いい爺ライダー旅日記

人生再出発!人生の第二ステージに乗り出した爺のバイク旅を紹介します。

いい爺ライダー 勝竜寺城を訪ねる

2017年02月07日 | 歴史を訪ねてバイク旅

2017年2月4日(水)

今日は冬晴れの温かい天気です。
羽柴秀吉と明智光秀の決戦”山崎の合戦”で逆臣とされて没した明智光秀の娘玉(細川ガラシャ)のその後の数奇な運命をたどってみようと勝竜寺城を訪ねることにしました。

勝竜寺城は細川藤孝が普請した城。
藤孝の嫡子忠興のもとへ明智光秀の娘である玉(細川ガラシャ)が嫁いだ城です。 

《参照》2016年05月14日”いい爺ライダー 山崎の合戦の場「天王山」を登る”


《ネット調べ》

Wikipedia 《細川ガラシャ》


  出発(2月4日[水曜] AM11時:30分)

《走行路》
・地点A ⇒ 門真JCTを抜けて第二京阪道の下、R1号を京都へ
・地点B ⇒ 寝屋川方面へ府道21へ左折
・地点C ⇒ R170号と合流
・地点D ⇒ 枚方大橋を越えてドンキホーテが左に見える辻子交差点を右折
・地点E ⇒ 堤防路からR171へ右折
・地点F ⇒ R171から府道67へ左折
 

《地点A》 近畿自動車道と第二京阪道の交わる門真JCTの下、R1号を京都へ
 

《地点B》 この先の交差点を枚方方面へ左折、府道21へ

 

《地点C》 左方向の京都高槻方面へ…
 

《地点D》 府道14とR170の交差点辻子を右折して堤防路へ出ることにした。
 

《地点E》 堤防路からR171を京都方面へ右折
 

《地点F》 R171を新幹線に沿って走り、「山崎」の信号で左折・・・
新幹線と阪急電車の下を抜けてすぐに右折して府道67(西国街道)へ出ます。

 

府道67(西国街道)を進むと大山崎町役場前を通り名神高速道路下をくぐる。
 

勝竜寺城公園へ到着!
 
駐車場へバイクを停める。
 


正面入り口。門を入ると史料展示館になっています。
 
正面の南門前に「明智光秀公三女お輿入れの城」と書かれた石碑が・・・
 
史料館の奥は庭園になっています。
 
ガラシャの面影の水・・・
 
夫婦仲が良かったと云われる細川忠興と玉の像が・・・
 
北西の方角から本丸を見る…
 
北東の方角から本丸を見る・・・
 
南西の角から南側の堀を見下ろす。
 
勝竜寺城公園の近くのコンビニへ行き、おにぎりとお茶で庭園を眺めながら昼食、
人心地ついたところで・・・すぐ近くに勝竜寺というお寺があるので立ち寄ってみることにする。


勝竜寺(真言宗)
大同元年(806)空海(弘法大師)の開基で寺号は恵解山青龍寺だが、大干ばつ大飢饉の年に千観上人の祈とうで雨が降り、龍神に勝ったということで勝龍寺と改名。
 
本尊は、鎌倉時代の十一面観音菩薩立像(国指定の重要文化財)
西日本ぼけ封じ三十三ヶ所霊場、及び、ぼけ封じ近畿十楽観音霊場。
 
これで帰路につく・・・
往路と同じルートを通ることにする。


 

無事に帰着しました (PM3時:15分着)

冬場の暖かな日差しに誘われ、急に思い立ってのバイクツーリング・・・。
昨年11月を最後に動かしてないバイクだが、バッテリーが新しいからか一発エンジン始動だった。

今回の走行距離は出発時のODOをチェックしなかったので正確ではないが・・・60kmぐらいです。

 

以上、最後まで読んでいただきありがとうございます。


 


いい爺ライダー 関ケ原の戦場跡を訪ねる

2016年07月24日 | 歴史を訪ねてバイク旅

 


7月19日(火)

ハッピーマンデーの祝日「海の日」で3連休の翌日、今日は本格的な夏日です。

前回6月1日の佐和山城跡に続き、今回は関ケ原の戦場を訪ねてみることにしました。
主戦場の関ケ原町は岐阜県の西端、北は伊吹山、南は鈴鹿山脈に囲まれた交通の要衝にあり、何といっても天下分け目の戦いの地です。

ということで、国指定の史跡となっている関ヶ原を目指してバイクツーリングに出発!


《ネット調べ》

★関ヶ原の戦い→Wikipedia 《関ヶ原の戦い》


  出発(7月19日[火曜] AM8時:21分) 


 
出発ODOは22788


《走行路》
今回は遠距離の日帰りツーリングなので高速道路を使わざるを得ないが、
同じ道の往復を避けて、できるだけ一般国道も使って走行路を決めました。
それに、せっかく関ケ原へ行くのなら…伊吹山ドライブウェイを走るのは必須かな・・・

往路が阪神高速14号線、西名阪高速道、R25(名阪国道)、東名阪高速道、R306、R365…、
帰路は名神高速道、京滋バイパス道、第2京阪高速道を走行。


阪神高速14号松原線へ… 
 
阪神高速14号から西名阪高速道へ…
 
西名阪高速道の天理料金所を通過…
 
そのままR25(名阪国道)を走行…やがて急坂と急カーブ、深い谷に架かる橋などが連続するR25の難所を登る…
 
この後、トイレ休憩で針サービスエリアに立ち寄る。
ここはバイクが集まるポイントになってる…
 
R25名阪国道から東名阪高速道へ入る…
 
東名阪高速道の亀山料金所を通過…
 
東名阪高速道を鈴鹿ICで降りて右折…
 
赤い鳥居の先でR306へ合流してすぐに右折…あとはそのままR306を関ケ原方面へ… 
 
突き当りのR365を左折…。ここからしばらくはR306とR365が合流している国道です。
 
R365を走り、名神高速道と新幹線の下を抜けて、R21を過ぎると関ケ原古戦場跡の看板が右側に…


しかし、先ずは伊吹山を目指すことにする。古戦場跡を通り抜けて伊吹山ドライブウェイへ右折…
 
ドライブウェイ入口…
 
山頂駐車場へ到着…バイクを駐車して駐車場奥の登山口へ歩く。
 
ここから約1時間の登山道…左上が山頂・・・
 
登山に際しての注意と登山ルートの案内板が…
 
その近くには芭蕉の句碑が…
 
説明板によると…「奥の細道」終点地の大垣で滞在中に詠んだ伊吹山の句
 


駐車場の奥の売店から登れる展望台へ上がってみた。
観光バスが何台も駐車できる広い駐車場です。俺のバイク駐車場所は画面真ん中の一番奥…
 
帰路に、ドライブウェイ横の崖っぷちで超望遠カメラを構えてる人に何を撮ってるのか聞いてみた。
大勢のカメラ愛好家が「イヌワシ」の撮影を狙って集まっているそうです。
 



伊吹山ドライブウェイを降りると、先に通り過ぎた関ケ原の戦場跡へ向かう。
正面に見えるのが、笹尾山・石田三成陣跡
 
笹尾山・石田三成陣跡の前の駐車場へバイクを駐車

バイクを駐車した場所のすぐ上には何層も柵が設置された石田三成の布陣が…
 
駐車場に立つ説明板

石田三成陣跡から右奥の、笹尾山交流館(旧関ケ原小学校跡地)前を通り抜ける。


笹尾山交流館から南へ50mの、ここが関ケ原合戦で最も戦いの激しかった場所…
 
一旦R365へ出て南へ300mの三叉路左方向に歴史民俗資料館の案内が…
写真の右が歴史民俗資料館…左側は徳川家康の陣跡
 


まだまだ関ケ原の合戦の見どころがいっぱい残ってるけれども、
日帰りのバイクツーリングの今回は時間的にもう帰らなくては…名神高速道の関ケ原ICへ向かう…


関ケ原ICで名神高速道へ入り、後は京滋バイパス、第2京阪道で門真南ICまで、高速道を走る…
 
名神高速道から京滋バイパス道へ…
 
京滋バイパス道から第2京阪道へ…
 
第2京阪道終点の門真南ICで降りる。


 帰着しました (PM5時:31分)

 ODOメータは23151
今回の走行距離は363km


一日で300kmを超える距離をバイクで走るのは時間的にも体力的にも少々無理があると思いました。
遠方への日帰りツーリングで日が暮れるまでに帰り着こうとすれば、高速道路を利用せざるを得ません。
バイクにETCを装着していますが(通行料金は軽自動車と同額)・・・今回は高速通行料をしっかり使った。

歴史を訪ねてバイク旅・・・のカテゴリーですが、伊吹山ドライブウェイがメインになってしまった感があります。
でも、鈴鹿山脈に沿ってR306、R365を走るルートも、楽しく爽快なバイクツーリングでした。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。



いい爺ライダー 佐和山城跡を訪ねる

2016年06月03日 | 歴史を訪ねてバイク旅

6月1日(水)

佐和山城は石田三成の居城です。
「治部少に過ぎたるものが二つある。 嶋左近に佐和山の城」
三成に過ぎたるもの…といわれた佐和山城はどんな城だったのか・・・

雨の日は避けているバイクツーリングですが、梅雨の季節が来る前に・・・
ということで、佐和山城跡を訪ねるバイクツーリングに出発しました。


《ネット調べ》

★佐和山城→Wikipedia 《石田三成の居城》


  出発(6月1日[水曜] AM9時:15分) 


 
出発ODOは22278


《走行路》
第二京阪道を久御山JCTで瀬田バイパス道へ入り、瀬田東JCTで名神高速道を彦根ICへ~、
あいにくと名神高速道の吹田IC~春日井IC間が集中工事中だったため、瀬田JCT⇔彦根IC間はノロノロ走行…でした。
帰路には高速道を使わず、R307→府道5号→R163を走ります。

帰路に紫香楽宮跡や恭仁京跡横を通り抜け ◆参照→「聖武天皇の遷都をたどる」


瀬田東JCT~彦根IC間は名神高速道の集中工事で渋滞…あせらず…気持ちを抑えて…のんびり走ることにする。
ようやく彦根ICへ到着… 
 

彦根ICをR307へ出ると500mほどで右折してR8へ入る。するとすぐに三叉路を左折して県道517号へ…
 
近江鉄道とJR線路を越えて、彦根警察の前を過ぎるとすぐの交差点、船町東を右折…
 
約400m走った地点で龍潭寺の案内看板を見つけて右折。
 
JRの踏切を越えた先に佐和山城跡が…
 
踏切を渡るとすぐ左折して…そのまま約100mほどで龍潭寺の駐車場へ到着した。
 
佐和山城ハイキング入口の看板があるが、あえて龍潭寺の山門を抜ける道を歩くことにする…
 
参道の階段を登る。
 
龍潭寺の奥の山道をどんどん登ると…右が佐和山城跡、西の丸、本丸の看板が…
 
塩硝櫓跡入口の標識が…
 
西の丸跡へ到着
 
西の丸に立つ説明板
 
西の丸から本丸を目指す。
 
本丸跡へ到着!
 
本丸跡から琵琶湖の畔に彦根城を見下ろせる…
 


龍潭寺から登った地点まで戻ると、今度は大洞弁財天の方角へ直進して頂上600mまで登ってみる。
 
大洞弁財天の方向は東山ハイキングコースになってます。
 
山を下ると浦山側から大洞弁財天へ出た。
 
龍潭寺の駐車場へたどり着いた際に、先ほど出会ったハイカーにカメラのシャッターをお願いした。
 

ヘルメットを帽子に代えただけの姿で佐和山城跡を登ったが、曇り日で暑くなく風があってちょうど良かった。
途中で3組のハイキングの人達に出合ったが、歴史を思い起こしながらの手軽なハイキングコースだった・・・


これで帰路につく・・・、
集中工事中の名神高速道を走るのはチョットつらい…ということで、
R307を走り、紫香楽から府道5号線で和束町を抜けてR163へ出るルートを選ぶ。

R307をチョットそれて紫香楽宮跡の横を通り抜けた。
 紫香楽宮跡の横

R163沿いの恭仁京跡の横を通り過ぎる…
 恭仁京跡の横


 帰着しました (PM5時:08分)

 ODOメータは22511
今回の走行距離は233km


高速道路は早くて便利だけど、走っていても全然面白くない。サービスエリアでの休憩だけ楽しみかな。
ましてや、渋滞の高速道路なんて苦痛のみ・・・そこで、帰路は一般道で帰ることにした。

長距離を一般道で走るのは疲れる…と思ったが、実際に走ってみると全然平気で、
緑広がる山間の道路を軽快に走り抜ける爽快さを味わうことができました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。



いい爺ライダー 山崎の合戦の場「天王山」を登る

2016年05月14日 | 歴史を訪ねてバイク旅

5月12日(木)

「ここが勝負の天王山」などと言いますが、「天王山」は、摂津国(大阪府)と山城国(京都府)の国境にある標高270.4mの山であり、
羽柴秀吉と明智光秀が布陣して、この戦いの勝敗を分けた要所です。

バイクツーリングというよりも山歩きハイキングになってしまいそうですが…
初夏のような好天気のもと、歴史を訪ねるバイク旅…の一環として天王山を目指すことにしました。


《ネット調べ》

★羽柴秀吉と明智光秀が山崎の合戦で布陣した場所→Wikipedia 《戦の勝敗を分けた要所》

《走行路》

◆中央環状道路を摂津市で府道14号へ⇒R170⇒R171を左折でJR島本駅前へ⇒府道67号(西国街道)を走る⇒JR大山崎駅前⇒アサヒビール美術館前⇒山崎聖天⇒以後は徒歩にて天王山の山頂を目指す。


 

 出発(5月12日[木曜] AM9時:30分) 


 
出発ODOは22206

今回は目的地で山登りをすることになるので、メッシュ生地のバイクウエアの下は長袖Tシャツを着用し、タオルと帽子とペットボトルのお茶を入れたリュックを背負う。
天王山到着したらバイクウエアを脱いで歩くことにする。

摂津市で中央環状道路を府道14号へ入り、R170、R171を経由してJR島本駅前へ到着・・・

島本駅前(西国街道)から府道67号へ入ろうとしたが一方通行で通れない。
JR跨線橋を越えることにする。 
 
JR東海道線を越えて関西電力横のグラウンドを回ってJR東海道線の下をくぐると…
ようやく府道67号(西国街道)へ出た。
 
府道67号(西国街道)を走り、JR大山崎駅前へ到着!
 
大山崎駅前から線路沿いに100mばかり走った場所の踏切を渡ります。
 
アサヒビール美術館前へ着いたが駐車場が無いし、これより先は通行止め…
 
止むなく美術館見学をあきらめて引き返し、線路沿いに京都方面へ走ると山崎聖天と天王山登山口の石碑があった。
 
駐車場所を求めて山崎聖天の参道へ
 
参道の途中(右側)に駐車スペースがあったのでバイクを駐車した。
 
山崎聖天へお参りすることにする。石段を登ると…
 
山門がある
 
山門を抜けてさらに石段を登る。
 
この後は歩いて天王山山頂を目指します。


=これから先は天王山ハイキングコースを歩く=

写真撮影ポイント地点を番号で示しています。
 


 地点① 
山崎聖天の参道入口の横がハイキングコースの登り口です。
登り口を歩き始めてすぐに工事中のため回り道の案内板があり、美術館方向への道を進む。
 
竹林の中を歩く
 
アサヒビール大山崎美術館の裏側へ出た(今歩いて来た道を振り返った写真)


 地点②

美術館の裏側を進むと、左が宝積寺、右が天王山への登山道の標識が…
 
登山道の途中、左側に広場があり、説明標識が…
 
ハイキングコース(登山道)に沿って荷物用のモノレール線路がある。


 地点③ 
左下の道と合流した地点で振り返る。
今歩いてきたのは右上の道…左下の道が工事中で通れなかった道。
 


 地点④ 
旗立松展望台の手前に石の鳥居が…
 


 地点⑤ 
旗立松展望台…東方向の淀方面を見下ろす展望
 
展望台の道向かい側には休憩所があり、陶板の説明板が…
これは両軍の布陣を描いたもの
 
こちらは天王山の麓での合戦の様子を描いたもの


 地点⑥ 
登山道の左側に幕末に起こった禁門の変・十七烈士之墓が…
 


 地点⑦ 
酒解神社の手前に明智光秀の最後を描いた陶板の説明板
 


 地点⑧ 
天王山の山頂へ到着
 
秀吉と千利休を描いたもので、天下人となった秀吉を説明したもの
 
山頂は城郭の跡が残るのみだが、井戸跡です。
 
この後は登ってきた道をバイクを駐車した場所まで戻り、バイクに跨り帰路に…


帰着しました (PM2時:55分)

 ODOメータは22278
今回の走行距離は72km


竹林の中を歩くと、あちらこちらに高く伸びたタケノコがありました。
どんどん成長する樹々、新緑の中を歩いて初夏の季節を堪能しました。
帰路は淀川の堤防を走行、府道14号で摂津へ…のルート、全走行距離は72km、
バイクツーリングというよりハイキングのような感じだったが、自然の中を歩くのも気持ちが良いですね。

最後まで読んでいただきありがとうございます。



いい爺ライダー 近江宮殿を訪ねる

2015年10月30日 | 歴史を訪ねてバイク旅

今日も天気が良く、秋を訪ねてバイクツーリングの誘惑に駆られて出かけることにします。

私は何度か明日香村へ行くうちに飛鳥時代の歴史に興味が湧いてきたのですが、井上靖の小説『額田女王』を読んで、天智・天武両天皇から愛される美しき宮廷歌人『額田女王』を描いている時代背景の中で近江宮が謎でした。
そこで、この時代背景を読み解くための近江宮歴史探訪をしようと思います。 


《「近江宮」に関係するネット調べ》

大化の改新の時期の皇室の系図を掲載しました。
『額田女王』の人間関係や、天智天皇の長子の大友皇子に対し、弟の大海人皇子が起こす壬申の乱までの5年間しか存在しなかった近江宮の理解に参照ください。

 

★近江神宮の案内⇒境内図と境内各所の案内 →Copyright © 近江神宮. All Rights Reserved.
★近江神宮⇒大津市に鎮座する神社で、1940年(昭和15年)に創祀 →Wikipedia《近江神宮》
★壬申の乱⇒天智天皇の子の大友皇子に対し、大海人皇子が反旗をひるがえした内乱 →Wikipedia《壬申の乱》

《「額田女王」に関係するネット調べ》 

★額田女王(ぬかたのおおきみ)⇒井上靖の歴史小説 →Wikipedia《額田女王》
★額田王(ぬかたのきみ)⇒飛鳥時代の日本の皇族・歌人。天武天皇との間で十市皇女を生む →Wikipedia《額田王》


 出発(10月24日[土曜] AM10時:51分) 

天智天皇の都、近江大津宮へ向けて出発。
 
出発ODOは20206 、絶好のツーリング日和です。


近畿自動車道→名神高速道の京都東ICで161号西大津バイパスへ、南志賀ランプで降り県道30号を400mほど大津市街方向へ…。
近江神宮の参道前へ到着。
 
一の鳥居をくぐると表参道が続きます駐車場へは参道の左側にある道を行きます。


参道をまっすぐ進むと二の鳥居が見えてきます。
 この参道はバイクが走れません。
参道の左側にある自動車用の道を通り、駐車場へバイクを停めた後で参道を歩きました。


二の鳥居の階段下
 
一の鳥居から100mぐらい歩いた地点


二の鳥居を抜けて右に寄った位置が正門階段
 
階段の上に朱塗りの楼門があります。


階段登り口の左側にある手水舎の隣に、近江神宮の由緒書きの札が掲げてあります。
 
ちょうど七五三詣での時期で、多くの着飾った子供連れ参拝者がいました。


近江神宮の由緒書きです。
 
天智称制6年(667年)都を奈良の飛鳥から近江大津宮へ遷都、その後、わが国憲法の源をなす「近江令」を制定、学校制度を創始、戸籍の制定(庚午年籍)、土地制度の改革(班田収授)、等々・・・・判読しづらい。


正門階段下へ歩いて来る途中の左側に12基ほどの石碑があり、歌が詠まれています。
その中で2基だけを写真を撮ったので掲載します。

春日真木子歌碑
  
『人間の智恵のはじめよひそひそと秘色の水に刻まあたらし』


高市黒人歌碑
  
『楽浪乃国都美神乃浦佐備而荒有京見者悲毛』
さざなみのくにつみかみのうらさびてあれたるみやこみればかなしも


「歴史的風土特別保存地区」の看板
 
駐車場の横にあった看板です。むやみに足を踏み入れるな…という注意


楼門を入ると本殿前の外拝殿です。
 

結婚式もあったようで、写真屋さんが楼門をバックに参列者一同の記念写真を撮ってました。
その人たちを避けて、本殿をパチリ。


本殿側から楼門をパチリ。
 
七五三詣でが多い


本殿側から見て右側に時計館と宝物館があり、その隣には・・・何やら日時計や水時計などが…
 
天智天皇の10年(671年)4月25日、漏刻と鐘鼓によって初めて時を知らせたという『日本書紀』の記事にもとづき、太陽歴に換算して6月10日を「時の記念日」に定められたとのこと


天智天皇御創始の漏刻
 
天智天皇(中大兄皇子)が皇太子時代に日本で最初の水時計を作ったと言われている。


漏刻とは?…水時計です。
 昭和39年オメガ社日本総代理店奉納
四段の水槽の上段から順に水が溜り、最下段の水槽に浮かべた矢が浮き上がって時刻を知らせる仕組み


火時計、古代中国で使われたと伝えられる。
 昭和54年ロレックス社奉納
金属の錘を吊り下げている糸を線香が燃えることによって焼き切り、錘が落下してドラが鳴り時を告げる仕組み


大津神社への車両出入り口前の「大津京シンボル緑地」とする駐車場がありました。
 
「大津京シンボル緑地」…となっているが、駐車場の中に万葉集の歌を刻んだ石碑が置かれている。


額田の女王の歌が…
  
ピンボケ写真(^^;) 横の歌碑は撮れてた。
『君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く』


藤原鎌足の歌も…
 
『我はもや安見児得たり皆人の得かてにすといふ安見児得たり』


「大津京シンボル緑地」にあった大津宮の復元模型の図…
 そのまま南へ歩いて
現在地から南側に大津宮が在ったんだ…


住宅地の一角に史跡近江大津宮錦織遺跡の杭標識が…
 
説明立札が奥にあった。


奥の説明立札
 


説明立札の航空写真部分です。
 近江神宮を赤色で囲った。 


説明立札の説明部分です。
 この遺跡の角を左へ30mほどで近江神社前駅です。


踏切を越えて…近江神社前駅の入口
 
駅の入り口側


駅の反対側(線路の側)に案内板が…
 
他にも遺跡がある…すぐ近くなので行ってみよう。 


線路沿いの場所・・・ここが遺跡とのことだが?
 
周囲は住宅地で…標識と説明立札があるだけの空き地状態です。


「史跡近江大津宮錦織遺跡」の標識
 


説明板 「近江大津宮錦織遺跡第四地点」
 
埋め戻したのか、説明の遺跡らしきものは見当たらない。


南西の山手側へ歩くと、皇子山古墳公園の道標が…200m先に古墳があるようです。
 
天智天皇の古墳だろうか…案内道標の方向へ歩いてみた。


また案内道標があった。
 
住宅地の坂道を上る…


少し登ると…バイパス道路への接続道路からに小高い山が見えた。
 道路の向こう側
もしかして…あれが古墳なのか? これより先は自動車専用道路みたいなので行くのを止めて引き返した。


天智天皇の没後、太子の大友皇子に対して、弟の大海人皇子が地方豪族と結び反乱を起こして大海人皇子が政権を取る。
その後、大海人皇子は飛鳥へ都を移したので、近江宮は5年間の短い期間でその存在を終わることになったそうです。

 

近江宮を訪ねる旅はこの辺で終わることにします。 

 

さて、まだ時間があるし、どこかバイクツーリングしたい…
比叡山ドライブウエイを走ろうかな…でも、いかにも観光地らしい場所なので…思い直し、秋を探索することにして北の方向へ朽木村を目指すことにした。


国道161から琵琶湖大橋につながる国道477号を西へ、国道367号を北上して高島市朽木の道の駅「朽木本陣」へ到着!
 
道の駅の裏を流れているのは安曇川で、琵琶湖へ流れている川です。


安曇川に沿って県道23号を琵琶湖方向へ走ります。
途中、橋の上から日が傾いてきた夕日で輝いている上流を逆光でパチリ
 


琵琶湖へ出ると、後は国道161号を名神高速道の京都東ICへ向けてひた走ります。
琵琶湖の西岸の白鬚神社前で一時停車、ここでも七五三詣り・・・
 道路の反対側は琵琶湖


湖面に浮かぶ鳥居があります。
 
湖面には魚釣りか…小舟が一艘浮かんでました。 


名神高速の京都東ICからそのまま帰路です。

 

 帰着しました (PM5時:15分)

 ODOメータは20432
今回の走行距離は226km、好天に恵まれ、歴史探訪に加えて、山間道路・湖岸道路を心地良く走ったバイクツーリングでした。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。



いい爺ライダー 唐招提寺へ行く

2015年10月17日 | 歴史を訪ねてバイク旅

今日は天気が良くて、家にジッとしてられずに、ちょっと出かけよう…と鑑真和上ゆかりの奈良唐招提寺へバイクで出かけました。
最近、険悪になってきた日中関係ですが、1200年前に唐の国から命を賭して大和の国へ渡航してきた鑑真和上を訪ねるのも良いのでは…と思います。


《「唐招提寺」に関してネット調べ》

唐招提寺の創建は759年。
今から約1250年も昔のお寺で、1998年にユネスコより世界遺産に登録された古都奈良の文化財です。

★唐招提寺⇒奈良市五条町にある鑑真が建立した律宗の総本山 →Wikipedia《唐招提寺》

★鑑真和上⇒五度の渡航失敗で盲目の身となりながらも、六度目で渡航を果たす →Wikipedia《鑑真》

★唐招提寺⇒TBS唐招提寺2010プロジェクト →Tokyo Broadcasting System Television, Inc.

★鑑真大和上⇒5回の渡航を試みて失敗、・・・6回目に日本の地 →Toshodaiji. All Rights Reserved.


 出発(10月14日[水曜] PM1時:15分) 

 

唐招提寺へ到着しました。
 左側が駐車場 
早速、唐招提寺前の駐車場にバイクを停める。


受付は画面の左の階段を上がった南大門です。
 右側は社務所 
拝観料600円でした。


南大門を入ると正面に見えるのが金堂
 
本尊を安置する大きな金堂


ユネスコ世界遺産登録の記念石碑
 
1998年、鑑真の唐招提寺は世界遺産に認定された


案内図を見て…左回りに行くことにする。
 
境内の案内図


校倉造りの宝物殿が2棟並んでる。
 
右が経蔵、左が宝蔵


宝蔵を北西の方向から撮影したものです。
 
高床式のログハウスと同じ構造で、湿気を防ぎ、適度に通気性があるんだろう。


開山堂
 
鑑真大和上のお姿を写した像が安置されています。


「御身代わり像」ですが、毎日参拝できます。

国宝の和上像は例年、6月5、6、7 の三日間しか開扉していない。


北側より鼓楼の方角を見る。
 
正面に鼓楼が、左側は東室と礼堂、右側が講堂です。


北原白秋の歌碑
 

盲ひはててなほし柔らとます目見に聖なにをか宿したまひし
唐寺の日なかの照りに物思はず勢ひし夏は眼も清みにけり・・・と詠じている。


戒壇堂
 
受戒のための最も神聖な場所


唐招提寺の見学を終えて、帰るにはまだ早すぎる…そこで、唐招提寺の裏手へ行ってみました。
近鉄電車橿原線を越えて、北へ線路沿いに500mほど走ると池の中に小丘が浮かんでいるような景色が…
 
垂仁天皇(すいにんてんのう)の御陵


古墳の周囲が水に囲まれていて、そこには何匹もの亀さんがのんびりと浮かんでました。
 
前方後円墳、全長227m


管理された綺麗な御陵ですが、誰もいません。
 
陵(みささぎ)・霊廟


田んぼや畑の向こうに見える森が唐招提寺のある場所。
 
畔にはコスモスの花が咲き、稲刈りをしてる…のどかな風景です。


近鉄電車が…
 
秋晴れの明るくのどかな風景と電車が良く似合ってる…思わずパチリ


 

 帰着しました (PM4時:35分)

 

今回はちょっと走っただけで、バイク旅行と言うほどのものではなかったですね。
ですが…これからは気軽にバイクを駆って行く日常的な事柄であっても気ままに掲載していこうかなと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。



いい爺ライダー 竹ノ内街道を走る

2015年10月08日 | 歴史を訪ねてバイク旅

平成15年10月3日(日曜)、今日は久しぶりの晴天です。
気軽なバイクツーリングを…と考え、かねてより一度行ってみたかった歴史国道「竹ノ内街道」を目指して走ることにした。


《以下、「竹ノ内街道」についてネット調べ》

★竹内街道⇒二上山の南麓・竹内峠を越えて奈良県葛城市の長尾神社付近に至る約26kmの街道 →Wikipedia《竹内街道》

★歴史国道⇒ 歴史上重要な幹線道路として利用され、歴史的・文化的価値を有する道路として国が選定した→Wikipedia《歴史国道》 


 出発(10月3日[日曜] AM10時:06分) 

 
出発時のODOメータは19739Km、太子町を目指します。


出発点から道の駅「近つ飛鳥の里・太子」までの走路を示す。

①内環状線(R479)の深江橋で左折
②阪神高速13号東大阪線を外環状線(R170)へ出て一気に南へ走行
③羽曳野市に入り、南阪奈道路下の交差点で左折
④約1kmで橋を渡って右折、府道27号を南へ
⑤約2km走り、太子交差点で左折して太子町の古い町並みを道なりに進む
⑥三叉路(六枚橋)の突き当たりが国道166号なのでそこを右折(現在では国道166号が竹ノ内街道)
   そのまま国道166号を走ると道路の左側に道の駅「近つ飛鳥の里・太子」へ到着

 
道の駅「近つ飛鳥の里・太子」でパンとお茶を買った。途中、適当な場所で昼飯としよう。
再びバイクに跨り葛城市方向へ向かう…


道の駅から古都飛鳥方面への走路。とりあえず当麻寺に向けて進む。
 


撮影ポイント(A)竹ノ内峠、ここは国道166号線上の大阪府と奈良県の県境です。
 竹ノ内街道入口
竹ノ内街道入口の看板はハイキングコースの案内 
 道路の向かい側
こちら側にも竹ノ内街道の看板が…散策道が続いています。

 展望台が…
ここから望めるのは飛鳥京の方角ですが、木立に遮られてあまり展望がよくない。 
 階段が続いてる
階段を下ると道路左側の入口から国道をくぐり抜けた道と合流しています。
 大阪側に休憩所
ここで昼食を…と思ったが、ハイキングの人達がいたので止めた。
 
ここに関所があったのかな… 聖徳太子もこの峠を越えてたんだなぁ
 
太古から四天王寺と飛鳥を結ぶ交通の要所であり、
遣隋使などの使節もこの峠を越えて飛鳥京を訪れた。


撮影ポイント(B)史跡の丘の前にバイクを停める。
 
三叉路の曲がり口に炭焼き工房があったが、人影が無いので外から覗いただけ。
  
史跡の丘への登り口階段の前にバイクを停めた。
 この登り口…草ぼうぼうで気味が悪い
階段を登る途中で…あっ「蛇だ!!!」
 良く見ると大きなナメクジだった。(長さ約20cm)
下の道路面から高さ約10mぐらいで階段を登り切ると…草が生い茂っていてこれ以上入れない~
 登り切った場所
誰一人来ない場所の様子ですが、ここは古墳の頂上近くらしい。


撮影ポイント(C)さっき登った古墳の裏側にため池があり、その畔に芭蕉の碑がある。
 
芭蕉が当麻寺へ…こんなところにも芭蕉の足跡があるんだ…
 
池の畔の芭蕉の碑の近くにベンチがあり、桜の木が植わっています。
桜の木の隣のベンチで昼食にしよう。
 池を背中にベンチが
バイクの左横の山は古墳ですが、静かな場所で落ち着きます。
 
バイクを停めた道路の奥にちょっとした広場があり、その先から古墳に登れそうな感じ…。
池の畔で古墳を眺めながらパンとお茶の昼食でした。


昼食を済ませて…、さて、もう一度道の駅まで走ろう。
今度はできるだけ古い街道や街並みを辿りながらのバイク走行をすることにする。
 走路図です。


撮影ポイント(D)芭蕉の小径から橿原市街の方向
ここからは全く展望がありません。
 
左下へ下って先っき走った国道へ出ると、今度は旧街道へ…。


ポイント(E)歴史国道「竹ノ内街道」 ここから国道に沿って古い家並みの道です。

 
  
この道は500m程で国道と合流し、家並みも途切れてしまいました。


撮影ポイント(F)国道と合流して400~500m走ると、また古街道との分岐点があった。
 
今度は国道下の旧道へ入ることにしたが、この道はスギ・ヒノキなどに囲まれた山道です。
途中、ハイキングの3人連れと出会いました。


撮影ポイント(G)山道を走り抜けると竹ノ内峠の国道上へ出た。
 
国道下に三叉路、前方は階段なので左折して国道下をくぐり抜けると…前をガードレールで塞がれてる。
ガードレールの隙間を抜けて出たが…この道はバイク走行OKだったの?。でも、走行禁止表示は無かった。


撮影ポイント(H)竹ノ内峠を大阪側へ50mぐらい下った地点です。
国道と並行に旧道がありますが、
この道は歩行者専用でバイクは走行禁止でした。
 
国道脇にバイクを停めてパチリ
 
大阪方向への下りを後ろからパチリ
 
竹ノ内街道の説明碑です。


撮影ポイント(I) 二上山・万葉の森のハイキング路の入口
 
「万葉朝がゆ会」なんてのがあるんだ、早朝からハイキング愛好家が集まるんだろうな
 
石造りの「二上山・万葉の森」モニュメント
 
 
3方向へのスタート地点かな
 
 
この後はさらに国道を下って道の駅へ…


撮影ポイント(J)再度の道の駅
道の駅の裏に川があり、その橋のたもとに竹内街道歴史資料館の案内板
橋を渡ればその先が竹ノ内街道ですが・・・この橋はバイクで渡れない。
 
橋を歩いて渡ると右側へちょっと歩いた位置に道案内板があった。
バイクでこの道へ入るにはどうすれば・・・?
 
どうやら、バイクで竹ノ内街道へ入るためには国道へ出て旧街道の入口から入るようです。


道の駅で一休み…今度も古い街道や街並みを辿りながらのバイク走行で行こう。
 走路図です。
道の駅から一旦国道へ出て、旧街道の家並みに沿ってバイクで走りました。
竹ノ内街道の走路を緑色の線で示しています。赤色の点線は帰りの走行路です。


撮影ポイント(K)古代の街道「歴史国道」をバイクで走る。
 


 撮影ポイント(L)太子町立竹内街道歴史資料館
 
入館料200円で資料館へ入る。
アニメーション動画で飛鳥時代の街道の様子を分かり易く展示していたのが、楽しくて良かったです。
子供達が古代の日本の歴史を学ぶのにとても良さそうです。

 バイクの走路
歴史資料館でいただいた資料からスキャンしてバイクの走路を書き加えてみました。
このイラストの方が見どころと併せて見れて判りやすいですね。


撮影ポイント(M)竹内街道の提灯や灯篭が街路沿いにある。ここは羽曳野市。
 
左折すれば国道166号線、ここで私は川沿いに真っすぐ行ってしまい道に迷いましたが、
なんとか国道25号線へ出て無事に帰りました。
 


 

 帰着しました (PM4時:15分)

 
ODOメーターは19820km
  全走行距離81kmの日帰りツーリングでした。

 

今回のバイク旅も古代の歴史を巡る『歴史探検バイク旅』となりました。
歴史をたどりバイクを駆ける…これからも楽しんでいきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。




いい爺ライダー バイクで巡る明日香村

2015年09月04日 | 歴史を訪ねてバイク旅

9月4日(金曜)…台風の後も秋雨前線の影響なのか雨が続いていましたが、今日は久しぶりの晴天です。
5月1日に続いての明日香村ですが、高速道路(近畿自動車道→阪和道→南阪奈道)を走行して一気に明日香村を目指します。


明日香村は6世紀末から7世紀後半までの政治都市。天皇の宮殿が置かれた政治の中心であり、その諸施設の遺跡群が存在します。

《以下、「明日香巡り」に際してのネット調べ》

★飛鳥京⇒⇒ 現在の奈良県明日香村一帯に代々の天皇が宮を置き、また域内で遷宮を重ねた政治の中心地。 →Wikipedia《飛鳥京跡》

★飛鳥時代⇒ 推古天皇から元明天皇の平城京遷都まで。 →Wikipedia《飛鳥時代》 

★大化改新⇒ 中大兄皇子が蘇我入鹿を宮中で暗殺した政変。 →Wikipedia《大化の改新》

★藤原京⇒⇒ 飛鳥京の後に初めて計画的に造営された宮都。 →Wikipedia《藤原京》


 

 出発(8月4日[金曜] AM9時:30分) 

 出発時のODOメータは18182Km

高速道路(近畿自動車道→阪和道→南阪奈道)を一気に走行…目指すは『明日香村』!!

 

  橿原市へ到着した直後、急に空が曇って…
  

  一気に大雨になり、慌てて店舗の軒先で雨宿り…店舗は閉店なのかシャッターが閉ってた。
 
  20分ほど雨宿りしてたら雨が止んだ。 


  国道169を南へ走る。岡寺駅(近鉄)で左折し、野口交差点のセブンイレブンで休憩
 
  地図上に見学ポイントを巡った順番を書き込んだ地図です。ご参照ください。


見学ポイント①   コンビニのセブンイレブンにバイクを置いて、①の亀石まで歩いて往復。
 
  遊歩道はこの先もバイクで走れない…次の見学ポイント近くまでバイクで走ることにする。


見学ポイント②  天武・持統天皇陵の下の駐車場へバイクを停める。
 
 
 
  天武天皇とその皇后であった持統天皇が眠る八角形古墳。
全長約7.5mの横口式石郭があり、火葬骨を納めたと考えられています。


( 遊歩道を歩く )  天武・持統天皇合葬陵の左側の道を登って遊歩道に出ると、右へ行ってみた。
 
  進行方向の左側に聖徳中学校が…これでは歩く方向が逆だ! 反対方向へ進路変更~。

  のどかな田園風景だが蒸し暑くて…汗だくで歩きました。
 
  柿が少し黄色く色づいてる。


見学ポイント③  鬼の雪隠
 
  古墳の石室の蓋石とのことだが、逆さまになってるのかな?
 
 
  謎の石造物が、実は横口式石室の蓋とのこと、それにしても鬼の雪隠とは…


見学ポイント④  鬼の俎板
 
  古墳の石室の一部で、その底石であり、この上の蓋石が転がり落ちたのが鬼の雪隠…
鬼が通行人を俎で料理して雪隠で用を足すなんて…なんとも思わせぶりな伝説です。


見学ポイント⑤  欽明天皇陵、全長140m、後円部径約72m、前方部幅107mの前方後円墳

  6世紀後半の築造で、築造当時はもっと大きかったであろう、現在は後円部が大きく削られている。
 
 

 吉備姫王の墓は欽明天皇陵の南西方向すぐ近くにある。
 
  この墓は円墳であり、現在は欽明天皇陵の南の水田から掘り出された猿石が置かれている。
 
  猿石は製年代や製作理由も不明な石造物で、猿を思わせる顔をしています。
 
 
  顔の特徴から猿石には、僧、男性、女性、山王権現の名前が付いています。

ちょうど昼時になったので、セブンイレブンへ戻ってコンビニ弁当とお茶をイートインしました。


見学ポイント⑥  石舞台古墳
コンビニで昼食の後、バイクで石舞台古墳へ向けて走る。
 
日本最大級の石室をもつ上円下方墳です。→Wikipedia《石舞台古墳》
 
  この巨大な石の上には土が丸く盛られていた。
 
  墳丘の盛り土がはがされて巨大な石室がむきだしになってしまった。
   
  この横穴式石室に石棺が納められていた。
 
 
  
  ある筈の石棺が見つからなかったので復元制作したもの… →Wikipedia《石棺》
 
  石棺は凝灰岩で出来ていた…
 
  復元した石棺も凝灰岩なのかな? →Wikipedia《長持形石棺》


  万葉文化館にバイクを停める…
 
  古代文化に関する総合文化施設で、この日は日本画展をやってた。

見学ポイント⑦  酒船石へ行くには万葉文化館の駐車場横から山へ登ります。
 
  江戸時代の国学者・本居宣長の「菅笠日記」にも登場する謎の石造物。周囲は竹林でした。
 
  これも謎めいた巨石…いったい何の道具? 酒を絞るそれとも庭園の水を流す~
 


見学ポイント⑧    伝飛鳥板蓋宮跡であり、7世紀半ばの皇極天皇の宮殿。
中大兄皇子らによって蘇我入鹿が暗殺された「乙巳の変」の舞台となった場所でもあります。
 
複数の宮殿遺構が重なって発掘されており、この復元された石敷き広場は最上層のものだそうです。
 
 
復元された石敷き広場や大井戸跡は7世紀後半の40代41代天皇である天武天皇と持統天皇の
2代が営んだ飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)だそうです。 
Wikipedia《飛鳥浄御原宮》
 
 
  田圃の中に宮殿跡が発掘され、その一画にある石碑の前にバイクを停める。
 

 


この後、狭い農道を進み、甘樫の丘の前の道へ出た。
そろそろ帰る時間かな…というわけで、藤原宮跡の東側(天の香久山の麓)の道を通り、そのまま南阪奈自動車道へ向かうことにします。

 


 無事に帰りました~ (PM4時:15分)

 
ODOメーターは19412km
  今回は走行距離が120kmの日帰りツーリングでした。

 

高松塚古墳やキトラ古墳など、前回・今回のバイク旅では回れなかった見学ポイントが多く残っています。
まだまだ古代の歴史を巡る『歴史探検バイク旅』が続きそうです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。



いい爺ライダー 古都 飛鳥~藤原京を走る

2015年05月01日 | 歴史を訪ねてバイク旅

5月1日(金曜)…天気予報は晴天、気温も25度を超える温かい一日になるとのこと。
先月4月5日の古都『恭仁宮』と『紫香楽宮』に続いて、絶好のバイクツーリング日和の今日は、日本における初の本格的な都とされる『藤原京』のある橿原市、古代日本『飛鳥時代』の政治文化の中心地だった明日香村へ行くことにする。


《以下はネット調べ》

主な出来事と遷都を追いかけてみると…
593年:推古天皇(33代)が聖徳太子を摂政に任ず。
      難波に四天王寺を建立
601年:斑鳩宮を建立(法隆寺の近く) →ウィキペディア《斑鳩宮》
604年:憲法17条を制定
607年:小野妹子らを遣隋使として派遣
607年:再度遣隋使を派遣
         ↓
 ※飛鳥とは:推古天皇から元明天皇の平城京遷都まで皇居が置かれた
      政治の中心地。奈良県明日香村一帯 →ウィキペディア《明日香》 
         ↓
630年:第1回遣唐使を派遣、以後894年まで20回の遣唐使派遣が行われた。
         ↓
645年:中大兄の皇子が蘇我入鹿を宮中で暗殺
      初めて年号を定め、大化とする。→ウィキペディア《大化の改新》

650年:年号を白雉と改元。

661年:中大兄皇子が称制として国政をとる。
668年:天皇位に就き天智天皇(38代)となる。

672年:壬申の乱、持統天皇(41代) →ウィキペディア《壬申の乱》

694年:持統天皇(41代)が藤原京へ遷都 →ウィキペディア《藤原京》

710年:元明天皇(43代)が平城京へ遷都 →ウィキペディア《平城京》

         ↓
         ↓


 出発(5月1日[金曜] AM9時:30分) 

 ODOメータは18182Km
奈良時代の古都を目指してバイク日帰り旅へ出発…
 

生駒山脈を越えるまで混雑の少ない道を…とR163で木津川市に入りR24を南下して橿原市へ

『藤原京跡』を目指す。
 

 


  『藤原京跡』へ到着
 
  藤原京は大和三山と呼ばれる天野香久山、畝傍山、耳成山に囲まれた地にあります。
初めての本格的な都市計画のもとで造営しされ、持統天皇が694年に遷都してから710年に元明天皇が平城京へ遷都するまでの間の都です。

 

道路のすぐ後ろにある橿原市の『藤原京資料館』
 
  『藤原京資料館』はJAの建物の2階、無料で見学できます。

 

天香久山(標高152m)
 
   藤原京資料館から東を望む。家並みの後ろに見える山が天香具山(アマノカグヤマ)

 

畝傍山(標高199m)
 
  藤原京資料館の駐車場から西側を望むと畝傍山(ウネビヤマ)が見える。


耳成山(標高140m)
 
  藤原京資料館の駐車場から北側に耳成山(ミミナシヤマ)が見える。

 


藤原宮址の南側へ回って北方向を望む。
 
  画面の左奥に耳成山が見える。愛車を入れてパチリ



  バイクを停めた場所の左側にある案内板。

朝堂院南門跡から北東方向を望む

 
  朝堂院南門跡の説明板

朝堂院南門跡から東側を見る
 
  東側には天香具山が…

朝堂院南門跡から南方向を望む。
 
  バイクを停めた向こうの民家が並んでいる辺りは朱雀大路がまっすぐ続いていたらしい。

 


国立奈良文化財研究所へ行ってみる。
 
 
  藤原宮址の東側、天香久山の麓に国立の『奈良文化財研究所』があり無料で見学できる。
駐車場にバイクを停め…入ってみました。

 
  発掘された多くの資料の他に、瓦を焼く行程などを模型で分かり易く展示しています。

 


藤原宮の朱雀大路跡から本薬師寺跡へ行ってみる。
 
  朱雀大路跡の少し西の位置にあります。

本薬師寺跡の石碑

 
  案内板です。

本薬師寺からバイクを入れて畝傍山をパチリ

  バイクを停めた駐車場の向こうに見える山が畝傍山です。
 
  本薬師寺跡は礎石が並んでいるのみです。

 


この後、明日香村へ向かう。
169号を南へ走り近鉄岡寺駅前で県道155へ…
ちょうど昼食時間になったので、県道209との交差点角にあるコンビニでサンドイッチとお茶を購入。
できれば適当な木陰で食べようと思ってコンビニの近くを散策したが、適当な場所が無い。
そこで、森を散策しながら大和三山を展望できるという甘樫の丘へバイクで行くことにした。
麓の甘樫丘駐車場へバイクを停めて歩いて登る。

この階段の上が川原展望台
 
  展望台上の木陰でコンビニのサンドイッチとお茶で景色をながめながら昼食をとりました。

 
  畝傍山が左に見えます。

 
  右側の山が耳成山、左側が畝傍山です。
残念ながらここから天香具山を望むことはできませんでした。

 
  川原展望台の下、ここから遊歩道を左へ下って登れば500m先に甘樫丘展望台…
こっちの展望台へ登れば天香具山を望むことができそうですが、行くのを止める。

 



奈良文化財研究所『飛鳥資料館』へ来ました。
 
  駐車場へバイクを停めて入ってみる。

前庭に亀石が…
 
  さっきコンビニの近くを散策した時に亀石を見てきた…これはレプリカ?。

綺麗な藤の花が…
 
  藤の花が綺麗だったので…パチリ。

資料館
 
  橋の向こうが資料館、65歳以上の人は無料…とのことで免許証を提示して入館しました。

 


この後、時間の余裕があるので紅葉の名所、談山神社までバイクツーリング。

若葉の談山神社
 
  紅葉のころは大勢の観光客が来るのですが、若葉の景色もまた良いものです。

春の緑に包まれた景色
 
  新緑の談山神社…また別格でした。

後は帰るだけです。

談山神社から県道37をまっすぐ近鉄桜井駅方向へ、165号で橿原市へ、24号からそのまま高速道路に入り、南阪奈→阪和→近畿自動車で帰りました。

 


 無事に帰りました~ (PM4時:20分)

 ODOメーターは18328km
  今回は走行距離が146kmの日帰りツーリングでしたが、古代大和朝廷の飛鳥時代と初めての本格的な帝都とされる藤原京を巡る『歴史探検バイク旅』になりました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。



いい爺ライダー 聖武天皇の遷都をたどる

2015年04月08日 | 歴史を訪ねてバイク旅

4月5日(日曜)、小雨模様だが自宅周辺の桜はもう散り始めてる。
しっかり季節は春…冬の間ずっと放置されたままのバイクを引っ張り出してみました。
バッテリーは大丈夫かな?…やっぱり心配した通りエンジンがかかりません。
自動車の横へバイクを押して行き、自動車とバイクのバッテリーを接続してエンジンを始動…
無事に動いた(^_^;)…ヤレヤレ
エンジンを高回転で回しながら我が家の周辺を走りバッテリー充電OK!


早速、どこか走ってみたい…京都か滋賀の山間部を走ればまだ満開の桜の下を走れる…
ということで、4月7日(火曜)天気は…朝のうち小雨模様ながら、午後からは曇り…日帰りのバイクツーリングを決行!
以前にツーリングで行ったことがある、聖武天皇の遷都の地『恭仁宮』と『紫香楽宮』へ行ってみよう。
 


聖武天皇の遷都に関してネットで調べてみました。

《以下はネット調べ》 →ウィキペディア《恭仁京》 →ウィキペディア《紫香楽宮》

聖武天皇(45代):(西暦701年~756年、在位724年~749年)

聖武天皇は「伊勢行幸」ということで740年10月29日に平城京を出発
→堀越頓宮(奈良県都祁村 名張郡(三重県名張市)→安保頓宮(同青山町)→河口頓宮(同白山町)→赤坂頓宮(同鈴鹿市)→朝明郡(同四日市市)→石占頓宮(同多度町)→当伎郡(岐阜県養老町)→不破頓宮(同垂井町)→横川頓宮(滋賀県山東町か同米原町)→犬上頓宮(同彦根市)→蒲生郡(同八日市市辺り)→野洲頓宮(同野洲町か守山市か)→禾津頓宮(同大津市)→玉井頓宮(京都市山科区)
…と、三重・岐阜・滋賀・京都をぐるりと回り、12月15日に恭仁京へ入ったとされています。


 出発(4月7日[火曜] AM9時:45分) 

 ODOメータは17549Km
 今日の天気予報は終日曇り空だが、徐々に快方へ向かうとのこと…
桜を眺めながらの聖武天皇の遷都をたどるバイク日帰り旅へ出発しました。


 
 大阪からR163を寝屋川→四条畷→木津川市の木津川泉大橋を渡り、木津川に沿って伊賀方面へ約5kmで『恭仁京跡』へ到着です。


 
 五重塔が建っていた場所の石碑はなぜか『恭仁京跡』ではなく『山城国分寺跡』となってる…


 
 この一角にも『山城国分寺址』の石碑…ここが恭仁宮大極殿の跡地、すぐ南側に隣接して木津市立恭仁小学校があります。


 
  五重塔跡に設置されている立札です。恭仁宮跡から山城国分寺跡に名称変更されたようです。
この立札は傾けて設置されてます。


 
 こちらの立札は宮殿と五重塔の在る広場との間にあります。
恭仁京は5年余りの短命な都だったが、後に山城国分寺として再利用された…とのこと。


 
  『恭仁京』から『紫香楽宮』へ向かうR163から府道5号沿いには茶畑があり、山間のあちらこちらに満開の桜が咲いていました。
桜の風景と愛車でパチリ


 
 橋を渡って対岸の茶畑から道路沿いの桜を撮る。
曇り空で山には霧が…


 
 川に沿ってほぼ満開の桜が綺麗


 
 きれいに整備された川


 
 府道5号からR307へ出るとそこは信楽市。国道沿いに信楽焼きの店があちこちにあります。
R307沿いの信楽焼き


 
 紫香楽宮址へ到着、石碑と愛車をパチリ


 
 遊歩道の脇に立札があり、その右が参道です。


 
 参道横の立札をクローズアップしたものです。参道を進みます。


 中門下までの参道です。


 中門の手前の石段を登ります。


 
  中門前の石段を登るとさらに石段があり、そこに中門がありました。


 
 中門前です。その奥が金堂跡・・・


 
 金堂跡にあった立札をクローズアップ


 
 講堂があった場所で礎石があるだけ、石碑が立っています。


 
 僧房があった場所で、ここも礎石があるだけです。


その後、信楽焼産地の市街を見下ろせる丘陵にある『陶芸の森』の一番上の野外展示場『星の広場』にへ立ち寄りました。
→ウィキペディア《滋賀県立陶芸の森》


 
 バイクを停めた横の石段を登ると、そこが『星の広場』で陶芸作品が野外展示されています。
そこは見晴らしの良い丘でした。(標高350m)

→ウィキペディア《陶芸の森星の広場野外展示場》


 無事に帰りました~ (PM4時:45分)

 ODOメーターは17709(km)
  今回は花冷えの曇り空でしたが走行距離が160kmの日帰りツーリングで、
しかも行ったことのある場所、走ったことのある道ばかり、
綺麗な桜を眺めながらの気楽な『歴史と桜のバイクツーリング』となりました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。