![]() | 夜は暗くてはいけないか―暗さの文化論朝日新聞社このアイテムの詳細を見る |
民家について調べていた時に、たまたま手に取った本。
今の日本人は夜を明るくしすぎていけない。もっと暗くても良いのだ。欧米人は間接照明でこんな風に暮らしているとか、オランダ人(?)は日が暮れるのを部屋の中から楽しむ。彼らは完全に日が落ちてから照明を灯し、そこから夜が始まる。日本人はセッカチでいけない。というような内容だったと思うが、メモがこれしか残っていないので不確か。
以下メモより
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日本はイギリスほど夏と冬の差がない。
どういうことか?
寒暑の差ではなく光の差。
天文薄明、航海薄明、常用薄明。
東京とロンドン、上の3つとも冬は大差はないが夏は常用で1時間、天文で4時間ロンドンが長い。
つまり白夜の一歩手前ということ。
サマータイムと言う発想は、そういう国だからこそ出てくるもの。
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この日暮れと夜明けの感覚だが、私は中学から高校にかけて天体望遠鏡と双眼鏡を使って星ばっかり観ていた時期があって、この薄明はなんとなく実感できる。常用薄明とは文字が見えるかどうか。航海薄明はわかりやすくて、空と海の区別がつく時間帯だ。天文薄明は、航海薄明の次。裸眼で目視できる一番暗い6等星が見え始める時。これが一番わかりづらいか。
ロンドンは天文薄明で東京より四時間長いと言うのは、トワイライトゾーンがやたらと長いと言うことで、文字は見えづらいけどなんか明かりが残っている時間帯がずっと続く状態だ。これがずっと続けば白夜になる。
※今、ネットでちょっと検索してみると、「常用薄明」を「市民薄明」と書いてあるところが多い。市民って何よ。何か違和感があるな、市民と言う言葉に。
サマータイムに関しては、日ごろの感覚からも日本で1時間やそこら時間をずらしても何にも役にはたたないだろうとは思っていたのだが、なんとなくその言葉に憧れがあった。一年に一回時間が切り替わるということも面白いと思っていた。そんな思いを「ああ、やっぱり役にはたたないんだ」とすっかり吹き飛ばしてくれた。夏の日が長いといっても日本じゃたかが知れているのだ。
日本はずっと以前に全国でサマータイムを実施したがすぐやめてしまった経験がある。合わなかったんだね、日本に。なのに、懲りもせず夏前になると、自治体がサマータイムの試行を言い出すことがある。
昨年は滋賀県庁、今年は札幌市だったか。滋賀県庁は「やってみました」と結果発表をウェッブに載せている。余暇がどうだとか、コミュニケーションがどうだとか、趣味がどうだとか・・・始めに結果ありきで書かれたようなレポートだ。試行してみなくても書けるといったら失礼かな。札幌の結果はまだ確認していない。札幌は全庁ではなく部分的な部署での試だったと思うが、緯度が高い分、滋賀よりまともな結果が出るのではと、ちょっと期待している。