昭和はこんな時代であった③ 娯楽昔と今
大人たちが何を娯楽にしていたのかはよくわからない。ラジオの音は悪かった。落語漫才浪曲は聞いていたようだが長時間ではない。年に一回または二年に一回くらいは映画に行くこともあったが歌舞伎を映画に撮ったようなもので、子供には面白くもなんともない。ただ映画が終わって幕が閉まるときに観客が拍手するのは、子供心に変に感じた。あれは写真であるから演じる人はいない。拍手しても聞こえないのにである。思うに男の人は酒を飲むか煙草を吸うのいずれかが最大の娯楽であったようである。女の人は道端で立ち話に興じる人が多かった。
子供は日が暮れるまで外で自由に遊ぶことができた。車はほとんどないから事故にあう心配はなかった。私は新聞を端から端まで読むのが楽しみであった。特に一行広告が面白い。「真由美解決す連絡乞う」といった一行を読んで様々に想像するのである。または死亡欄に載った人物のことを想像するのもなかなか楽しかった。最近新聞が面白くないのはなぜかわからない。
テレビができてからもそんなに大きな変化はなかった気がする。テレビは夕方から夜の間と朝の時間帯しかなかったし、そんなに面白いものはなかった。あったとしてもそれが視聴者本人の満足のいく面白さとは異なることが多かったからと考えられる。テレビは視聴率競争を始めてからやっと面白くなった。テレビの出現は、仕事や日常生活を根こそぎ変えるというほどではなかった気がする。相変わらず子供は外で遊んだし、酒たばこや立ち話が減ったとも思えなかった。人々はテレビを見てその影響をかなり受けたが「テレビの中に住む」というほどではなかった。
最近ネット業界が巨大になった。ネットはテレビ業界に倫理を求めてテレビを面白くなくすことに成功して人々の娯楽を独占した。(およそ倫理は人生を楽しくなくすものである。)人々は今度はネットの影響だけではなく、ネットの中に住み着くほどの傾倒を示すようになった。人々はテレビの影響くらいでは子育ての楽しみも並行して楽しみたいと思ったようだが、ネットの中に住むようになってからは子育てが楽しいものかどうかも分からなくなってしまった。ネットの楽しみの中には子育ての楽しみが一切ない。これが現代である。
ここで提案である。お金をあげるから子育てしてほしいというのは間違いである。ネット業界がテレビ業界にしたように、ネット業界に倫理を求めてネットのことごとくを面白くなくするのである。そうすれば人々は究極の娯楽である子育てに夢中になるはずである。
昔の人はろくな娯楽がなかったが、子育ての楽しみは享受したのである。
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