醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  339号  白井一道

2017-03-11 16:37:50 | 随筆・小説

 子どもは教育を要求する権利がある 

 教育は権利だ。学校制度が始まる前から教育は権利だった。人間の歴史が始まって以来、教育は権利だった。しかし人類誕生以来、現代社会に到るまで権利としての教育は実現していない。
 日本にあっては明治五年学制が発布され、教育の対象を「子供」とした。このことは日本の歴史における「子供」の発見であった。教育の対象として子供が「子供」になった。それまでの江戸時代にあって教育は私事であった。武家は武家として私事として行われていた。公家の場合も町人の場合も同じだった。公共のものとしての教育は存在しなかった。   
 日本にあっては明治維新によって法治主義による政治が行われるようになった。明治期の法治主義はまだまだ法の支配としては不十分なものであったが、それまでの人による支配から法が支配する社会に向かって歩み始めたことは事実である。
 公共のものとしての空間が実現したのだ。
 国民を対象とした公共のものとしての教育、公教育制度が実現した。この公教育制度の始まりは、また権利としての教育の始まりでもあった。しかしまだまだ権利としての教育は潜在的に可能態として存在しているに過ぎなかった。
 本来教育は権利であるはずなのに明治時代に実現した教育は義務であった。法治主義が阻んだのだ。法律が教育を義務と定めたのだ。これは教育を歪めるものであった。本来権利であるものを義務とするのだから本末が転倒することになる。
 第二次世界大戦後、全世界の大勢に従って自然なものが自然なものとして認められる世界になった。教育が権利であることが誰でもの常識として憲法の中に規定された。さらに教育基本法において権利としての教育が実現した。法の支配が前進したのだ。潜在的に可能態として存在していたに過ぎない権利としての教育が現実態に向かって大きく前進したのだ。しかしここでもまた権利としての教育実現を阻んだのは法治主義だった。細かな法律を制定しては義務としての教育の延命を図ったのだ。
 敗戦後一九五〇年代くらいまでは権利としての教育実現運動が実を結んでいったが一九六〇年代になると徐々に権利としての教育を阻む勢力が力をつけ、教育を歪め始める。
 具体的にいうなら学習指導要領の法的拘束性であろう。具体的に実現不可能なことを強制する。これは教育を歪める。なぜなら教育ではないものを教育しようというのだから教育を教育ではないものにしてしまう。
 たとえば二〇〇二年に改定された新学習指導要領では「国を愛する心情」の育成が小学六年生・社会科における学年目標の一つに加わった。「国を愛する心情」の育成など教育ではない。なぜなら「国」とは何か。これが不明である。その「国を愛する心情を育成」するとは具体的にどのようなことを意味するのか、不明である。そもそも教育ではないものを教育しようというのだから教育を歪めることになる。法治主義によって教育を歪める。教育を教育ではないものにしてしまう。はっきり言うなら権力機構を国と言い、その権力機構を愛するとは権力者の言うことを何でも素直に聞くということか。そんなものが教育なのだろうか。そんなはずはなかろう。




醸楽庵だより  338号  白井一道

2017-03-10 17:30:58 | 随筆・小説

 子どもの発見

  子どもの存在を近代社会は発見した。子どもの誕生なくして近代社会は存在し得なかった。子どもの発見が近代国民国家を成立させたのである。 江戸時代には子どもはいなかったのかと、言えばそんなことはないだろう。子どもはいたに違いない。江戸末期には人口が急増していたから子どもの数は増えていたに違い。それにもかかわらずに江戸時代には「子ども」はいなかった。なぜなら江戸時代には公教育制度がなかったからである。公教育制度が成立するためには「子ども」を発見し、誕生させなければならなかった。
 三浦綾子の書いた「母」を読むと子守に出された小林多喜二の母が小学校の教室の窓の下に行き、赤子を背中に背負い教室の覗き込み、一心に教師の話を聞いたことが描かれている。そんな子守たちが教室の窓に集まると追い払う教師がいたということが書いてある。この教師の姿に権力者の本質が表現されている。
 明治時代前半のころ小学校に通えない子どもたちにとって小学校は憧れの場所だった。小学校に通える子どもの数は限られていたのである。だから明治政府は子どもたちを学校に通わせるよう地方自治体に強制した。この強制に対して小作農民や中小の商工民は血税と言って反対したのである。青年男子が兵隊に取られることと子どもを小学校に通わせるよう強制されることはまさに小作農民や中小の商工民にとって働き手を国に取られる血税だったのである。
 子どもを保護の対象にする。国家が子どもを教育の対象にする政策をとるようになるのは近代社会成立の結果なのである。教育によって子どもを国民にしたのである。子どもを国民にするということはまず国語を子どもたちに教えた。教えるということは強制することでもあった。普段、家で父母が使う言葉を汚い言葉として否定した。国語とは明治政府がつくった日本語である。方言を否定し、共通語を普及させることによって国家統一を進めた。このように子どもを保護の対象にすることは父母に血税を払わせ、国民を形成していくことであった。
 公教育制度の普及によって国家を国民のものにしていった。その成果が日清・日露の戦争だった。世界最強を誇ったロシアのバルチック艦隊に対して東郷平八郎率いる日本海軍が「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」このような電報を大本営に打ち日露戦争に勝利でたきたのも日本国民の心底からの協力があったからである。
 しかし真に国が国民のものになったのかというと現実にはそうではなかった。現代にあっても国は国民のものにはなっていない。国を現実として国民のものにすることが現代日本社会の課題になっているのである。
それは公教育制度を現実として国民のものにしたときに公教育というものが人類の文化遺産を継承する生徒・学生中心の教育になるのだ。
 資本主義社会にある公教育制度は疎外されて存在している。現在も多喜二の時代も公教育制度は疎外されて存在している。この中にあって学ぶ者は地獄に生きることなのだと多喜二は真実を見抜いたのである。



醸楽庵だより  337号  白井一道

2017-03-09 12:05:58 | 随筆・小説

 民主主義とはなんだ

 シールズを名乗った若者たちが国会を取り囲みシュプレヒコールをあげた。「民主主義ってなんだ。これだ」。2015年9月19日未明、「安保法制は怒号の中で成立した」と安倍政権は高々と言った。このシーンをテレビは映像を放映した。新聞も書いた。しかしシールズの学生たちが国会を取り囲み、「安保法制反対を唱えたシュプレヒコール」やデモを大手メディアはどれだけ報道したのだろうか。何年か前のことである。「ニュース深読み」という番組をNHKは放映していた。途中から見ていると反原発デモのことになった。司会をしている小野アナウンサーが「NHKや民放も反原発デモを報道しなかったのはどうしてなんですか」とNHK解説委員に問うた。私は身を起こし、テレビの画面に集中した。「全く報道しなかったわけではないんです。『クローズアップ現代』という番組では報道したんです。これだけ情報があふれ、さまざまなできごとがある中で反原発デモを報道すべきかどうか判断ができなかった」。このような発言をNHK解説委員はした。この解説委員の発言を聞いて当たり前のことに気が付いた。ニュースとはNHKが報道すべきだと考えた出来事がニュースとして報道されているということだ。
 世界や日本で起きている出来事の中でNHKが報道するに値すると判断したものだけがNHKのニュースになっている。私たちは日々何を報道すべきかという判断をされたニュースを聞き、読み見ている。お金を払って誰かが判断した情報を得ている。報道とは客観的なものだという先入観がなんとなくあるが報道とは主観的なものなんだとあらためて実感したNHK解説委員の発言だった。
 今からおよそ百六十年ほど前に「その社会の支配的な思想はその社会の支配的な階級の思想である」と三十代のマルクスは書いている。日々私たちが聞き、見、読んでいるものは現代日本社会の支配的な人々のものの見方であり、感じ方であり、考え方なのだ。
 日本は民主主義の国だ。こう新聞やテレビなどのマスコミの人々は言う。だから民主主義国とは国民一般の人々の意見が反映された政治が行われている国だと思ってしまう。しかし違う。国民の意思とは現代日本社会で支配的な人々の意思のことなのだ。現代日本社会の「民主主義」とは現代日本社会で支配的な人々の意志に基づいて行われている政治体制のことを意味しているのだ。
 八月二十二日、野田首相は反原発デモの代表たちの要求書を直接受け取った。この出来事を代表者の一人が「民主主義の再稼動」と言った。この言葉を聞いたとき私は感極まってしまった。思わず涙が出てしまったのだ。
 日本社会の一般国民の意志に基づいた政治をしろ、と要求している。これが民主主義なのだ。小熊英二という歴史学者は日本歴史始まって以来の画期的できごとだといった。それに対して橋下大阪市長は「社会にはルールがあり、一国の首相と会わせてくれと言って会えるものではないと思う。とにかくデモをやれば民主的なルールをすっ飛ばせるというのは違うと思うし、直接会えば原発問題が解決するという話ではないと思う」と発言した。
 橋下には一般市民が首相に政治的要求することは民主的なルールをすっ飛ばすことのようだ。アメリカが年次改革要望書を日本に突きつけてくることは民主的ルールをすっ飛ばすことになるのかどうか、聞きたいものだ。日本の経団連会長がTTP加入を政府に要求するのは民主的ルールをすっ飛ばすことなのか、どうか聞きたいものだ。橋下には多数の国民大衆が政府に要求を突きつけることは民主的行為ではないようだ。



 


醸楽庵だより  336号  白井一道

2017-03-08 11:10:25 | 随筆・小説

 ぼくは、主権者

P 君たちは一番偉いんだと、先生は言っていたけども、僕たちはちっとも偉い人のように扱ってもらっていませんよ。
T そりゃそうでしょ。私は先生だよ。君たちは生徒だからね。
P 先生、言っていることがおかしいよ。確かにイギリス絶対王政についての授業の時に生徒といえども現代日本にあっては君たちは主権者だから一番偉い人なんだと、言っていました。その言葉と矛盾しませんか。
T なるほどね。さすが君は鋭いね。君の質問を現在の日本の指導者たちと国民との関係に置き換えても考えることができるね。
P 先生が何を言っているのか。全然わかりませんよ。僕の質問にちっとも答えていないじゃないですか。
T 教師は君たちの指導者だからね。指導者である教師は生徒を敬わねばならないとは思うが個々の生徒を敬うということとは違うだろう。
P 先生は今、目の前にいる僕を敬うことはない。そう言っているですか。
T うん、そういうことになるかな。だって君は授業中よく内職なんかしているでしよう。
P この間、一回しただけでしょ。やむを得なかったんです。次の時間、数学だったでしょ。僕、当っていたんですよ。先生の授業時間が悪かったんですよ。数学の前だったから。
T 私は内職したり、掃除をサボったり、授業中おしゃべりしたりする生徒たちであっても敬っているよ。だって君たちは主権者だからね。
P 先生は僕たちの何を敬っているんですか。
T だからね。生徒会が決定したことは尊重するとか。クラスで決まったことは守るとかと、いうことだよ。
P ああ、そういうことですか。
T そうだよ。
P 一人一人の生徒の気持ちとか、要望とかを大事にしてくれるということじゃないんですか。
T そういうことも勿論大事にするよ。それはわがままを認めることにもつながるから何でも全部ということにはならないけどね。
P 当たり前のことじゃないですか。それはちっとも僕たちが偉いということにはならないように思うけどな。
T 確かに、学校にあって生徒であるということは制約されているね。だから主権者といっても制約された主権者かな。
P 生徒は制約されている以上、ちっとも偉くないですね。
T そんなことないよ。正しい行いや主張は教師も学校も敬わねばらないからね。
P それでは誰が生徒の主張を正しいと判断するんですか。
T 確かにそうだね。それは難しい問題なんだ。その主張が多くの人々から支持されるものでなければならないからね。そのために主張の正当性を支持してくれるよう人々に働きかけていくことも必要になるだろうね。結構、大変なことではあるね。


醸楽庵だより  335号  白井一道

2017-03-07 11:26:45 | 随筆・小説

 貧困は今でも文学の課題の一つであるだろう

 小林多喜二は北海道、小樽の現実、この街に働き暮らす人々の貧しさに現代文学の課題を発見した。「貧困を書くのではなく、いかに貧困であるのかを書くのだ」と多喜二は主張した。この言葉は貧困がいかにしてつくられているのかを書け、と言ってるのだ。多喜二が生きた明治末から大正時代の初めごろの日本国民の生活は貧しかった。この現実が文学の課題だと多喜二は認識した。貧困の現実を表現し、訴えよう。なぜ貧しいのかを。それから百年後の21世紀の現代も貧困の問題が文学の課題になっている。なぜなら資本主義という経済の仕組みは貧困の問題を基本的には解決することができない。いや貧困を作り出すことによって経済が繁栄する経済の仕組みが資本主義なのだ。だからいかに高度に発達した資本主義国・日本で、いやアメリカ合衆国にあっても貧困はつくりだされている。この問題に文学はとりくまなくてはならない。
 現代日本の貧困に対して文学者が発した言葉の中で力を持った言葉の一つが「生きさせろ」だ。若手作家・雨宮処凛のルポの表題である。処凛は主張する。「無条件で生きさせろ」。労働意欲も旺盛な元気な若者がホームレスとなり、生きられない現実がある。この現実に対して人間すべてを無条件で生きさせろと主張する。この日本の現実はアメリカの現実でもあるし、世界の現実でもある。この現実がいかに、どのように、もっともらしくつくられていっているのかを表現することが現代文学に課せられている。
 憲法が保障する生存権が脅かされている。この生存権の実現が現代日本社会に課せられている。それはまた同時に現代文学の課題でもあるのだろう。多喜二が生きた時代には憲法が生存権を保障していなかった。主権在民、自由・平等を求める者に対して権力は剥き出しの暴力でもって弾圧したが現在はこのようなことはできない。現代の権力者たちは憲法二十五条が保障する生存権は実現すべき目標であって直ちに生活に困っている人々を救済できないことがあっても憲法に違反しないと主張して、生存権の実質的な実現を拒んでいる。
 資本主義という経済システムの下では財政上、生存権を保障する予算がないという理由で貧困を政府は解決しようとしない。なぜなら生存権というものは抽象的な目標でしかないのだから直ちに実現しなくともよい。憲法に反するわけではないというのだ。
 われわれ国民の課題は生存権の保障という抽象的な政府の課題を具体的に実現する課題にしなければならない。だから憲法は次のようにも述べている。日本国憲法第十二条は、憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない、と述べている。国民は不断の努力によって生存権の保持を実現しなければならない。国民の生存権を実質的に実現する不断の努力の一環として文学もあるのだろう。
 今までのいつの時代も、社会も底辺に生きる弱者に社会の負担を背負わせようとする。強者は弱者に負担をしわ寄せし生き延びようとする。この実態を具体的な生活の場で表現し、訴えることが文学に課せられている。
 文学は弱者同士の協力や連帯を表現することによって権力者を弾劾しなければならない。





醸楽庵だより  334号  白井一道

2017-03-06 13:29:06 | 随筆・小説

 芭蕉と禅「般若心経」

芭蕉は禅と老荘の思想に強い影響を受けている。芭蕉最初の紀行文「野ざらし紀行」の初めの方に次のような文章がある。
「冨士川のほとりを行(ゆく)に、三つ計(ばかり)なる捨子の、哀氣(あはれげ)に泣(なく)有(あり)。この川の早瀬にかけてうき世の波をしのぐにたへず。露計(つゆばかり)の命待まと、小萩がもとの秋の風、こよひやちるらん、あすやしほれんと、袂より喰物なげてとほるに、
 猿を聞(きく)人捨子に秋の風いかに
 いかにぞや、汝ちゝに悪(にく)まれたる欤(か)、母にうとまれたるか。ちゝは汝を悪(にくむ)にあらじ。唯(ただ)これ天にして、汝が性(さが)のつたなきをなけ。」
この文章に芭蕉の仏教観が反映している。仏教は世界を苦の世界とみる。生きることが苦、老いることが苦、病を持つことが苦、死ぬことが苦である。これを四苦八苦の四苦である。この苦を受け入れることなしに人間は生きることができない。「三つばかりなる捨子」にさえ、「汝の性(さが)のつたなきをなけ」と、芭蕉は自分を、苦を受け入れろと言っている。
 問題はどうしたら現実の苦の世界を受け入れることができるか、ということである。その苦の世界を否定的ではなく肯定的に受け入れろ、というのが仏教の教えである。
 大乗仏教のたくさんある経典の中で仏教の教えの本質を述べた経典が般若心経である。この中の有名な言葉が「色即是空、空即是色」である。色とはこの世の目に見えるも、空とは無いということである。この言葉の意味することは見えるもの、この苦の世界は空だというのだ。無いと言っている。飢えて泣く捨子の苦は無い。この「無い」ということはこの世の真実ではない。真実の世界が飢えて泣く捨子がいるような世界であるはずがない。今、目の前にいる捨子の存在は真実の世界の存在ではない。このようなことを言っている。
 この真実の世界にワープすることは現実にはできない。この真実の世界にワープする方法の一つが座禅することであり、念仏を唱えることである。大乗仏教では座禅することも念仏を唱えることも同じ修行である。
 人間の心の世界には意識下にある世界と無意識の世界がある。この無意識の世界を経験することを西田幾多郎は純粋経験といった。この純粋経験の中で「色即是空、空即是色」と認識する。このような認識を得たときに現実の苦の世界を肯定的に受け入れることができると仏教は教えている。念仏を唱え、座禅を組み、純粋経験によって真実の世界を認識する。
 真実の世界は「色即是空、空即是色」である。これは西田幾多郎が言うように「絶対矛盾の自己同一」なのだ。「色」は「空」、」空」は「色」なのだ、と言っているのだから。
 「色即是空、空即是色」を実感することは座禅を組み、念仏を唱え、現実世界からワープすることでもある。ワープした世界が西方極楽浄土、阿弥陀様のいる真実の世界なのだ。



醸楽庵だより   333号  白井一道

2017-03-05 17:04:57 | 随筆・小説

 現代の貧困
現代文学の課題を岩渕氏は小林多喜二の言葉を引いて「貧困を書くのではなく、いかに貧困であるのかを書くのだ」と主張した。
 小林多喜二がどこでどのような文脈でこのように述べているのか、わからないが、貧困がいかにしてつくられているのかを書け、と言ってるのだと私は理解した。
多喜二が生きた明治末から大正時代の初めごろの文学の課題が貧困の問題であった。それから百年後の現代も貧困の問題が文学の課題になっている。資本主義という経済の仕組みは貧困の問題を基本的には解決することができない。
いかに貧困が高度に発達した資本主義国・日本で、いやアメリカ合衆国にあってもつくりだされているのか、この問題に文学はとりくまなくてはならないようだ。
現代日本の貧困に対して文学者が発した言葉の中で力を持った言葉の一つが「生きさせろ」だ。若手作家・雨宮処凛のルポの表題である。処凛は主張する。「無条件で生きさせろ」。労働意欲も旺盛な元気な若者がホームレスとなり、生きられない現実がある。この現実に対して人間すべてを無条件で生きさせろと主張する。この日本の現実はアメリカの現実でもあるし、世界の現実でもある。この現実がいかに、どのように、もっともらしくつくられていっているのかを表現することが現代文学に課せられている。
 憲法が保障する生存権が脅かされている。この生存権の実現が現代日本社会に課せられている。それはまた同時に現代文学の課題でもあるのだろう。多喜二が生きた時代には憲法が生存権を保障していなかった。主権在民、自由・平等を求める者に対して権力は剥き出しの暴力でもって弾圧したが現在はこのようなことはできない。現代の権力者たちは憲法二十五条が保障する生存権は実現すべき目標であって直ちに生活に困っている人々を救済できないことがあっても憲法に違反しないと主張して、生存権の実質的な実現を拒んでいる。
 資本主義という経済システムの下では財政上、生存権を保障する予算がないという理由で貧困を政府は解決しようとしない。なぜなら生存権というものは抽象的な目標でしかないのだから直ちに実現しなくともよい。憲法に反するわけではないというのだ。
 われわれ国民の課題は生存権の保障という抽象的な政府の課題を具体的に実現する課題にしなければならない。だから憲法は次のようにも述べている。
日本国憲法第十二条は、憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない、と述べている。
 国民は不断の努力によって生存権の保持を実現しなければならない。国民の生存権を実質的に実現する不断の努力の一環として文学もあるのだろう。
 今までのいつの時代も、社会も底辺に生きる弱者に社会の負担を背負わせようとする。強者は弱者に負担をしわ寄せし生き延びようとする。この実態を具体的な生活の場で表現し、訴えることが文学に課せられている。
 文学は弱者同士の協力や連帯を表現することによって権力者を弾劾しなければならない。



醸楽庵だより  332号  白井一道

2017-03-04 11:19:50 | 随筆・小説

 多喜二を読む

 ―この一篇は、「殖民地に於ける資本主義侵入史」の一頁である。
 この言葉は「蟹工船」の最後に小林多喜二が附記したものだ。句労君、小説「蟹工船」で描かれた世界がなぜ日本国内の殖民地・北海道への資本主義侵入史なのか、わかるかな。
 わかりませんね。「蟹工船」で描かれている世界は船上の蟹の缶詰を作る工場で働く悲惨な労働者の状況ですよね。それがどうして資本主義の北海道への侵入なのか、先生、教えて下さい。
 教えるのは簡単だけれどもね。大切なことは自分で考えることだね。そもそも資本主義という経済の仕組みができあがってくるのは、いつごろからだったか。覚えているかい。
 もちろん、覚えていますよ。イギリスで産業革命が始まると同時に資本主義という経済の仕組みができあがっていく、このように世界史の授業で教わりましたよ。
 さすが句労君、その通り。
産業革命という出来事がなぜ資本主義という経済の仕組みをつくっていったのか。その理由はなんだったっけ。
それは産業革命によって産業資本が成立、確立したからだと先生は説明していたのを覚えていますよ。
 その通り。良く覚えているね。でも理解しているか、どうか、疑問だけれどね。
 先生は昔から嫌なことを言うと皆言っていましたよ。
 そんなことを生徒たちは皆言っていたの。それは悪かったね。では、聞くが産業資本とは何なの。
 それは工場ができたということなんでしょ。
 では、工場のことを産業資本というのかね。
 そうなんじゃないですか。
先生、そう説明していましたよ。
 それでは工場がなぜ産業資本なのか、説明してほしいな。
 それは工場で生産されたものが商品として売れる。こうしてお金が儲かるからなんじゃないですか。
 資本とは工場製品がお金になることをいうのかね。
 そうなんじゃないですか。違うんですか。
 違ってはいないけれども、資本の本質を説明しているわけではないな。句労君の説明では小説「蟹工船」が殖民地・北海道への資本主義侵入史だと納得してもらえるかな。
 僕は納得してもらえると思います。船上の蟹缶工場でつくられたものが東京のような大都会で高く売れて、儲かるわけですから。
 なるほど、しかし多喜二が「蟹工船」で描いた世界はそこで働く労働者の悲惨な実態だよね。この悲惨な実態がなぜ資本主義なのかの説明になっていないと思うんだけどね。
 そうですね。じゃ、資本とは工場で商品を生産する労働者のことをいうのでしょうか。
 句労君、その通りなんだよ。資本とは労働者のことを言うんだよ。工場で商品をつくる労働者のことを言うんだ。マルクスは「資本論」のなかで資本とは血と汚物にまみれて生まれてくると言っているんだ。ここでいう資本とは労働者の誕生のことを言っているんだ。「蟹工船」で働く労働者たちは、命の危険に曝されて血を流し糞壺で寝起きする。まさに血と汚物にまみれて生活している。農村や都市で食い詰めた人々が蟹工船に職を求めて集まってくる。このことが資本主義の殖民地北海道への侵入なのだ。

醸楽庵だより  331号  白井一道

2017-03-03 10:28:58 | 随筆・小説

 初めて海鞘(ほや)を食べる

 まだ若かった頃、妻と二人日本橋三越本店にあったフランス料理店に行ったことがある。店に入るのに物怖じしてしまうような薄暗く厳しいところだった。勇気を奮い、客がぽつんぽつんといる店内に入り、黒服を着たボーイに案内を受け席に着いた。
 吾々は本格的なフランス料理など食べたことが無かったので、メニューを見て一番安い定食を注文した。ワインももちろん一番安い赤を注文した。それで終われば何のことはなかった。       メニューを見ていた妻が突   然黒いスーツを着ている女性が傍を通ったとき、単品でエスカルゴを注文した。妻は胸を張り、堂々と注文した。いつも食べているような態度だった。注文を受けた女性は「エスカルゴでございますね」と腰を屈め微笑んで確認した。見るからにウェイトレスより格上という雰囲気が漂う中年の女性のその微笑にエスカルゴは初めてなんですねというようなものを私は感じた。いくら妻が胸を張ってみても吾々の正体は見抜かれていたのだ。
 悲劇はエスカルゴが運ばれてきて起こった。一口エスカルゴを口に入れた妻は吐き出してしまった。こんなもの食べられないと小さな声で言った。ニンニクの匂いが咽につかえ、むせると言い、エスカルゴの皿を私の方に押してくる。
 ボーナスが出たころだった。大変な散財を妻はしてしまった。やむを得ず私はエスカルゴを一人で二人前いただいた。赤ワインと一緒に食べると実に美味しい。そんな私を見て妻はよくあんなものを美味しそうに食べられるわねと憎らしそうに言う。私はついニヤニヤしてしまった。やはり若かった頃だ。妻と二人、フカヒレを食べに気仙沼にいった。民宿の親父が養殖雲丹を捕りに行くという。誘われたので船に乗せていただき、同宿のカップルと一緒に夏の夕暮れ湾の水面を走った。しばらく行くと船を留め、海水から引き上げたばかりの海(ほ)鞘(や)を取り上げ、パンパンに張った海(ほ)鞘(や)にナイフを差し込んだ。水が海(ほ)鞘(や)から放物線を描いて海面に落ちた。親父は素早く海鞘をさばき、切り身にすると海水で洗い、これがもっとも新鮮な海鞘の刺身だといって、食べさせてくれた。海鞘の切り身を口に入れた妻は突然親父に背を向け、手に海鞘を吐き出すと気づかれないよう海に捨てた。私も美味しいとは思わなかったが、海水の塩味と独特の味が強く印象に残った。
 海鞘を食べたのはその時が初めてだった。その後、何回か、海鞘を生で食べる機会があった。思い出すと海の上、海水で洗って食べた海鞘が一番美味しかったように思う。
 美味しいものとは、きっと食べ慣れたものなのだろう。いつだったか、ホテルオークラで七百二十ミリリットル五万円で売られている日本酒を飲み、普段飲み慣れた剣菱が美味しいと言った友人がいた。本当にそう思ったのだろう。
美味しさとは、見た目とか、器とか、場所とか、仲間とかいうようなものの総合したものなのだろう。
 空腹は最高の調味料というフランスの諺がある。この言葉は真実だが、職人の技が築いた文化財としての料理もまたあるに違いない。エスカルゴのような。



醸楽庵だより  330号  白井一道

2017-03-02 11:19:01 | 随筆・小説

  道のべの木槿(むくげ)は馬に食われけり  芭蕉

 「野ざらし紀行」に載っている句の一つである。この紀行文の最初の句が有名な「野ざらしを心に風のしむ身かな」である。旅に死ぬ私の髑髏(されこうべ)が野ざらしになっていることを想像すると心の中に吹く秋風が冷たく寒い。旅に生き、旅に死ぬ覚悟を詠んだ句である。時に芭蕉四十一歳、貞享元年(1684)、元禄時代の直前である。こんなに重い覚悟の句の直後に芭蕉は馬上吟の句、「道のべの木槿は馬に食われけり」と詠んでいる。この句が「軽み」を表現した句である。
「野ざらしを心に風のしむ身かな」、この句はとても重い。死ぬ覚悟ができると心が軽やかになったのであろう。すべての柵(しがらみ)から解放され、後ろ髪引かれるものが無くなったのであろう。日常普段に眼にするものをそのまま表現する。卑近なものであっても卑俗にならない。ここにこの句が軽みを表現していると言われる所以がある。モーツアルトの音楽の軽快さに共通するものがある。
 芭蕉と曽良、他の門人たちは深川の芭蕉庵から隅田川をさかのぼり千住で船をあがる。門人たちは芭蕉と曽良の後姿が見えなくなるまで見送ってくれた。そのときに詠んだ句が「行春や鳥啼魚の目は泪」である。なんと後髪の引かれる思いであったことでろう。門人たちは皆、目に泪をたたえ、別れを惜しんでいる。それはもう二度とまみえることがないだろうという不安を抱えていたからである。芭蕉たちもまた振り返ることもなく足早に後姿が小さくなっていった。
 このような重い別れであったのに比べて「奥の細道」最後の句「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」、大垣に駆けつけてくれた門人たちとの別れを詠んだ句はなんとも軽い。大きな旅を無事終えた芭蕉にとっては身も心も軽くなっていたことでろう。そんな気持ちの軽さが表現されている。ここにも軽みがある。
 将来を背負ったときには荷の重さが心を占める。人生の歩みが始まってしまえば心は軽くなるものなのかもしれない。忙しい毎日が過ぎていく。その忙しさに人間は楽しみを見出していく。歩く足裏の痛みもいつしか笑いの種になる。日射しの暑さに咽の渇きを覚えることがあったても井戸水で咽を潤す喜びがある。風の音に秋の訪れを感じる寒さがやってきても迎え入れてくれる門人たちのぬくもりに癒される。雨に濡れる冷たさはあっても見飽きることのない景色を心にとどめていく楽しさは今、生きているという実感があったであろう。
 テクテク歩く旅を通して芭蕉は人間の本質を究めた。その人間の本質とは重く悩み苦しむことではなく、生活を楽しむ軽さにあると気づいたのである。
 生きる苦しみにではなく、生きる楽しみに人間の本質はある。老いの苦しみに老いの本質があるのではなく、老いの楽しみに人間の本質はある。
 死ぬ危険性をたたえた旅を真正面から受け入れたとき、実感をもって知った人間の本質であった。この現実を肯定的に受け入れることによってこの現実を変える力を得るのだ。