醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  16号   聖海   

2014-11-30 12:32:48 | 随筆・小説


 風流の初(はじめ)やおくの田植うた   芭蕉

 陸奥(みちのく)に来て初めて風流な田植えうたを聞いた、という意味なのか、それとも陸奥の田植えうたを聞き、風流の初め、その源、原形が偲ばれた、という意味なのか、読者が自由に読めば、それでいい。
芭蕉は陸奥の田植えうたを聞き、そこに風流なものを感じたことは間違いない。
 現代に生きる私たちは田植えうたなど聞く機会を持たない。人が手で田植えする姿さえ、滅多に見ない。田植えうたを直接、今まで聞いたがない。私の経験でいえば「七人の侍」という黒澤明監督の映画の終わりの方のシーンで農民たちが太鼓を叩き、笛を吹き、歌を歌い、娘たちが田植えする場面で田植え唄を聞いたことがある。それだけである。
農民たちが田植するシーンを見ていて、そこに風流なものを感じたかというと感じない。そのシーンに感じたものは農作業する農民たちの労働の明るさと朗らかさのようなものである。
芭蕉が田植え歌に感じた風流なものと現代に生きる私たちが感じる風流なものとは違っているのではと感じる。ちなみに広辞苑を引き「風流」の項を調べて見る。風流とは前代の遺風、みやびやかなこと、俗でないこと、美しく飾ることなどと説明している。風流という言葉から私が感じることは世俗から離れ、里山の自然に生きる生活、そのようなことである。季節によって移り変る暑さや寒さに、風の強さや光、木々の葉の色の変化などに美を見出し、そこに楽しみや生きる喜びを発見する。これ風流という言葉から私が感じることは世俗から離れ、里山の自然に生きる生活、そのようなことである。季節によって移り変る暑さや寒さに、風の強さや光、木々の葉の色の変化などに美を見出し、そこに楽しみや生きる喜びを発見する。これが風流な生活と思う。
 芭蕉が陸奥の田植え唄に感じた風流なものとは、室町時代から江戸時代にかけて上方を中心に流行した風流(ふりゅう)踊り(おどり)に合わせて歌う唄のことではなかったのかというのが私の主張である。このようなことを言っている本を読んだことはないが、田植えうたと風流というものは結びづきづらいと感じるのは私一人であろうか。風流という日本の美意識はいつごろ成立したものなのだろうか。確信をもって言えることではないが、室町時代であるようにおもわれてならない。世阿弥の「風姿花伝」、謡(能)によって確立した美意識が風流というものなのであろう。
「風姿花伝」に次のような言葉がある。「古きを学び、新しきを賞する中にも、まったく風流をよこしまにすることなかれ。ただ言葉卑しからずして、姿幽玄ならんを、うけたる達人とは申すべきをや」。この中で述べられている風流という言葉の意味は伝統ということのようだ。幽玄とは、奥深く、真実であるということ。うけたる達人とは、神から技を授けられた天才的な演者のことをいう。
 芭蕉が陸奥の田植えうたに感じた風流とは現代の盆踊りの原形になったといわれている風流踊りであった。その鄙びた素朴な唄に日本人の美意識である余情の深さや簡潔さ、不規則性、はかなさを感じたのであろう。この美意識は万葉の時代から継承されてきて本居宣長によって唱えられ、完成した「もののあわれ」を表すものが風流というものなのであろう。