東京でカラヴァッジョ 日記

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1950年代 -「岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟」展(東京都庭園美術館)

2019年01月28日 | 展覧会(現代美術)

 

岡上淑子
フォトコラージュ   沈黙の奇蹟
2019年1月26日〜4月7日
東京都庭園美術館
 
 
岡上淑子
《幻想》
1954年頃、個人蔵
✳︎撮影可能コーナーのバナー


   岡上(おかのうえ)淑子。1928年生まれ。91歳、高知在住。
 
   岡上のフォトコラージュ作品は全て、1950〜56年の7年間に制作されたもの。
 
   写真の素材は、海外の雑誌。LIFEなどのグラフ雑誌や、VOGUEやHarper's BAZAARなどのファッション誌から。
 
   「戦後復興期の時代を反映した報道写真による背景」と「前景に浮かび上がる当時最先端のモード」との対比。17歳で敗戦を迎えた岡上の戦争体験も反映される。
 
 
 
   1928年に高知県で生まれ、3歳で家族とともに東京へ移り住む。
   1946年、恵泉女学園家事部に入学。1949年に卒業し、小川服装学院に入学。1950年に同学院廃校を受けて、文化学院デザイン科に入学。そこで、コラージュに出会う。
 
   日本におけるシュルレアリスム運動を先導した瀧口修造に見出される。瀧口から見せられたマックス・エルンスト作品の影響を受けて、それまで黒や赤の単色の羅紗紙を使用していた背景に写真を使用するようになるなど、表現の奥行きを広げていく。
 
   1953年には、瀧口の企画による岡上の個展が開催される(1/4〜10)。
 
(瀧口による個展の案内)
   岡上さんは画家ではありません。若いお嬢さんです。獨りでこつこつグラフ雑誌の切抜きをコラージュ(貼合せ)して夢そのものを描きました。不思議の国のアリスの現代版がこのアルバムになりました。
 
 
   瀧口の力添えもあり、上記を含む2度の個展の開催、1953年の東京国立近代美術館の展覧会「幻想と抽象」への出品、各種美術雑誌での作品紹介や短文執筆など、日本美術界で注目される存在となる。
 
   1957年、画家である藤野一友との結婚を機に、コラージュ作品の制作から離れる。1959年、息子が誕生。1967年、離婚、高知に帰郷する。
 
   帰郷後も、日本画制作や新聞への寄稿など、創作は断続的ながらも続けていたようである。瀧口との交流も手紙で続いていたようだ。
 
 
   
   長らく忘れられていた岡上。
   本人も、フォトコラージュは過去のこと。若き時代、東京での思い出として、作品は自宅の茶箱にしまったままほとんど箱を開けることもなく、保管されていた。
 
 
   そんな40年間が経過した1996年、目黒区美術館「1953年ライトアップ-新しい戦後美術像が見えてきた」展の企画者から声をかけられ、保管していた作品を出品する。
   そして、2000年、第一生命ギャラリーでの個展「岡上淑子 フォト・コラージュ-夢のしずく-」が開催。44年ぶりの個展である。
 
 
    初日の日に行ったとき、誰も来てなかったのね。ギャラリーの中に入ったでしょ。作品に取り囲まれて立ちすくみましたね。「自分で、これ作ったのかしら」って(笑)。ほんとそんな感じでした。あんまり離れてたでしょ。だから「こういうの作ったんだ」とあらためて思って、見始めたときは別の自分が作ったのを見てるようでした。  
 
 
 
   状況が一変。美術界で注目される作家に。
 
   自宅の茶箱にあった作品は、高知県立美術館、東京国立近代美術館、東京都写真美術館、栃木県立美術館の国公立美術館に、さらに、アメリカのヒューストン美術館、ニューヨーク近代美術館に所蔵されることとなる。
 
 
 
   さて、東京都庭園美術館の本展は、岡上のコラージュ作品90点強が出品される。国内のほか、ヒューストン美術館所蔵作品も里帰り。
 
   非常に面白い。
 
   作家の名もその作品も知らなかったので目新しさもあるだろう。
   個人的に日本のシュルレアリスムは総じて苦手なので、これらが油彩画として制作されたのであれば、スルーしたかもしれない。
   しかし、写真。1950年代という時代を反映した写真が素材。
   戦争の生々しい記憶を皆が個々に持つ時代。
   洋裁の道に進もうと考えていた、欧州モードに憧れを持つ、芸術家というものに強い思い入れを持たない、20代の女性の感性により制作された、時代を反映する作品たち。
 
 
   印象に残る作品は多数であるが、いかにも戦争の記憶的作品を1点。
 
岡上淑子
《廃墟の旋律》
1951年
東京都写真美術館
 
  (焼け野原は)高知でも東京でも見ました。渋谷が焼けたときはいましたから。高樹町のお友だちのお家が渋谷に近いでしょ。どうなったか心配で、何日かたって自転車で行きましたね。渋谷に近くなるともう全部焼け野原でした。たった一晩でこんなにも無残に壊されてしまうのかと呆然と立ちつくしましたね。ただあの時は、なぜかまわりに人一人いなくて、空が真っ青に晴れていて、不思議なくらい静かでした。道玄坂の上から見た荒れ果てた光景は今でも鮮明に残っています。それ、作品にあるじゃない(注:《廃墟の旋律》、1951年)。それにはあの時の光景が重なりましたね。お友だちの家に行ったら、焼けていましたが、疎開して無事でした。ご親戚の方が片づけてました。それから目黒のお友達のところへも回りました。自転車を夢中でこぎましたね。
 
 
 
【本展の構成】
 
第1部  マチネ(本館)
1.岡上とモードの世界
2.初期の作品
3.瀧口修造とマックス・エルンスト
4.型紙からフォトコラージュへ
5.コラージュ以降
6.その他関連資料
 
第2部   ソワレ(新館)
   第1幕   懺悔室の展望
   第2幕   翻弄するミューズたち
   第3幕   私達は自由よ
 


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