神が宿るところ

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三瓶神社(茨城県笠間市)

2019-04-20 23:19:39 | 神社
三瓶神社(みかめじんじゃ)。
場所:茨城県笠間市飯田775。国道50号線と茨城県道39号線(笠間緒川線)の「金井」交差点から県道を北東に約2.4km、「高田球場入口 高田公民館入口」という案内看板が出ているところで右折(東南へ)、約220m。駐車場なし(隣接する「飯田集落センター」に駐車できると思われる。)。
「笠間市史」などによれば、当神社は笠間氏の家臣で飯田城主・大嶺広康が永禄12年(1569年)に常陸一宮「鹿島神宮」から勧請して創建されたとされるが、現在の祭神は市杵島姫命、奥津島比売命、多岐津比売命の、いわゆる宗像三女神となっている。
ということで、古代とは直接関係がないのだが、当神社の社殿の横に3つの瓶が埋められており、これが「常陸国風土記」の「朝房山」(前項)の記事において努賀毘咩が蛇(神の子)に向かって投げつけた瓫甕(瓶)である、という伝説がある。また、別の伝説によれば、当神社の北に「八瓶山(やつがめさん)」(茨城県城里町塩子、標高344m)があり、昔、鹿島明神が八瓶の水をもらいたいと申し出た。明神はどうにか五つの瓶は運ぶことができたが、三つの瓶はどうしても動かすことができなかった。やむなく、三つの瓶は飯田の地に置いたまま帰っていった。この三つの瓶を祀ったのが、当神社であるという。因みに、「八瓶山」には8つの峰があり、ここに8つの頭を持つ大蛇が棲んでいて、時折里に下りてきて美女を呑み込んだ。困った村人が8つの瓶に酒を造り、酒を飲んで酔っ払って寝込んだ大蛇を退治した、という「八岐大蛇」伝説みたいなものもある。この大蛇が笠間の村にまで現れて、稲田姫を襲ったともいう話もあるらしい(なお、「稲田神社」(2018年7月21日記事)参照)。更に、弘法大師・空海が絡む伝説もある。旱が続いたとき、8つの峰を持つ山に8つの瓶を供えて、空海が雨乞いをしたところ、山から布を引いたような大雨が降ったという。これに因んで「八瓶山」あるいは「引布山」と呼ばれるようになった山の南麓に、弘仁年間(810~824年)、「引布山 金剛光院 徳蔵寺(いんぷさん こんごうこういん とくぞうじ)」(通称:「徳蔵大師」)が創建されたという(現・茨城県城里町徳蔵)。真言宗「徳蔵寺」については、よほど有力な寺院であったようで、現・笠間市の真言宗「正福寺」との間で激しい宗門争いがあったことは既に書いた(「佐志能神社(笠間市)」(2018年9月15日記事)及び「大黒石」(2018年9月22日記事))。
さて、当神社の3つの瓶であるが、この瓶の中の水は、どんなに年月が経って量が変わらないが、何か変事がある前には必ず色が変わるという。また、この中の水を人の頭に注ぐと、悪い病気に罹らないとも伝えられている。
蛇足:当神社は、常陸国式内社(論社)「大井神社」(笠間市)(2018年4月13日記事)の北、約1km(直線距離)のところにある。同神社の記事に書いた昔ばなし(鳥居が何故無いのか)と当神社の上記伝説からすると、昔から(昔ばなしや伝説がどのくらい古いか、ということには問題があるものの)当地辺りは常陸一宮「鹿島神宮」の勢力下にあったらしいこと、ただし、必ずしも従順でもなかったらしいこと(どちらも「嫌々ながら止むを得ない」感がある。)が窺われるように思うが、どうなのだろうか。


写真1:「三瓶神社」入口


写真2:鳥居の横に社号標があるが、草で隠れてしまっている。


写真3:鳥居。正月準備のためか(参拝したのは11月下旬)、新しい注連縄。飾りが変わっているが、これも3つの瓶だろうか?


写真4:拝殿


写真5:本殿。小祠ながら、立派な覆屋に囲われている。


写真6:本殿の向かって左側にある「三瓶」


写真7:大きな瓶が3つ並んで埋められている。屋根の下にあるのだが、ちゃんと水が入っていた。

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