「涼しさを我宿にしてねまる也」が教えるもの
句郎 芭蕉は尾花沢で三句も詠んでいる。
華女 居心地が良かったのかしら。
句郎 「尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども志いやしからず」と「おくのほそ道」に書いている。丁重なもてなしを清風さんはしてくれたたのだろう。
華女 清風さんは何をしていた人なのかしら。
句郎 尾花沢は紅花の産地として京・大坂に出荷していた。清風さんは紅花問屋を営むと同時に金融業も営んでいたようだ。
華女 元禄時代に栄えた豪商といっていいのかしらね。
句郎 そうなんじゃないかな。記録によると芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出る四年前の貞享二年から江戸で芭蕉は清風さんと交流があったらしい。
華女 三百年前、山形の商人と江戸で芭蕉は友だちになったのね。
句郎 俳諧は友をつくった。それは俳諧の人脈でもあった。商人は知己を得ることが商圏を拡大した。人脈を通して情報を得た。今も昔も情報は富をもたらす。商業の発達が同時に俳諧の隆盛を招いた。
華女 元禄時代の商業の隆盛が芭蕉の俳諧を生んだわけなのね。
句郎 そうじゃないかなと思う。
華女 俳諧は町人の文芸なの。
句郎 そうだと思う。商品作物を栽培する農民を含めた町人の文芸だ。
華女 「涼しさを我宿にしてねまる也」の「ねまる」という言葉は土地の俗語のようね。
句郎 注釈にそのように書いてある。「くつろぐ」という意味のようだ。
華女 当時の農民や町人の言葉を使って句を詠んでいるのね。
句郎 そうなんだ。身分制社会にあっては身分や階層によって使われている言葉は違っていた。当時の庶民が使っていた言葉を使って芭蕉は句を詠んだ。ここに新しさがあったと思うんだ。
華女 その人の使う言葉にはその人の生活が滲み出ているものだと思うわ。
句郎 当時の農民や町人が使っていた言葉を使って句を詠んだ。これは一種の言文一致の始まりだと言える。
華女 言文一致で書いた小説というと二葉亭四迷だと高校生のころ、国語の授業で習ったように覚えているけど、違うの。
句郎 違っていないと思う。芭蕉が生きた時代から言文一致の動きが始まったということじゃないかと思う。「涼しさを我宿にしてねまる也」。現代文として読んでも簡明な文だと思う。涼しさがとても気持ちがいい。自宅でくつろいでいるような清風さんの家である。このような意味がすっと入ってくる。
華女 こういう句を一句一章というのよね。
句郎 一物仕立ての句ともいうようだ。
華女 気持ちよくくつろげる涼しいお宅ですねと、芭蕉は清風さんに挨拶した句なのでしようね。
句郎 そうだ。芭蕉は清風さんに挨拶をしたんだろうね。一物仕立てでさっと招いていただき有難うございますという気持ちを詠んだのだと思う。
華女 挨拶は出会いの始まりよね。挨拶って人間関係の始まりだから大事よね。
句郎 そうした人間関係の在り方の大切さを教えてくれるのが俳諧というものだったと思うんだ。