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2011年を振り返って。

2011年12月29日 23時38分38秒 | 日記・エッセイ・コラム

今年は、大晦日も仕事の予定なので、大晦日にアップするような内容のを一足先にアップしておきます。

このブログでは、その年を振り返ることを毎年するようにしているんですが、たまに、していない年もあったりで、なかなかええ加減さ、満載です。
しかし、やはり今年は振り返らずにはいられないです。こんな年は、あまりないですよ。
大震災に、原発事故。
あまりにも、たくさんの人々が死んだ。
ハラカミさんも、死んでしまった。


◆「311」。
今年は、この「311」から、切り離せない。
あれほどの地震に遭ったことは、大阪に住んでいた頃の阪神淡路大震災を含めて、なかった。
もちろん、阪神淡路の時でも、震源に近いところは、激しい揺れだったと思うが、当時、大阪の実家で経験した震度は、4だった。
今回の地震は、震源(域)から、それなりに離れていた東京でも、震度5弱あるいは、5強。
それだけでも、阪神淡路大震災と比べものにならないのではないか?と思った。
あの時、仕事中の職場は新宿区だったので、震度5弱だった。
地面との平衡感覚を失い、電線は縄跳びの縄のようにブラブラと揺られ、新宿の高層ビル群は、どれも折れそうなぐらい建物がしなっているのを目撃した。

それだけでも、十分、恐怖だった。

そして、津波の報道。

夕方、止まっていく交通機関に、それに伴う店舗営業への影響などを上司に進言し、新宿の各線各駅に足を運んで状況を確認しに行ったときの、新宿駅前の巨大ビジョンに映し出された津波の映像に、瞬く間に激しい恐怖感に襲われた。

衝撃だった。
そして、阪神淡路大震災の時の倍以上の人々が死んだ。

僕の人生も少しずつ歯車が狂い始めていった。


◆原発事故について。
これまで、原発の問題については、いろいろなところで警告がなされてきたにもかかわらず、それはすべてイデオロギーの問題にすり返られ、それに、翻ろうされた人々、逆にそれを利用してきた人々だけの議論に終始していたように思う。
しかし、事故が実際に起きた今、それは、国民誰一人として逃れられない問題となり、それぞれの立ち位置なかで、さまざまな反応を生み出していった。
楽観論、悲観論、いろいろあるが、どちらにしても、未だ収束にはほど遠く、何かが終わったわけでもなく、現在も目に見えないところで進行中の事故である。
僕も、東京にいた数ヶ月の間に、少しばかりは被曝しているという自覚があり、それなりの行動はしてきたつもりだ。
これからも、この事故、放射能のことを、すべての国民が軽く考えたり見過ごすことはできず、それぞれがそれぞれの立場で真剣に考えていくことが肝要だと思う。


◆その訃報は、あまりにも突然だった。
パソコンのモニタを少し遠目で眺めていたら、小さく「ハラカミ」の文字を認識したので、パソコンに擦り寄ってみると、

「レイ・ハラカミ、7月27日に脳出血のため急逝」

愕然とした。
信じられなかった。もちろん、信じたくもなかった。

もう、かなりな割合で音楽熱は、「レイ・ハラカミ」に注がれていたので、しばらく、元気を失ってしまった。

先日のハラカミさんのお誕生日会で、二階堂和美さんが話していた言葉が印象に残った。
「人生には、3つの「さか(坂)」がある。上り坂と下り坂、そして、まさか。」


◆どちらにしても、体調の不良で、この会社を辞めることになる、と確信した春。
早めに前の会社を辞め、両親の心配にも配慮し、そのまま大阪に戻り、大阪で再就職。
不景気風の厳しい大阪で、仕事が見つかるか、非常に不安でしたが、これ以上にない会社に、何とか、勤めることができました。
一時期、憧れを懐いていた会社でしたし…(以下、略。)僕の中では、いろいろなツボをおさえることができた、最良の選択だったのではないか、と思っております。

とりあえずは、「印刷業界から離れられたことだけでも、良かったかな、と思っております。」(鈴木宗男風)
(注:印刷業界を悲観しているわけではないです。念のため。)


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