気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

(‘75)9月16日 ( 103日目 ) サテンドール

2022年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム
午前7時、「おとひめ丸」は何事も起こらず那覇の港に接岸した。下船後すぐに新那覇港に行き、荷物をコインロッカーに入れ「飛龍」の乗船券を買った。この「飛龍」とは有村産業の船で大阪へ行くものである。そして今、10時48分。那覇市泊大通りにあるサテンドールで冷珈琲を飲んでいる。6月8日に着いて以来100日振りぐらいである。ここからの風景も懐かしい。何のアテも無く、仕事もこれから探そうとしていたあの時の事を思い出す。この今回の旅日記の第1ページを書き始めたのも、そう、この店に於いてであった。未だにSunny Afternoonの言葉が肌に染み通っては、あと6時間でここを離れるのだという気持ちを引き止めようとしている。名残り惜しさを高めて止まない。
すぐ近くの泊小学校も見てきた。毛利や須藤などと行動(旅)を共にする事となったあのY.H.春海荘もこの目に焼き付けて来た。そう、あの二人に出逢った事から今度の旅の内容が、結果的に(新たな)意味を持つようになったのだ。二人共先に帰郷してしまったが、この私の行動進行性に於いて、多分にその方向性を与える事になった。感謝している。一言書いておこう。
「ありがとう」
あの二人、とりわけ毛利がいなかったら、とっくに本土に帰っていたか那覇の何処かに住み着き(本当はそれが目的だったが)、竹富を初めとする島々を知らずにいただろう。勿論、キヨコとの《お話し》も無ければ、アルバトロスの日々も存在しなかったのだし…。全てはY.H.春海荘から始まったのであった。もっとも毛利と言えば、船室の等級こそ違っていたのだが6月6日、晴海からの船で同船していて、おまけに春海荘に泊まるという不思議な巡り合わせだった。是、まさに運命であったのだろうか…?
このあとは船の出港時間迄国際通りを歩いてちょっとした散歩と洒落込み、栄子(6月11日、初めての竹富渡島の際、日昇丸で同船し泉屋まで一緒だった大阪から康代と共に来ていた娘)に到着時間を電話して伝えておこう。

サヨウナラ…
Southend Island.
南海の果の島よ…。

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