神が宿るところ

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赤神神社 五社堂

2017-01-07 23:16:36 | 神社
赤神神社 五社堂(あかがみじんじゃ ごしゃどう)。
場所:秋田県男鹿市船川港本山門前28(拝殿)。JR男鹿線「男鹿駅」前付近から秋田県道59号線(男鹿半島線)を南西~西へ、約13km。県道に面して「赤神神社」拝殿があるが、駐車場はその手前約250mのところにある(「なまはげ立像」が目印)。更に県道を西へ約700m進むと、「五社堂入口」の案内板が出ている「長楽寺」駐車場がある。そこから「五社堂」へは、石段を10~15分登る。
社伝によれば、景行天皇2年(72年)に漢の武帝(在位:前141~前87年)が天から降りてきて、「赤神権現」として信仰された。貞観2年(860年)には、円仁(慈覚大師、第3代天台座主)が堂塔を建立して「赤神山 日積寺 永禅院」と称し、修験道場として栄えたという。中世~近世にも、時の領主に手厚い庇護を受けたが、明治の神仏分離により「赤神神社」として独立した(現在の祭神は天津彦火瓊々杵之命)。因みに、「赤神権現」(「赤神明神」)は、天台宗総本山「比叡山 延暦寺」の守護神である京都「赤山禅院」の本尊・「赤山大明神」と同じで、本来は唐の赤山の「泰山府君」のことであるとされる。「泰山府君」は、道教では「東嶽大帝」とも呼ばれ、仏教では地獄の十王の1人であり、陰陽道の主祭神として知られ、七福神の「福禄寿」ともされる。
さて、当地の伝説によれば、漢の武帝=「赤神権現」には5匹の鬼が蝙蝠(コウモリ)に変身して付き従ってきたという。そして、鬼たちは、普段は「赤神権現」に使役されていたが、正月15日だけは解放されて、村を荒らし回った。困った村人たちは、鬼と賭けをし、一夜のうちに1千段の石段を築くことができたら毎年1人の娘を差し出す、できなければ村から出ていく、という約束をした。鬼たちは、あっという間に石段を築き始めたので、驚いた村人の1人が999段できたところで鶏の鳴き真似をしたところ、夜が明けたと思った鬼たちは悔しがりながら村から出て行った。後の祟りを恐れた村人たちは、仮装した鬼たちに御馳走して山に帰すという祭りを始め、これが現在も続く「なまはげ行事」の基になったともいわれる。
ところで、「五社堂」は、建保4年(1216年)、比叡山の近江国式内社「日吉大社」(現・滋賀県)の所謂「山王七社」(西本宮・東本宮と5つの摂社)を勧請して造営されたが、そのうち2社が廃れたため5社となったとされている(本来は、中央に「赤神大権現堂」があったという。)。ただし、元々5社として建てられたのであり、「越王」・「古四王」(「古四王神社」:2015年8月15日記事参照)と関連があるのではないか(「五社堂」の「こし」が通じる)、という説もある。ともあれ、2013年の秋田デスティネーション・キャンペーンでは、女優の吉永小百合さんが出演するテレビCMでも紹介されたので「五社堂」ばかりが有名になったが、実は、更に奥、「毛無山」(標高617m)山頂に「中宮」、「本山」(同715m)山頂に「奥宮」がある。ただし、それぞれ自衛隊のレーダー基地があり、参拝するのは大変そうなので遠慮した。


赤神神社 五社堂のHP

秋田県神社庁のHPから(赤神神社)

「神社探訪・狛犬見聞録」さんのHP :「赤神社」として、奥宮まで参拝された記録があります。


写真1:「赤神神社」拝殿


写真2:拝殿横から「五社堂」まで999段の石段が続く。


写真3:素朴な感じの石段


写真4:同上


社員5:「五社堂」境内入口の鳥居


写真6:「姿見の井戸」。井戸の水面に自らの姿がはっきり映れば今年の生命が保証される。はっきりしないときは、災難不幸に遭う。全く映らないときは、その年のうちに死ぬこともある、という。


写真7:「五社堂」。向かって右から、「三の宮堂」、「客人権現堂」、「赤神権現堂(中央堂)」、「八王子堂」、「十禅師堂」というとのこと。国指定重要文化財。


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