神が宿るところ

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下総国の古代東海道(その6・浮嶋駅)

2013-09-21 23:45:29 | 古道
古代の東海道は当初、相模国(現・神奈川県)の観音崎から東京湾を船で渡って上総国(現・千葉県南部)に上陸、そこから北上して下総国を縦断(現・千葉県千葉市~佐倉市~成田市)して「香取海」に到り、再び船に乗って常陸国(現・茨城県)に入った(終点は常陸国府(現・茨城県石岡市))とされる。それが、宝亀2年(771年)には、相模国~武蔵国(現・東京都)~下総国府(現・千葉県市川市)~常陸国府というルートに変わったとされる。しかし、このルート変更に関わらず、下総国府と上総国府(現・千葉県市原市)を結ぶ支路があったようだ(ルート変更で、上りと下りが逆になるが。)。その間に、延喜式には、下総国に2つの駅家があったと記されており、それが「浮嶋(うきしま)」駅と「河曲(かわわ)」駅となる。その擬定地には諸説あるが、現在では、「河曲」駅は現在の千葉県庁付近とされていて、(発掘調査による証拠はないが)異論は少ない。また、ルートも、「下総国府」付近にあったと考えられる「井上」駅(2013年6月8日記事)から「河曲」駅までは、現在の国道14号線に沿う見事に直線的な道で、国道14号線がそのまま古代東海道の後身とまではいえないにしても、ルート自体に異論はない。このルートは、「市川砂州」と呼ばれる標高2~8m程度の砂丘上にあり、「千葉街道」、「房総往還」などとも呼ばれ、古くからの街道になっている。
そうした中で、「浮嶋」駅の擬定地はいくつかあり、現・船橋市本町付近、現・習志野市鷺沼付近、現・千葉市花見川区幕張町付近などが挙げられている。こうした「浮嶋」駅の候補地については別項で書くことにするが、「井上」駅(現・市川市市川?)から先の史跡として、まず「葛飾八幡宮」があり、かつては、その門前に海(東京湾)が広がっていたことは既に書いた(2013年3月23日記事)。更に進むと、京成電鉄本線「鬼高」駅の南に、「鬼高遺跡」がある。この遺跡は、古墳時代後期の集落跡で、海辺に住居を築いて漁撈を行っていた場所とされるもの。古墳時代後期(5~6世紀頃)には既に、この辺りが海岸線となっていた証拠となっている。


市川市のHPから(鬼高遺跡)


写真1:国道14号線(千葉街道)に面した「葛飾八幡宮」の一の鳥居と社号標(再掲)


写真2:「史跡 鬼高遺跡」の石碑(場所:千葉県市川市鬼高1-1-2。住宅展示場「ABCハウジング市川」の南側。駐車場なし)


写真3:同上。現在は「鬼高遺跡公園」になっている。
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