神が宿るところ

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晴天山 西光院 結縁寺

2013-09-07 23:23:26 | 寺院
晴天山 西光院 結縁寺(せいてんさん せいこういん けちえんじ)。
場所:千葉県印西市結縁寺516。県道4号線(千葉龍ヶ崎線)と県道190号線(千葉ニュータウン南環状線)の「船穂中学校北側」交差点から県道4号線を南に約400mのところで左折(東へ)、約200m進んだところで南に向う狭い道に入り、更に300m。駐車場なし。
寺伝によれば、神亀年間(724~729年)に行基が当地を訪れた際、空が晴れ、草堂の脇の井戸に仏の姿が現れたことを瑞祥として自ら弥陀三尊像を刻して祀ったことを創建とする。天慶年間(938~947年)には真言宗となり、寺中6坊を有して、春秋に大掛かりな結縁灌頂の儀式を執り行ったことから、現在の「結縁寺」と称されるようになったという。本尊は高さ47cmの銅製不動明王立像で、嘉元元年(1303年)銘があるもの(大正3年に国の重要文化財に指定)。天正年間(1573~1592年)に火災により火災に遭って寺宝等を焼失したほか、元禄年間には6坊も退転するなどして伽藍も荒廃した。現在は無住で、「松虫寺」(印西市)と地区住民の手により、本堂と本尊等寺宝が守られているとのこと。
伝承によれば、平安時代末期の武将、「源三位」と呼ばれた源頼政が治承4年(1180年)に京都・宇治平等院の戦いで敗れたとき、下総国出身の家臣が頼政の首を持って脱出。当地まで来ると、首が急に重くなって、馬が動かなくなった。このため、当地に首を埋めて供養したという。当地の昔話では、首を埋める穴を掘るのに、村人が快く鍬を貸したことのお礼として、地獄花(ドクダミ)が農作業の邪魔になって困ると伝えたところ、それ以来、ドクダミが生えなくなったとする。当寺の南東、約300mのところに今も「頼政塚」とされる遺跡がある。ただし、他地区にも「頼政塚」はあり(京都府亀岡市のものが有名)、当寺を訪れたこともある民俗学の大家・柳田国男は、「頼政」とは憑坐(ヨリマシ)、霊媒のことであろうとしている。
また、当寺の鎮守である「熊野神社」の石段の下には、源頼政の遺徳を慕って伊勢国から来た女性が入定したとする墓塔が立てられた「入定塚」がある。元は大永6年(1526年)に建てられたものだが、現存のものは享保9年(1724年)に再建されたものという。


千葉ニュータウン高花第二団地のHPから(周辺地域散策)

千葉日報のHPから(銅製不動明王立像の御開帳/結縁寺(印西市))


写真1:「結縁寺」。寺の前には弁天池、背後は小山になっている。


写真2:同上。山門の前の蓮池


写真3:同上、創建伝説にいう「白蓮井戸」または「花井戸」(復元)。


写真4:同上、本堂


写真5:鎮守の「熊野神社」(住所:印西市結縁寺533)正面鳥居


写真6:同上、石段手前にある「入定塚」


写真7:「頼政塚」
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