)が京都「高雄山 神護寺」護摩堂の不動明王像(空海作とされる。)を奉じて、将門調伏の祈祷を行った。乱の平定後、この不動明王像を祀ったのが「成田山 新勝寺」である(「成田山 明王院 神護新勝寺」(2014年1月25日記事))。不動尊の諫言を聞かなかったために、不動尊の力で敢え無い最期を遂げることになったということかもしれない。


茨城県教育委員会のHPから(木造 不動明王坐像)


写真1:「大栄寺」山門。石碑は「茨城百景 山川不動尊」


写真2:楼門(仁王門)


写真3:本堂


写真4:本堂の巨大な屋根の上の鬼瓦


写真5:境内の「聖徳太子」碑


写真6:収蔵庫と「茨城県指定文化財 不動明王坐像」碑。
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