神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

竹採公園

2010-09-10 23:15:27 | 史跡・文化財
竹採公園(たけとりこうえん)。
場所:静岡県富士市比奈2085-4。県道22号線(三島富士線)沿いにある、コンビニ「デイリーヤマザキ富士比奈店」の東約100mの交差点を北へ、正面が吉原第三中学校。その東隣。駐車場有り。入園無料。
「竹取物語」は、「かぐや姫」を主人公とする日本最古の物語であるとされ、その成立は9世紀後半頃ともいわれている。ただし、原本が失われており、おとぎ話などとしても流布したので、ストーリーにもいろいろヴァリエーションがあるようだ。
また、「竹取物語」由来の地というのも各地にあるようで、静岡県で言えば、富士山の麓、富士市に「竹採公園」がある。「比奈」という地名からして「姫名郷」に因むもので、周辺の小字に「赫夜姫(かぐやひめ)」、「籠畑」などといった地名があるという。そして、この公園となっている竹林に「竹採姫」と刻んだ自然石の小さな塚があったとされる(写真1)。
そして、富士市周辺で伝えられている物語は、延暦年間(782~806年)、竹籠を作る翁がおり、竹林の中で女の子を授かった。成長すると絶世の美女となったので「かぐや姫」と呼ばれた。国司に見初められ、「かぐや姫」は求婚を断ったものの、国司が押しかけてきて、数年間ともに暮らした。その後、「かぐや姫」は富士山の仙洞に入って天女になった。これを見た国司は絶望して、池に身を投げて死んだという。
さて、「竹採公園」には白隠禅師の墓もある(写真2)。白隠(1685~1768年)は、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧。駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)の出身で、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまで謳われた名僧である。で、なぜ、ここに墓があるかというと、ここに白隠禅師が再興した「神興山無量尋壽禅寺」(無量寺)という寺があり(明治初年に廃寺)、その寺の境内に竹採塚があったとされるからである。白隠禅師は「竹採塚」の由緒(縁起)も遺しており、それによれば、「かぐや姫」の誕生を景行天皇の御代とし、天子の求婚を避けて石窟に隠れたとする。そして、その後に「仙洞に入って天女になった」というところは同じだが、「かぐや姫」は「浅間大神」となり、竹取の翁は「愛鷹明神」、嫗は「犬飼明神」となったとしている。


「竹採公園de平安時代にタイムスリップ」のHP:http://www.taketori.info/


写真1:竹採塚


写真2:白隠禅師の墓。白隠禅師の遺骨は、ここ無量寺、松蔭寺(沼津市)、龍譚寺(三島市)の3ヵ所に分骨されたという。

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桃澤神社下社本宮(愛鷹明神)

2010-09-07 22:13:49 | 神社
桃澤神社下社本宮(ももざわじんじゃしもしゃほんぐう)。祭神:建御名方命。
場所:沼津市青野(おおの)504。県道22号線(三島富士線)沿い、「スルガ銀行青野支店」の約200m東にある「渡辺商店」という会社の角から北に約200m入る。曲がりくねった狭い道の先にあって、なかなか説明しにくい場所。駐車場なし。
式内社「桃澤神社」の論社。惣国風土記に、霊亀2年(716年)に建御名方命を祀り、中古より地元では愛鷹明神と称したとあり、愛鷹明神=桃澤神社という伝承から、式内社の論社となったらしい。愛鷹山(1188m)の山腹に中社、山頂に上社(奥宮)があり、明らかに愛鷹山を神聖視し、その登山を修行とした修験に関係するものと思われる。また、建久5年(1194年)に源頼朝が青毛馬99頭を奉納し、その後繁殖して牧場となったといい(静岡県神社志(昭和16年6月)による)、武家・農民の信仰を集めたようである。
「式内社調査報告(第9巻)」(昭和63年1月)によれば、当神社が式内社「桃澤神社」を称するようになったのは江戸末期とされ、「桃澤」という名に縁がないこともあって、当神社が式内社「桃澤神社」であることは否定されている。


「神社マッペ」(沼津市青野 桃澤神社):http://ruins.niyas.net/sizuoka-numazu/ono-momozawa.html


写真1:北端に「桃澤神社」の社号標。


写真2:社殿は、この鳥居の先。


写真3:社殿正面(平成2年再建)
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桃澤神社(駿河国式内社・その4)

2010-09-03 22:54:34 | 神社
桃澤神社(ももざわじんじゃ)。 祭神:建御名方命。
場所:静岡県駿東郡長泉町元長窪377。東名高速道路「沼津」ICの北側の側道(と言っても、かなり蛇行しているが)を道なりに東に進み、桃沢川の手前で左折(北西へ)すると、すぐに日蓮宗「円蔵寺」という寺院がある。その正面向かい側に、一の鳥居がある(写真1)。この鳥居を潜った参道は田圃の中の畦道のようで、その先、石段の前に二の鳥居がある。ここから階段を登っていくのだが、最初に東名の側道を降りきらずに、ちょうど第2東名の「沼津長泉」ICから伸びるランプウェイの下を潜ったところで左折(北西へ)すれば、すぐに当神社の社殿裏に出られる。縄が張ってあるが、自動車が置けるくらいのスペースはある。なお、その道路の先に法華宗本門流「信教寺」があるが、「円蔵寺」とともに、かつては当神社の別当寺であったという。
社伝によれば、当神社は霊亀2年(716年)の創建で、祭神は建御名方命。しかし、「桃澤」というのは、もとは「百沢」で、多くの沢があったことを表現したものであり、その水害を治めるために祀られたのではないかといわれている。また、鎮座地の長窪(ナガクボ)という地名は、長倉(ナガクラ)が訛ったもので、古代東海道の「長倉」駅家の置かれたところという。当神社も、その駅家の置かれた集落の神様だったかもしれない。創建時期はともかく(因みに、古代東海道の成立時期は8世紀前半といわれている。)、祭神の建御名方命というのは特に根拠もなく(あるいは、諏訪明神を竜神とみて、川の守り神としたか?)、元々は、名も無きこの土地の地主神だったかもしれない。


阜嵐健さんの「延喜式神社の調査」HPから(桃沢神社):http://www.geocities.jp/engisiki/suruga/bun/sr130602-01.html


写真1:「円蔵寺」前にある一の鳥居。社号標に「式内 村社 桃澤神社」とある。かなり先に二の鳥居が見える。


写真2:二の鳥居。ここから石段を登る。


写真3:「桃澤神社」社殿
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