神が宿るところ

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東光山 医王院 常福寺

2022-04-09 23:35:47 | 寺院
東光山 医王院 常福寺(とうこうさん いおういん じょうふくじ)。
場所:茨城県土浦市下高津2-10-22。国道354号線「医療センター入口」交差点から「国立病院機構 霞ヶ浦医療センター」方向(南東へ)に約350m、「愛宕神社」横の道路を入る(左折、西へ。「常福寺」の看板が出ている。)。坂道を約100m上った正面。突き当りを左折(南へ)したところに駐車場有り。
寺伝によれば、大同年間(806~809年)、天台宗の開祖・最澄(伝教大師)の高弟・最仙上人が開山したという。現・土浦市では、「朝望山 東光院 東城寺」(2020年8月15日記事)も最仙の開基と伝えられており、当寺院も当初は天台宗だったが、小田氏が領主となると(鎌倉時代初め頃?)真言宗に改められ、現在は新義真言宗に属する。本尊の木造薬師如来坐像は、像高127cm、榧(カヤ)の寄木造りで、所謂「定朝様式」の流れを汲むとして平安時代末期(12世紀)のものとされる(国指定重要文化財)。当寺院は何度か火災に遭っているが、「平将門の乱」(939~940年)のとき、兵火により堂塔が焼失した(因みに、「土浦城」は将門が最初に築いたもので、「常陸国府」(現・石岡市。2018年1月6日記事参照)攻撃の拠点にしたという伝承がある。)。伝説によれば、この戦火が収まった後、富士塚山(旧「土浦市役所本庁舎」(土浦市下高津1)が建つ丘)に七色に光るものがあった。松の木の上に当寺院の本尊・薬師如来が避難していたということで、村人が堂を再建して安置したという(このときは、薬師如来が自ら避難したらしい。)。また、昭和7年の火事では、本尊のみが住職に背負われて焼失を免れたが、本来はとても重くて1人では持ち上げられないはずだったところ、薬師如来が自ら立ち上がり、住職に手を差し伸べて背負われたと伝えられている。


土浦市のHPから(常福寺の薬師如来坐像)


写真1:「常福寺」参道入口


写真2:同上、参道の石段


写真3:同上、本堂。本尊の薬師如来像をガラス戸越しに拝見できる。なお、眷属の十二神将も安置されている。


写真4:同上、不動堂


写真5:同上、大師堂


写真6:同上、「常福寺のイチョウ」。樹高31.5m、幹周り5.9m、樹齢推定約400年とされ(茨城県のHPによる。)、土浦市指定天然記念物。雌株で、今も秋には多くのギンナンを落とすという。駐車場の南東端にあって、すぐ東側に「愛宕神社」が鎮座している。
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