昔々、あるところにゆっくりと歩くおじいさんがいました。おじいさんがゆっくりと道を歩いているとその隣からプールへ向かう小学生が追い抜いて行きました。
「プールか」
わしにもあれくらい小さかった頃があったものだ。しばし昔を振り返りながら、おじいさんはその歩みを止めることはありませんでした。おじいさんがゆっくりと道を歩いていると、後ろから来たレースへ向かう亀が追い抜いて行きました。競るものがいることは素晴らしいことだ。それは醜い争いとは違うのだからね。
「がんばれ!」
おじいさんは亀の背中にそっとエールを贈りました。しばらくすると後から富山の薬問屋の一行がやってきて、おじいさんを追い抜いて行きました。
「お気をつけて」
どれだけ追い抜かれようとも、おじいさんは少しも取り乱すことはありませんでした。それからまたおじいさんはゆっくりゆっくりと道を歩いて行きました。すると後ろから木漏れ日へ向かうクワガタムシがやってきて、おじいさんをすごい勢いで追い抜いていきました。その時、おじいさんはそれに気がつきませんでした。(我が道を行く)まさにそれはおじいさんにこそ相応しい言葉のようでした。
「おい! 歩道を歩け!」
時々、どこからともなく心ない言葉が飛んでくることがありました。そんな時にも、おじいさんはペースを守ったまま歌いました。(おじいさんの大好きなかきつばたの折句です)
・
カナブンや
着の身着のまま
罪な人
歯ぎしりすれば
太鼓乱れる
火星より
棋譜を届ける
つれづれと
はさみ将棋は
たけのこの里
枯れ草や
きな粉をつけて
突っ張れば
歯がゆさはもう
タコのぶつ切り
感傷の
気球に乗って
ついてくる
ハルという名を
たずねる君が
かさかさと
狐の夜に
躓けば
バターにとけて
タワーマンション
釜飯や
きのこの山を
つつきあう
ははははははは
楽しいですな
かまいたち
棋風を読んで
積み上げた
箱に紛れた
大将の猫
からあげや
金賞銀賞
艶やかに
蔓延る街に
煙草の煙
陰のある
今日を認めて
強くなる
履き違えても
旅の一日
革命の
汽車を見送り
つかれたの
果てなき君の
タイプライター
かさぶたと
昨日を呑んだ
月明かり
計り知れない
短冊をさす
・
「すみませんけど……。こちらはランナーのみなさんが走りますので、部外者は外へお願いします」
委員会を名乗る男たちに取り囲まれて、危険な目に遭うこともありました。
「ここは女性専用となっております。速やかに退出願います」
不条理なカテゴライズを押しつけようとする勢力につまみ出されそうになることも、しばしばありました。
「おい! ちゃんと歩道を歩けよ!」
また、どこからともなく心ない言葉が飛んできました。けれども、おじいさんはそうしたいかなる雑音に耳を傾けることもなく、ひたすら自分のペースでゆっくりと歩いて行きました。
様々な困難や妨害を乗り越えて、おじいさんはついに世界の果てまでたどり着きました。そこはとても水のきれいな場所でした。
「さーちゃん、みえるかい?」
おじいさんの隣にはいつでも彼女が並んで立って(歩いて)いました。それを知るのはおじいさんだけ。おじいさんだけの秘密でした。