神が宿るところ

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諏訪神社(茨城県結城市上山川)

2024-08-24 23:32:08 | 神社
諏訪神社(すわじんじゃ)。通称:結城諏訪神社、上山川諏訪神社。
場所:茨城県結城市上山川161。茨城県道23号線(結城坂東線)と同54号線(明野間々田線)の「芝崎」交差点から南に約400m。駐車場あり。ただし、こちらは社殿の裏側に当たり、西向きの社殿の前に約250mの真っすぐな参道があって、入口に朱塗りの両部鳥居がある。
社伝によれば、天慶3年(940年)、「平将門の乱」に対して、俵藤太こと藤原秀郷に将門討伐の宣旨が下り、秀郷が信濃国一宮「諏訪大社」(現・長野県茅野市ほか)から諏訪大明神の神霊を勧請して、現在の境内地で必勝祈願を行ったのを創建とする。将門に勝利した秀郷は下総国と下野国の守護に任じられたことから、諏訪大明神の御神徳に感謝し、社殿を建築して、神事に使った鏑矢を御神体として奉納した。それ以来、源頼朝に従い奥州合戦に参戦した当地の領主(結城郡地頭)の結城氏初代当主・結城朝光が戦勝祈願して勝利を収めるなど、万事必勝の神として多くの武将の信仰が篤かったという。江戸時代には、慶安2年(1649年)に社領五石を認められた。明治6年、村社に列格。現在の祭神は、建御名方命・事代主命・八坂刀女命。
なお、社殿の前にある「勝負岩」は、将門の軍勢の矢から秀郷を守ったといわれ、岩に触るとパワーを授かり、願いが叶うとされている。また、毎月4月3日の神武祭に行われる「太々神楽(だいだいかぐら)」は五穀豊穣、氏子・崇敬者の安寧を祈願するもので、茨城県指定文化財となっている。「太々神楽」自体は茨城県西部・南部の他の神社等でも行われているが、当神社においては、神楽師が半世襲的な伝承形態で、伝承者全員が舞を踊り、笛・太鼓を一通り演奏することができる免許皆伝となった者で構成されており、結城市内の他の神社にも出張して演じることに特徴があるという。


結城諏訪神社のHP

結城市のHPから(上山川諏訪神社太々神楽)


写真1:「諏訪神社」鳥居(社殿正面)


写真2:拝殿。社殿が西向きなのは、本社である信濃国一宮「諏訪大社」の方角を向いているためという。


写真3:本殿。室町時代に再建、元文2年(1737年)改修とされ、結城市指定文化財。


写真4:本殿横の鳥居。ちょっと変な場所にあるが、社殿の背後に県道が通り、専らそちらから参拝者が来るためだろう。


写真5:神事殿(神楽舞台)


写真6:由緒碑


写真7:境内社「天満社」。他にも、石祠の境内社がいくつかある。


写真8:「勝負岩」

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