句郎 華女さん、「年暮ぬ笠きて草鞋はきながら」という芭蕉の句をどう詠んだらいいのかな。
華女 『野ざらし紀行』にある句ね。
句郎 そうだ。『野ざらし紀行』にある句なんだ。
華女 「野ざらしを心に風のしむ身哉」が最初に出てくる紀行文ね。
句郎 そう、その句は高校三年の時に授業で教わり、印象に残っている句の一つなんだ。
華女 死を覚悟して旅立ったけれども笠きて、草鞋を履き、年が暮れた。死ぬこともなく、平穏に今年も暮れた。こんな気持ちを詠んだ句じゃないのかしらね。
句郎 「今年も」じゃなく、「今年は」と云うことなんじゃないかなと思うんだ。
華女 今年は旅に暮れたと、詠んだ句なのね。
句郎 そうなんじゃないかなと思うんだ。
華女 それまで旅に暮れた経験がなかったのね。
句郎 そうなんだ。旅に生 き旅に死ぬ覚悟で始まった最初の旅だったからね。
華女 それまで芭蕉は旅をしていなのかしら。
句郎 芭蕉は伊賀上野の出身だからね。二九歳の時に江戸に出たから当時にあっては立派な旅だったと思うけれどね。帰郷するとか、江戸に出るとか、はっきりした目的を持った旅は経験しているけれども、旅そのものを目的とした旅は『野ざらし紀行』が初めてなんじゃないかな。
華女 あっ、そういうこと。
句郎 四一歳になって、初めて旅そのものを目的とした旅をするようになる。その結果、最終的には旅に死ぬことになる。道野辺に髑髏(されこうべ)を晒すことはなかったけれども江戸に帰ることなく大坂で死ぬ。
華女 まさに「野ざらしを心に風のしむ身哉」という人生を送ったのね。
句郎 芭蕉が芭蕉の人生を生きたのは四一歳から死ぬまでの十年間だった。
華女 この十年間を芭蕉は旅に生き旅に死んだのね。
句郎 そうなんだ。この十年間が「年暮ぬ笠きて草鞋はきながら」という生活だったんじゃないかな。
華女 当時にあっては本当に厳しい生活だったと思うわ。
句郎 確かに、厳しい生活だったと思うけれども、これ以外の生活が成り立たなかったということなんじゃないかと思う。
華女 「笠きて草鞋はきながら」の生活しか成り立たなくなったと言いたいわけなの。
句郎 そうなんだ。深川の芭蕉庵では生活が成り立たなくなった自分の人生を詠んだ句ではないかと思うだけれどね。
華女 芭蕉は俳諧の誠を求めて旅に出たと云われているみたいよ。
句郎 そうなんだ。俳諧の誠を追求する句を詠んでいては門人が集まらない。門人の支援を得て芭蕉の日常生活は成り立っていた。江戸では芭蕉の人気が無くなり、俳席が成り立たなくなった。だからやむなく旅に生きる生活をし始めた。地方に行けば、江戸から来た俳諧師として歓迎してもらえる。俳席を設けてもらえる。生きていくことができた。この実感を詠んだ句が「年暮ぬ笠きて草鞋はきながら」じゃないかなと思うんだけれどね。定住した生活が良いけれども一所不住の生活もまた乙なもんだよとね。