昭和が戦後であったころ⑦
昭和30年代後半、多分大叔母になる人だと思いますが長わずらいと言うことで親に連れられてお見舞いに行きました。いく道すがら「よー顔みときや、顔見れる最後やから。」と言われました。私どもが枕元に座っているときです。私も顔だけは知っている十歳以上離れた親戚の若い男の人がやってきて、「○○から内定をもらいました。」とうれしそうに言いました。○○は当時の私でも知っている大企業で給料もいいはずです。
大叔母さんはそれまで寝ていたのにガバと起きて布団の上に正座して大きな声で言いました。
「アホンダラ。そんなアタマあっち持って行かれるようなことしてどないすんねん。おいしいとこみなあっちにもっていかれるだけやないか。」
アタマあっち持って行かれるを聞いて私はこのお兄ちゃんが頭切り取られて血だらけになったのをどこかに待っていかれるのかと思って不安に襲われたのでよく覚えています。今は言わんとするところはよく理解できます。明治時代に大きくなった人は、(その人にもよると思いますが)気迫があるのと今の私たちとは全く異なる気持ちで生きていた。
その後確かにこのオバーさんの顔を見ることはありませんでした。また○○は、いったん倒産したそうです。
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