残念です。非常に残念です。
言論に対する暴力の犠牲者が増えてしまいました。
断じて許してはいけない!
このような卑劣な暴力を許してしまうような世の中では、次の被害者になる可能性は、誰にだってあることになる。
っと、
ちょっと、真面目に熱くなっていますが、やっぱり、人が人に命を奪われてしまう、ということに、どんな理由があろうと、憤りを感じてしまうのです。イラクのことにしても、何であれ。正義でもなんでもない。ただただ、愚。
TB。--------
「junzirog:言葉に対する暴力に、ブログをやる者として、反応すべきではないだろうか?」
そうですね。
人間である以上、他者との関わり合いは不可欠で、その関わり合いの中では、もちろん、嫌なヤツも出てくるわけで、でも、その分、味方もいてくれる。
実は、そのどちらも必要で、そのような関わり合いがあるからこそ、人間として成り立っていくことができるのだろう、と思います。
だから、「人間」であるなら、「殺人」は論外ですね。
長崎市とのなにかトラブルが原因だとしても、それが何であっても、卑劣な暴力は、許される行為ではありませんよね。
仏教の教えでは、「怨親平等(おんしんびょうどう)」という仏教の思想があります。キリスト教では、「汝、隣人をあいせよ。また、汝の敵をも愛せよ」とあります。
そのような、思想があれば、少しは、こういう悲劇が減るのかもしれないと日々思います。