ところで、神戸の震災の時は、その被害の中心地が大消費地である100万人都市だったため、被災者はその日から「食」に困った。誰も何の生産手段も持っていなかったし、たいした蓄えもなかったため、もう外部からの支援に頼るしかなかった。幸い東は大阪、西には商品の大集積地である加古川市等があったため比較的はやく食品が流通したので助かったが・・・。
その時、漠然と思っていたことだが、これが私が生まれ育ち、今でも実家がある農村(山間部)だったらもっと状況は違うんじゃないか、交通事情などですばやい支援は受けれないかもしれないが、少なくとも何日かしのぐくらいの自前の食料は手に入るだろう、いやあるはずだ、数週間は自活できるんじゃないかなどと思っていた。
ところがいざ今回の新潟の農村部で同じことが発生してみると、神戸のときと同じように「食」に困っている。農村もその実態は都市となんら変わらなかったと言うことだろうか。
それとも、避難所に避難せず孤立した状態で暮らしている人たちもいるところを見ると、自活できないのは避難所に入ってしまったからだろうか。たぶんそうなんだろう。あの避難所の御老人たち、普段の慣れた場所なら、もっと逞しいはずだ。だから避難所生活は余計心配でもある。避難所生活が長引けば長引くほど生きていこうとする活力は無くなってしまう。早く戻れるようにしないといけない。
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