世界史に見るパンデミック『ペスト』
世界史に大きな影響を与えた感染症というと「ペスト」ということになろう。中世ヨーロッパ世界を変えるほどの大きな影響を与えたパンデミックがペストであった。ペストに感染すると、2日から7日で発熱し、皮膚に黒紫色の斑点や腫瘍ができるところから「黒死病」(Black Death)と呼ばれた。「黒死病」は、中国の雲南省地方に侵攻したモンゴル軍がペスト菌を媒介するノミと感染したネズミを中世ヨーロッパにもたらし、大流行したものであるとカナダ出身の歴史家ウィリアム・ハーディー・マクニールは主張している。また科学史家の村上陽一郎氏は中東起源説を主張している。
ペストは、1320年頃から1330年頃にかけては中国で大流行し、ヨーロッパへ上陸する前後にはエジプトを中心にした成立したイスラム王朝マムルーク朝下において猛威をふるった。ペストが14世紀ヨーロッパ世界に拡大したのは、モンゴル帝国の成立が東西交易を盛んにしたことが背景になっている。当時、ヴェネツィア、ジェノヴァ、ピサなどの北イタリア諸都市は、南ドイツの銀、毛織物、スラヴ人奴隷などとアジアの香辛料、絹織物、宝石などの交易をとおして巨万の富を得ていた。こうしたイスラム世界と中世後期ヨーロッパ世界との交易の中心地は、インド洋、紅海、地中海を結ぶエジプトのアレクサンドリアであり、当時はイスラム王朝マムルーク朝が支配していた。
1347年10月、ペストは、中央アジアからクリミア半島を経由してシチリア島に上陸し、またたく間に内陸部へと拡大した。コンスタンティノープルから出港した12隻のガレー船の船団がシチリアの港町メッシーナに到着したのが発端だという。ヨーロッパに運ばれた毛皮についていたノミに寄生し、そのノミによってクマネズミが感染し、船の積み荷などとともに、海路に沿ってペスト菌が広がったと推定されている。ペストはまず、当時の交易路に沿ってジェノヴァやピサ、ヴェネツィア、サルディーニャ島、コルス島、マルセイユへと広がった。1348年にはアルプス以北のヨーロッパにも伝わり、14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返し、猛威を振るった。正確な統計はないが全世界で8500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2000万から3000万人前後、イギリスやフランスでは過半数が死亡したという。
パンデミックという感染症の大流行という事態の背景にあるのは東西交易の隆盛ということがある。更にもう一つの要因としてあげられているのが封建反動と言われる事態である。窮乏化していく封建領主たちは、農民たちから過酷な徴税をした。そのため農民たちの身体に感染症に対する抵抗力が著しく弱体化していた。下層階級の人々ほど感染症への抵抗力がなかった。そのため多くの農民が死に絶えてしまった。こうしてパンデミックは社会経済体制が変わって行かざるを得ない状況が生まれて来た。
ペストの流行でユダヤ教徒の犠牲者は少なかった。ユダヤ教徒が井戸へ毒を投げ込んだ等のデマが広まり、ジュネーヴなどの都市では迫害や虐殺の対象となった。ユダヤ教徒に被害が少なかったのは善行・慈善行為、気前の良い行動のこと、ミツワーにのっとった生活のためにキリスト教徒より衛生的であったという説がある一方、実際にはゲットーでの生活もそれほど衛生的ではなかったとの考証もある。
アメリカ合衆国が全世界の覇権国として君臨した世紀が20世紀だった。20世紀は世界戦争と革命の世紀だった。第三次世界大戦とも考えられる冷戦にアメリカは勝利し、パックス・アメリカーナの時代が20世紀だった。そのアメリカが平価ベースで見ると中国にGDPで追い抜かれ、G7総合のGDPがE7総合のGDPに追い抜かれたのが21世紀に入ってからのことであった。傾き行くアメリカとG7の国々に追い打ちをかけたのが新型コロナウイルス感染症の世界的な蔓延だった。このパンデミックによって中国がアメリカに変わって世界に君臨する時代がやって来ているのかもしれない。アメリカは国民大衆の民主化を求める大規模なデモによって人種差別する社会から差別のないより徹底的な民主的な国になっていくことであろう。
中国もまたアメリカからの干渉をはねのけるため強権的な政治をしているがアメリカからの干渉が弱まれば中国に対抗するような国が出てこない限り、中国はアメリカが世界中で暴力の限りを尽くしたようなことはしないであろう。世界中が平和的に共存する世界が実現するのではないかと想像している。