花妖譚(司馬遼太郎 文春文庫 2009年)
1956年57年ころの司馬さんの初期の短編集で、花が重要なワードになっている小説10編を集める。はじめネタ振りをしておいて後半謎解きをして、最後余韻のある詩的なコトバで締めくくる(これは森鴎外の歴史小説に見られる)という司馬さんの短編小説の手法がこの頃すでに完成されていたことがわかる。妖怪の登場する物語(例えば白椿)がお好きなようで、読者は妖怪の繰り出す手品の中に取り込まれるようにして物語の中に取り込まれていく。
司馬さんの長編小説は、どうしても新聞小説の欠点を持つが(実際はどうだか知らないが夏目漱石の長編小説も新聞小説ではないかと思う。山場がない小説になってしまう。)司馬さんの短編小説は気合の入った作品になっていることが多い。司馬さんは読みごたえのある短編小説の名手だと思う。さらに、詩的なコトバで読者を酔わせる。井上靖も詩的だけどちょっと現実離れしすぎていて歴史小説としては嘘くさく感じてしまうが、司馬さんの小説は現実とも対応するレベルの詩想がある。
これらの短編には若いはつらつとした感性は感じるが、これでドーダという驕った感じがしない作品である。「こんなもんでいかがでしょうか。」という気分を感じる。仏師運慶の一番若い時の作品が奈良の忍辱山円成寺の大日如来像であるが、はつらつとした感性とともにドーダ凄いだろうという気分を感じる。司馬さんと運慶両者大違いである。どちらがいいどちらの態度が立派とは評価できないけど。
1956年は金閣寺が放火された年で、司馬さんは京都でこの記事を書いていたはずである。当時の新聞記者はのんびりしていて副業も可であったと見える。さらにこの短編を読むにはそれなりの古典の教養が必要である。戦後間もないころなのに、日本にはこのような教養のある読者層があったことに驚く。終戦後すぐの時代が、案外(物資はともかく)文化は豊かな時代であっただろうことが偲ばれる作品である。このような文章を読める人々が居たにもかかわらずなぜ戦争がおこったのか。