醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより   1096号   白井一道

2019-06-16 12:53:54 | 随筆・小説




  区別は差別に転化する 「パンプス強制は差別だ」



 男性と女性の服装には違いがある。これは単なる区別である。おおよそ服装によって男と女の違いを知ることができる。同じように髪形にも同じようなことが言えるだろう。服装や髪形など単なる男と女の区別に過ぎないものが差別に転化することがある。そのような記事を目にした。職場に働く女性がパンプスやヒール着用を強制されるということになるとこれはたんなる区別に過ぎなかったことが差別に転化する。
 単なる区別に過ぎないと思っていたことが差別になっているという事例の記事を読んだ。その記事内容が以下のものである。

 パンプス問題「女性vs男性」の的外れ
 女性に対する、職場でのパンプスやヒール着用の義務付けに異議を唱え発足した署名運動「#KuToo」が、社会的に盛り上がりを見せている。葬儀社でアルバイトをする石川優実さんがツイッターで呟いたことから始まり、「#KuToo」のハッシュタグと共に主にネット上で反響を呼んだ。最近では根本匠厚生労働相が、パンプスの義務付けを容認するような見解を示したことも大きな話題となり、運動は過熱している。
◆「これまでずっとそうだったから」というだけで残るマナー
 女性がパンプスやヒールを履くことを実質的に強制されるようになるのは、就職活動時が最初であろう。よくある就職活動のマニュアル本には、「マナー」として、相応しいリクルートスーツや鞄、髪型やメイクなどと合わせて、パンプスを履くように、と示されている。私が数年間勤務していた大手日系企業でも、男女ともに理想的なマナーを示したポスターが、社内に貼られていた。
 女性であれば、スカートは短すぎないか、ストッキングを着用しているか、派手な色のネイルをしていないか、長い髪の毛は結んでいるか、など。男性であれば、汚れのないワイシャツを着用しているか、髪の毛は長すぎないか、髭はしっかりと剃っているか、などが挙げられていた。クールビズの期間以外はネクタイも着用しなければならない。
 数多くの社員が集まり共に仕事をする以上、互いに最低限の清潔感を求めることは理解できるが、それ以上のことを「マナー」という名目で要求することにどのような意味合いがあるのかは理解しづらい。
 飲食店でもなく、特別な顧客対応があるわけでもないのに、女性社員が長い髪を結ばなければならないのはなぜなのか。男性がワイシャツを着用するのは良く、ポロシャツを着用してはいけないのはなぜなのか。
「マナー」という言葉は、あまりにも漠然としており、中には「これまでずっとそうだったから」「それが当たり前だったから」という理由で大した理由もなく残っているものも少なくないと感じる。
◆ヒール・パンプスによる損失は、健康上の問題だけではない
 私自身、新社会人で朝から晩まで個人宅を訪問する営業をしていたころは、慣れないパンプスを履いていたせいで、常に足がぱんぱんにむくみ、腫れあがっていた。靴擦れをしても、ストッキングを履いているとすぐには絆創膏で手当てすることも難しい。痛みを我慢しながら歩き続ける日々だった。
 パンプスはヒール部分が傷みやすく、また自分の足に合うものを探すのも一苦労。靴擦れで靴の内側に血が滲んでしまうこともあった。そんな靴を客先で脱ぐと、滲んだ血が目立ってしまう。仕方なくパンプスを新調しなければならなかった。
 これらのこと考えると、健康上はもちろんのこと、何足ものパンプスを購入しなければならない金銭的な損失や、そもそも「足が痛い」と思いながら仕事をするという意味で生産性の面でも損失があったように思う。
 それでも「当たり前だから」、「みんなそうだから」と思い込み、「スニーカーを履いて営業に行きたい」、「ヒールのない靴で回ってはだめですか」とは、言えなかったのだ。同じような経験をしている女性は少なくないだろう。そこまでしてパンプスを履かなければならない理由は何なのか。この「#KuToo」運動は、これまでの「当たり前」を見直すきっかけを与えてくれている。
◆従業員が企業に対し異議を唱えることの難しさを理解するべき
 企業と従業員の間に力関係が存在する中で、社内で「当たり前」とされてきたマナーに対して異議を唱えることは、容易ではない。だからこそ、企業が従業員に対して要求する事柄については、「どうして必要なのか」という理由も含めて説明する必要があると感じる。
もちろん、好きでヒールやパンプスを履く人もいる。スタイルを良く見せたい、ファッションの一環としてヒールのある靴が好きだから、など理由は様々であろう。それが、企業が求めるルールの範囲内であったなら、ただ単純にラッキーであるというだけで、ヒールやパンプスを嫌がる人に対して強制していい理由には繋がらない。
 本当に、そのルールは必要なのか。守らないことで、誰にどのような迷惑をかけることになるのか。本質的な必要性を見極めて決める必要があると感じる。「好きにすればいい」という意見もあるだろうが、企業「ルール」や「義務」を提示すると、従業員は、個人としての主張や自由を唱えづらくなってしまう。それを企業は理解し、現存の一つ一つのルールに対して向き合うべきであると感じる。
◆いつの間にか作り上げられる、不要な対立構造
 #KuTooのような問題提起に対して、様々な意見が聞こえてくる。このような議論を「女性の問題である」と捉えて「いちいち面倒くさい」と考える男性の声や、「自分で上司に掛け合えばいいのでは」という声など、様々だ。
 中には「女性として美しくなるための努力をしない人の意見だ」「楽をしたい人の意見だ」等の声もある。しかし、これは「女性の問題」でも「美しくなることを放棄した人の意見」でもないと考える。
 不必要であるはずの、ともすれば個人のみならず企業にとっても不利益となるかもしれないことについて、出来る限りなくすための運動なのではないだろうか。これまで「当たり前」だとされていたことは、本当に必要なことなのか。今まで見過ごされていた個人の不利益を、なくすことは出来ないのだろうか。
 このムーブメントを、パンプスやヒールの話に限ったものとして捉えることは、あまりにも勿体ないと感じる。「男性vs女性」「パンプスを履きたい人vs履きたくない人」というような不必要かつ的外れな対立構造を作り議論するのではなく、皆が当事者であるという前提のもとで、社会全体の問題として捉えていくべきだと思う。
<文/汐凪ひかり>