ロンドン・ナショナル・ギャラリーが所蔵するピエロ・デッラ・フランチェスカ作品は、次の3点。
1)キリストの洗礼
1430年代後半から40年代
2)大天使ミカエル
(サン・タゴスティーノ祭壇画の1パネル)
1460年代
3)キリストの降誕
1470年代から80年代前半
最初期の≪キリストの洗礼≫と最晩年の≪キリストの降誕≫を所蔵する。この2点で、毎日がピエロ展状態。
ロンドン・ナショナル・ギャラリーがこの2点を取得するまでの経緯(石鍋真澄『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』による)。
≪キリストの洗礼≫
1874年6月15日「タイム」誌へのアルフレッド・ロビンソン氏の寄稿による。
大聖堂の内装工事の資金繰りに困った教会。
ピエロの≪キリストの洗礼≫かペルジーノの≪キリストの昇天≫を売ろうということになる。
主席司祭の提案で、1859年4月、ピエロを2,000フィオリーニで売却する。
作品は英国に渡り、その後1861年、ロンドン・ナショナル・ギャラリーが購入。
作品の状態は、過去(←1835年時点で「ずっと以前」)の過剰な洗浄により「破滅的状態」だったらしい。1966年の修復で、現在の状態に。
≪キリストの降誕≫
1826年、所有者(←ピエロ家系最後の男子の妹が嫁いだマリーニ家の末裔)が、ウフィツィ美術館に売却を目的とした寄託を依頼。
再三の売り立てにもかかわらず、絵の保存状態がよくなかったためか、長く買い手がみつからず。
ようやく1861年に英国人が購入、その後1874年、ロンドン・ナショナル・ギャラリーが購入。
ついに、ウフィツィ美術館は、買い取ることはなかった。
「サンセポルクロとしては痛恨の選択」
サンセポルクロに残ったペルジーノの≪キリストの昇天≫は、たぶんこれ(it.wikipedia.orgより)。
332cm×266cm
ペルジーノ作品を売るというのは、最初から可能性がなかっただろうと思う。
当時のピエロに対する評価基準からすればやむをえない、というのはサンセポルクロ側の視点。
買う側としては、ピエロの希少性を認識し、巧みに誘導したのではないか。
332cm×266cm VS 167cm×116cm