我宿は蚊のちひさきを馳走かな 芭蕉 元禄3年
句郎 元禄3年(1690)4月から7月まで、芭蕉は滋賀県大津市に門下の俳人菅沼曲水の伯父幻住老人が建てた草庵、幻住庵に滞在していた。そこに金沢からの客人があった。今栄蔵著『芭蕉年譜大成』によるとその時の挨拶句がこの句ようだ。
華女 廃屋のようなところを借りて芭蕉が一時滞在していると金沢の方からわざわざ訪ねて来る俳人がいたということなのね。
句郎 その時の挨拶句の異
型の伝えられている。「わが宿は蚊のちひさきを馳走也」。「我」を「わが」と平仮名書きに、「馳走かな」が「馳走也」となっているもの。「我宿は蚊のちひさきも馳走也」。「蚊のちひさきを」の「を」を「も」に、「馳走かな」を「馳走也」としたもの、「わが宿は蚊のちひさきも馳走哉」。「我」を「わが」と平仮名書きし、「馳走かな」を「馳走也」と漢字書きにしている。
華女 芭蕉は漢字で書くか、平仮名書きにするか、考えていたのね。
句郎 俳句は初めから書い
たものを読み、読者は鑑賞するものとして生まれてきている。
華女 俳句は書かれたものを読者は読み鑑賞する文芸だということなのね。だから芭蕉は漢字で書くか、平仮名で書くか推敲しているということなのね。
句郎 俳句に対して和歌の場合は歌うのを聞いて鑑賞する。これが基本なんだと思う。和歌を継承している短歌は歌う詩なんじゃないのかな。俳句はひねる。短歌は歌う。「かな」を感じで書くか、平仮名書きにするかで考えている。
華女 俳句は詠んだものを読む文芸なのね。
句郎 その結果、芭蕉は「我宿」は漢字書きがいい。「かな」は平仮名書きがいいと最終的に決断した。漢字書きは堅い。平仮名書きは柔らかい。「我宿は」と、堅い調べで書き出し、「蚊」は明確に書き、「ちひさきを」とやわらかく書く。馳走とすっきり書く。「かな」とやわらかに書く。こうして五七五のリズムを整えた。
華女 「蚊のちひさきを」の「を」と、「蚊のちひさきも」の「も」とは、どのような違いがあるのかしら。
句郎 「を」と「も」の違いかな。蚊が小さいということは、まだ真夏の大きな蚊になっていないということをお客さんへのご馳走にする以外何もないそんな貧しい状態なんですよと、正々堂々表明し貧しさを笑って挨拶しているということが「を」とすることによって表現できるが、「も」とすると笑いにすることができない。蚊が小さいことまでもご馳走にせざるをえないということになる。貧しさに負かされてしまう。これでは俳句にならない。俳句は笑いだからね。
華女 「蚊のとひさきを」と詠んだ方が元気があるわね。
句郎 生き生きしているということかな。「も」じゃ、元気がでない。
華女 確かに「も」とすると萎れた感じかしらね。
句郎 「蚊のちひさきも」じゃ、元気が出ない。そんな感じがするかな。
華女 襤褸は着てても心は錦ということなのね。
句郎 町人や農民であっても堂々としている。それが平民の文芸だった。