徒然草176段 黒戸は
原文
黒戸(くろど)は、小松御門(こまつのみかど)、位(くらゐ)に即(つ)かせ給ひて、昔、たゞ人にておはしましし時、まさな事せさせ給ひしを忘れ給はで、常に営ませ給ひける間なり。御薪(みかまぎ)に煤(すす)けたれば、黒戸(くろど)と言ふとぞ。
現代語訳
黒戸(くろど)は小松御門(こまつのみかど)が光孝天皇として即位なされて、昔、ただの人であった時のこと、戯れ事としてなされていたことをお忘れにならずに常にされていた部屋である。薪をくべた煤で黒くなった部屋を黒戸(くろど)というのだ。
我が闘病記6 白井一道
市立医療センターに入院し、私は退屈する時間を持て余すことが一度もなかった。「脳梗塞」という病名を今になっては誰に教えられたのかが分からない。私の主治医が誰なのかが分からない。二週間入院し、主治医から直接診断されたことは一度もない。退院間際に一度、退院後についての話を聞いただけだった。入院して間もないころ、若い男の人が白衣を着て、やって来た。医者なのか、薬剤師なのか、看護師なのか、それとも何をしている人なのかが分からない。私は聞いた。「あなたは何者ですか」と問うた。「私は医者です」と、答えた。名前は名乗らなかった。私は聞いた。「私は床屋が終わり、自転車に乗り、帰ろうとしてから、おかしくなった。それからどうにか自宅に帰り着き、しなければならないことを済ませ、翌日、市立医療センターに来ました。私が聞きたいことは、体調に異変が起きたとき、すぐこの病院に来ることができれば、私の脳梗塞は無事元通りの体なることができましたか」と。「現在、脳梗塞が起き、4時間以内なら、緊急治療により、後遺症を残さないことができます。4時間以内ならと、言われています。しかし患者さんはあなただけではありませんから、順番がありますから、無理ですね」と。病人の希望を打ち砕くような若い医者は淡々と厳しい現実を述べた。一度破壊された脳細胞は再生されることはありません。見えなくなった視野が見えるようになることはありません。これが現在の医療の現状です。「IPS細胞は再生医療に道を開くといわれているのじゃないですか」と私か問うと若い医者はまだまだ脳梗塞に関しては始まったばかりで、いつのことになるのか皆目見当もつかない状況ですよと、にべもない回答だった。それにしては手にしたカルテを見て、私の視野欠損の状況、血圧のデータ、眼科検診の状況などを詳しく知っているようだった。主治医を中心に五人の医者がチームを作り、に入院中のすべての脳梗塞、認知症患者を診ているようだった。医者が患者のベットを回り、診て回るようなことは一度もなかった。患者のベッドを診て回るのは看護師さんであり、薬剤師だった。
私に初めて優しい言葉を掛けてくれたのは年端も行かない若い男の薬剤師だった。私のベッドに来て、薬の説明をしてくれた。今、点滴している薬は何であるのかを説明してくれた。しかし、私にはその薬が脳梗塞にどのような働きをするのか、そのメカニズムを理解することはできなかった。医者より薬剤師との交流の方が多い位だった。この若い薬剤師が一緒に脳梗塞と戦いましょうと、私の手を握った時には、恥ずかしながら落涙してしまった。情に脆くなっている自分に気が付く一方、どうにもならないくらい弱くなっている自分を知った。
看護師は日に三回、朝、昼、晩とベッドを回って血圧を測っていく。血圧を測ると車に乗せたパソコンに入力する。薬があると看護師さんが血圧を測る際に渡してくれる。水は自分でコップに注ぎ、飲む。ミネラルウォーターを注文したいと看護師さんにお願いすると「介護士さん」に言っておいてあげるねと、言う。しばらく待っていると老年にさしかかった女性がベッド脇に来て何を買ってきたらいいのかしらと、言って来た。一階の売店に行き、ミネラルウォーターをお願いしますと、依頼する。釣銭と水を買ってきてくれる。「この2リットル入りのペットボトルが百円で売っていましたよ。私、これが100円で帰るとは思いませんでしたよ」と、日常会話が飛び出してくる。
病院には医者を頂点とするヒエラルヒーができている。医者と患者との間にはほとんど日常的な会話はない。薬剤師、医療検査技師、看護師、介護士、洗濯婦、掃除婦などである。下に行くに従って日常的な会話が増え、上に行くにしたがって日常的な会話が無くなっていく。特に掃除に回って来る婦人のの中には優しい言葉を掛けてくれる人がいた。