神が宿るところ

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鹿島神社(茨城県土浦市右籾)

2022-03-12 23:31:37 | 神社
鹿島神社(かしまじんじゃ)。通称:右籾神社。
場所:茨城県土浦市右籾1897。茨城県道48号線(土浦竜ケ崎線、バイパスではない方)と国道125号線(阿見美浦バイパス)の交差点から、県道を南へ約230m。駐車スペース有り(境内)。
社伝によれば、当地は古くは「志多の里」と称し、「右籾二郎」という名の部族長が支配していた。天慶元年(938年)に悪疫が流行したとき、部族長・右籾が「馬場」に神床を設け、天神・地神に毒気払いを祈願した。暁の頃に饒速日神(ニギハヤヒ)が降りて「速やかに鹿島大神宮に誓願すべし」との霊告があったため、常陸国一宮「鹿島神宮」(2017年10月7日記事)に参籠し、分霊を奉持して帰村。各家で修祓したところ、忽ち悪疫は収まった。翌年、社殿を建立し、祭事には「鹿島神宮」から禰宜を招き、その後、その子孫が代々神職を務めたという。明治15年に村社に列格、昭和24年には火災により社殿焼失、昭和26年再建。現在の祭神は、武甕槌命。
当神社の社伝によれば、当地の地名である「右籾」は悪疫退散に功績のあった部族長の名を採ったことになっている。一方、同じ右籾の「日先神社」(前項)の社伝に登場する「鹿島神社」宮仕・宮本権太夫は、当神社の神職だったと思われる。当神社の社伝では源義家らには言及が無いが、常陸国では国土開発の神として鹿島神(武甕槌命)が他国の大国主神の役割を果たしており、古代官道の要所に鎮座していることも多い。当神社の西側の道路を南下すると、現・自衛隊土浦駐屯地北門に突き当たる。道路はそこから東に進むのだが、北門から更に南に線を引くと、概ね直線的な字境となり、茨城県阿見町から北西に伸びる直線的な道路(字境でもある)にぶつかる。逆に、当神社の西側の道路を北へ向かうと、これが茨城県道48号線(土浦竜ケ崎線)で、現・土浦市市街地に至る。途中に「小松」という町名があるが、これは「駒津」から変化したもので、古代官道に関連しているとする説がある。こうしたことから、当神社の近くを古代東海道が通っていた可能性もあるのではないかと思われる。


写真1:「鹿島神社」鳥居


写真2:社殿


写真3:由緒碑


写真4:境内社。「八幡神社」と思われる(祭神:誉田別命)。


写真5:石碑。梵字の板碑(多分、不動明王の種字)と思われる。

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